占いの館
いつの間にか占いに行かなくなった。信じなくなったというか、相談したいことがなくなったのである。悩みごとがないわけではないが、占いに行ったとて…という感じだ。たいがいのことは結局自分で何とかするしかないし、何とかならないものはあきらめるしかない。何かと思い通りにならない「恋」や「結婚」に悩んだ時分は何度か占いに頼ったが、今となってはそんな悩みもない。これからの問題は老いること、病むこと、いつかは死んじゃうことだろうが、当たり前すぎて悩む気もしない。
若い頃、何ヶ所か占いに行った。当時はオルガン占いとかトイレットペーパー占いとか変なのがいっぱいあったので、ほぼ好奇心だけで訪ねて行った。
どの占い師も言うことは別々だし、だいたい的外れだった。ただ悩みごとを詳細に相談するうちに、じぶんの考えがまとまってスッキリする、という効果はあった。カウンセリングに近い。
一度尋ねた占い師の館は、緑の多い住宅地の中にあった。広々とした和室に通され10分ほど話したところで電話のベルが鳴る。占い師のおばさんが忌々しそうに「チッ!」と舌打ちしたのは聞き流せなかった。おばさんがでると受話器の向こうから女性の怒鳴り散らかす声がした。それに対しておばさんが「恥を知れ!このキ◯◯◯!」と全力で怒鳴ってブチっと電話線を切ったのでビックリした。
「いやあねぇ…朝から何回目よ…」
聞くところによるとおばさんの息子が彼女と揉めているらしく、無言電話や嫌がらせの電話を一日中してくるらしい。逆にわたしが相談を受けるような形になった。あまり刺激してもいけないけど、このままではお困りでしょうから警察に相談してはいかがですか…と適切なアドバイスをしながら4000円払った。なんでだよ…と思いつつ。
いずれにしろ自分に起こるトラブルも予想できず、解決もできない人の言うことを聞けるわけがない。所詮人間のやる事だな、と思った。
占いというのは当たるも外れるも八卦というが、このように占い師自体が外れていることもある。だんだん馬鹿馬鹿しくなって行かなくなったが、それでもどうにも決断がつかない時などに占い師を訪ねた。いまのところすべて占い師のアドバイスの逆張りで生きている。モーマンタイだ。
ヨロンに住んでいた頃、島に「神さまと話せる人」がいた。ごく普通の人で
相談に乗ってもお金はとらない。沖縄だとユタやノロがいるが、ヨロンにはヤブと呼ばれる人がいた。が、その人はただ「神さまの人」と呼ばれていた。私が悩みごとを抱えて、鬱も厳しかった時、その人とたまたま行き逢った。彼女は「アラ!ふ〜ん」とまじまじとわたしを見て「大丈夫!あなたは大丈夫よ!」と笑い、ポンポンと肩を叩いて去って行った。ぽかんと彼女を見送りながらもだんだんうれしくなってきた。大丈夫だ。わたしは大丈夫なのだ。鬱だけど大丈夫。生きてるから大丈夫。なんとなく大丈夫。その人に言われた「大丈夫」は、今もわたしの心を明るくしてくれるし頼もしい。
占い師、霊能者、霊媒師、超能力者…どれも胡散臭いが嫌いじゃない。信じるか信じないかは別として。
島の神さまの人は、どれとも違う気が
する。昔、人間はテレパシーなどの今とは違う能力を持っていた、と聞くが、もしや今もその力を維持しているのかもしれない。かつては各村に一人ぐらいはそういう人がいて、困りごとなどの相談に乗っていたかも知れない。カウンセラーのように。都会にはなかなかそういう人がいないから、人々は迷い、時に騙される。
この先占いに頼ることもないとは思うが、人は弱いもの。何か悩んだり、苦しい時には占いより島へ帰ろう。わたしの場合それが特効薬だ。