
「べらぼう」と廓の歴史①
待ちに待った「べらぼう」がスタートして二週目、なんともワクワクする展開がはじまっている。横浜流星演じる蔦重は平賀源内(安田顕)をそそるほどに美しいし、花の井(小芝風花)の花魁姿ときっぷの良さも楽しみだ。
吉原といえば映画「吉原炎上」で爆風に吹かれたかたせ莉乃も出ているというので探してみるが見当たらない。眉毛がないので見落としたようだ。よくよく見れば水野美紀も安達祐実も眉毛がない。実際には既婚者であればお歯黒も塗っていたはずなので、だいぶ凄まじい仕上がりであっただろう。それでも当時はお歯黒に人妻の色気を感じる男もいたというから時代というのは
不思議なものだ。
物語はまだまだ序盤で版元としての蔦重の活躍はこれからである。店を構えることとなれば故郷吉原を出て日本橋に移るわけだが、それは少し残念だ。
若き浮世絵師たちとの出会いは楽しみだが、私は吉原…というか、廓、赤線、青線、なんだか知らないがそのへんの佇まいが好きなのである。そこは女たちにとっては「苦界」でもあっただろうに何故やら華やかな建物の遺構やさまざまな言い伝えに惹かれてしまう。前世は男だったのだろうか。今現在、元色町に住んでいた人たちにとっては消したい過去であろうが、その終焉に残る土地の記憶を嗅ぐのが好きだ。大っぴらに残らない歴史だからこそ胸にとどめておきたいと思う。
だからこそ、この度NHKが大河という看板で「吉原」を正面から切り取るというのは画期的なことだと思う。「臭いものには蓋」「都合の悪いことにはダマテンで」というやり方では不幸は繰り返されるばかりだ。弱いものは喰い物にされ、強いもの、人の心を忘れたものたちが搾取に搾取を重ねる。
吉原は苦界ゆえに肺病、性病、栄養失調による衰弱死と人死は日常だ。亡くなった女郎たちを素っ裸にひん剥いて、投げ込み寺に棄て置くシーンはショッキングで賛否を呼んだようだが、現実的だと思う。江戸はリサイクル社会で古着の流通が盛んだったし、女郎の着物といえば町娘のものよりは華やかで少しはいい値段がついたのかもしれない。その古着の着物に女郎の怨念が染み付いて、手に入れたものを取り殺す…なんて怪談もあったと聞く。
女郎の悲劇について忘れられないのは
「吉原炎上」でかたせ莉乃が歌っていた「あきらめ節」だ。〜おまえこの世に何しに来た 牛や馬かとこき使われ
それもあきらめ生きていく〜うろ覚えだがこんな歌だ。下級女郎の暮らしというのは飯も少ないし、ただただ辛い。また、西川峰子の死に際も凄かった。肺病にやられた峰子は布団部屋にとじこめられ、血を吐きながら死んでいく。「だれでもいいから抱いておくれよ」と叫びながら。
「赤線地帯」という昭和のモノクロ映画を観たこともある。何がすごいって京マチ子の色気だが、他の娼婦たちも面白かった。中に「弟を大学に行かすためにこの仕事をやっている」という女性がいた。しかし、いざ大学を卒業した弟が姉の職業を知った時、「俺はそんな汚い金で勉強したくはなかった」と姉を拒絶する。弟が大成することだけを願って身を売ってきた彼女は
未来を見失い気がふれてしまう。女にはほとんどまともな仕事がなかった時代。「事務員募集」という新聞広告にだまされて娼婦になった女性たちもいる。大っぴらに語られることも少ないが、これも日本の歴史だ。
下級娼婦に比べ、花魁の生活というのは段違いだ。何よりも客で来た男でさえ、自分の気持ちで袖にできるというのがなかなか画期的な話だ。花魁を座敷に呼ぶにも色々根回しが必要だが、あの花魁行列で迎えに来てくれるというのは鼻高々に違いない。このあと座敷に移って宴を催すが、とんでもない金がかかる。これは花魁と遊ぶということも含め「俺はこれだけのことをできる男だ」という虚栄心を満たす意味もあるだろう。方や花魁は口をきかず、ニコリともしない。運良くねんごろになれたとて、それまでは何回も宴を張り、手紙や句のやりとりなどなかなかにめんどい。だからこそ花魁は本を読み教養を高めるわけだが、この一筋縄で行かないところが本当の「遊び」だったのだろうなぁ。うまくいけば「トロフィー花魁」だし、ダメならダメで笑い話に変えるところが「江戸の粋」だったのやも。
花魁というのは「ツンデレ」な子が流行りだったのかなぁ、などと妄想する。キャバクラ嬢でもツンデレやSっ気で名をあげる娘がいるから。
それにしても江戸というのは面白い時代である。今回はお上も絡むがどちらかといえば町民が主役だ。エネルギーを持て余す蔦重、籠の鳥ながら並外れた賢さと度胸を持つ花の井。今後もこの二人の活躍が楽しみである