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お引っ越し part3
再婚相手のヲタメは向島に一軒家を持っていた。めちゃくちゃオシャレなデザイナーズ物件だがどうにも使い勝手が悪い。それもそのはず生涯独り者のつもりでいたヲタメが色々間抜けな建築家と1人用にデザインした家である。家族で暮らすには部屋数が足りないし、生活動線は機能的でないし、収納は少ないし…私は住まわせてもらいながらも文句ばかり言っていた。何より洗濯物を干すのにサーカス団のようにハシゴを登らなくてはならないのが危険で嫌だった。吹き抜けや屋上など子供たちは喜ぶが、これも見張っていないと危ないので難儀だ。
そもそも上京の目的に「良い精神科医を探す」というのがあった。離島には専門医がいないから「たぶんコレ」ぐらいの安定剤を飲んでいたが、まったく良くならない。さすがに東京に行けばバリバリの精神科医がいるだろうと期待していたが、実際はそうでもなかった。ドクターショッピングをしては失望し、慣れない環境のストレスでどんどん弱る。引っ越しはかなり大きなストレスだし、結婚のようなテンション上がる行為もストレスになる。弱り果てた私に向かって友達のTちゃんが「横浜に戻ってくれば」と何の気なしに行った。そうだ、横浜に帰ろう。と
電撃に打たれた様に思った。
向島は面白い街だが、調子が悪かったこともあっていまひとつ馴染めなかった。ヲタメの事務所は横浜なので忙しい時には週に一回しか帰ってこない。寂しいし、何となく不安だ。横浜に住めばそれも解消される。おりしも東京スカイツリーの建設が始まり、墨田区は売り手市場だった。
何しろ家を建てるのが好きなヲタメはすぐに賛成してくれた。ヲタメは今でも「渡辺篤の住まい探訪」を早朝から見ているぐらいの建築マニアで、お金がなくても家を建てたい人だ。向島の家はバブル崩壊後に破格の安さで手に入れており、売るにあたっては約800万プラスという濡れ手に泡状態となった。
しかし、横浜の地価もさして東京と変わらないので、部屋数の多い今の家を建てるとあっという間にお金がなくなった。のちにリーマンショック、コロナと続き、むしろ現在はマイナスである。世の移ろいは激しい。
向島の家は案外早く売れ、自分ちも建たないうちに横浜のアパートに引っ越した。これで11回目。仮住まいの3
LDK。ここでは絶頂に具合が悪く、半年間ほぼ寝ていた。
そして現在の家へ12回目の引っ越し。
この時も引っ越しのサカイのパンダ箱に囲まれながら半年以上寝込む。本当に引っ越しは私の体には悪い。できればもう2度としたくないが、この先も何があるかわからない。生涯引っ越し3回ぐらいの落ち着いた暮らしがしたかったなぁ…とも思うが、大半が自分で決めた事だ。引っ越し前の送別会でつぶれて近所の人に荷物詰めてもらったり、手伝いの友達は来ているのに私がいなかったり、反省点しかないが。それでも私はこの転々とした日々を記憶に刻印して、これからも転がり続けるのだろう。それが運命のような気がする。