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阿修羅のごとく〜私の好きな「あの場面」

※三代にわたってネタバレします。

Netflixで「阿修羅のごとく」の配信が始まった。ようやっと寝正月の布団を抜け出し、テレビの前に座る。いや横たわる。
子供の頃に初代を見て稲妻が走った
。なぜこんな大人の話にハマったのか、なぜ子供の私にこんな話を母は見せていたのか、ナゾっちゃあナゾだが向田邦子の作品ということですべてが納得いく。私がクドカンのドラマを子供たちに見せているように、タイプは違えど昭和1番の書き手は向田邦子だった。面白いものは子供にもわかるし、分かち合いたいものだ。それにしても今回で三回目のリメイクというのはたいした偉業ではないだろうか。

三作目はおおむね原作に忠実であった。忠実すぎて昭和の東京人の言葉遣いや早口が今の人には違和感があるかもな、と思った。ゆりやんが物真似する「昭和の映画女優」みたいにも聞こえる。そういうものなのだからそれでいい。セットや衣装も当時を再現しており、茶の間のテレビには昭和のドラマ「俺たちの旅」が流れている。

それにしても「阿修羅のごとく」といえば初代のなんとも言えないテーマ曲が頭に貼り付いて離れないので、それなりにクセのあるネトフリ版の曲も軽く感じてしまう。どんな曲かというとヘビ使いのラッパみたいな音で「ヴェー、ヴェー、タッタカタカタラタラターンタンタリラリロ」みたいな感じだ。「ジェッツディンデデ」というトルコの行進曲らしい。この曲と阿修羅像が登場して初代のタイトルバックはマジ怖かった。

再放送で繰り返し見たせいか一作目が一番印象が強い。二作目となる映画版の記憶はだいぶぼやけているが、あのシーンだけは忘れない。

この物語は老いた両親と、それぞれ大人になった4人の娘たちを中心に描かれている。華道の先生である長女は後家であり、料理屋の亭主といい仲だ。ある日、浮気を知った女将が長女の家に押し掛けて、あられもない姿の2人に拳銃を突きつける…というシーンがあるのだが、ここが好きで好きで。

一作目では加藤治子vs枡川豊子、ネトフリ版では宮沢りえvs夏川結衣の対戦となっている。それぞれに見応えはあるが、私が愛してやまないのは映画版の大竹しのぶvs桃井かおりの戦いである。この場面には人の愚かさ、可笑しさ、やりきれない悲しみや孤独が詰まっている。桃井かおりバージョンでは棄てられた女の捨て鉢さが特に強く感じられて凄みがあった。「疑惑」という映画で岩下志麻に赤ワインをジョロジョロかけるかおりも大好きだし、人を困らせる役日本一の人だと思う。

ネトフリ版のキャストも素晴らしいが、ついつい初代と比べてしまう。一番好きだったのは行かず後家のいしだあゆみと浮気調査員の宇崎竜童のカップルだったが、ネトフリ版では蒼井優と松田龍平が演じており、なかなかだ。かつて緒方健が演じた何かと如才ない次女(尾野真知子)の夫はモッくんだ。甘ったれで僻みやすい四女は広瀬すず。後半ではボクサーの夫がチャンピオンとなり、いきなりケバくなる。ケバい広瀬すずもなかなかいい。

劇中では「アレをあれして」みたいな会話が多く出てくる。これは原作者の向田さんの癖のような気もするが、昭和ならではの風潮のようにも思う。「言わずもがな」というやつだ。実際、物語の登場人物たちは「アレ」で「ああ、ハイハイ」と動く。今だったら「アレって何よ?言わなきゃわかんない」と叱られそうだが、「アレをナニして」で話は進んでいく。家族間の距離の近さでもあり、察しの良さ(特に女の)を感じる。男は威張り、女に対して甘えていた時代。仕事をしていれば文句はあるまい、という時代は終わった。「あの頃」を「いい時代」と思う人もいれば「最悪」と思う人もいるだろう。私は「昭和」に長らく滞在したからノスタルジーを感じるが、精神面では今の方が好きだ。やたらと縛りが多くて、25過ぎたら女は売れ残り呼ばわりとはゾッとする。

その時代を「そういうもんだ」で、それぞれに生きていく四姉妹。今も変わらぬ男女の駆け引き、欲望のゆくえ。
基本的にはドロドロした話ではあるが、娘四人の艶やかさのせいか、華やかでひたすら綺麗だ。日本の四季の移ろいと、言葉の美しさに酔いしれるドラマである。

#Netflix
#阿修羅のごとく

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