テクノロジー至上主義、AI万能論への違和感と疑念

先日、イーロン・マスクが述べていたことに、「2025年末には、AIはどんな人間よりも知能で凌駕するだろう」というものがあった。
 また他にも、レイ・カーツワイルという名のAI研究者は「人類はテクノロジーによって500歳まで生きられるようになる」「技術的特異点は2029年頃にくるだろう」などとたしか述べていた。

このようなテック界の巨人たちの発言に、わたしは強い違和感と疑念をおぼえるものである。そういえば、数年前にユヴァル・ノア・ハラリというイスラエルの歴史学者は、著書「ホモデウス」において、「人類はテクノロジーによって病気を克服し、不死と神性を獲得する」みたいなことを書いていた。
 しかしその後どうなったかといえば、ハラリの予想とは裏腹に、新型コロナウィルスが登場して世界中に蔓延し、これに対して人類は為すすべもなかったことはご承知の通りである。

こうしたテクノロジーへの過信に対して、それではそうしたものが人類や地球にどんな影響を及ぼしてきたか、大ざっぱに振り返りをしてみたい。
 19世紀初頭にはじまった産業革命は、人類の生活を根本的に変えたといえるが、いまも続く公害を生み出し、地球温暖化や気候変動につながる直接の要因になっているとされる。  
 核兵器の存在は、大量破壊兵器としていまだに世界に脅威を与えているし、原子力発電所は汚染水や廃棄物の処理に解決の目処すら立たず、依然として環境を汚染し続けている。
 テクノロジーは武器や兵器の性能を高め、人間を効率的に殺傷できるようになったが、残念ながら戦争そのものをなくすことができていない。この先、AI兵器とやらが登場したら、戦争はどうなるのだろうか?
 医学の進歩は多くの人の生命を救ったと思われがちだが、一方であらゆる抗生物質に耐性をもつ薬剤耐性菌を出現させ、さまざまな薬害や医原病をも生み出してきた
 インターネットやスマートフォンは私たちの生活を便利にしたが、一方でネット依存やネット詐欺を急増させてもいる。また、ランサムウェアで病院のシステムを乗っ取られたり、といったサイバー犯罪やサイバー攻撃も頻発するようになった。

これらの負の側面に目を向けることなく、日々のニュースではテクノロジーや技術の進歩、最近は人工知能の進歩がやたらと過剰に取り上げられているように見える。しかし、過去の歴史をちょっと振り返るだけで、テクノロジーは人間の問題を解決するどころか、むしろ新しい問題を生み出したり問題をいっそうややこしく複雑にさせてきたに見える。
 学者のなかにも同じような懸念をもつ人はいるようで、たとえば京都大学の広井良典教授は二つの著書「人口減少社会のデザイン」「無と意識の人類史」において、テクノロジー偏重への疑念を記していたと思う。広井教授はハラリやカーツワイルを名指しで挙げて、まるで「世界を“有”で埋め尽くす思想」であると批判していた。

それではどうすればいいのか、わたしには分からない。たとえば、「いつか偉大な研究者が現れて偉大な発明をして、人類と地球の未来を救ってくれる…」そういった幻想を少なくとも抱くべきではないと思っている。
 自分の仕事レベルにおいても、AIやロボットがそのうち登場して、介護の重労働をこなしてくれたらどんなにいいか、と正直思っている。たぶん、そうした未来はやってこないだろう。ロボットを作るには半導体が必要で、それは今でさえ逼迫している現状がある。また、膨大な量の電力が必要にもなる。
 このように、テクノロジーとかデジタル社会は見かけによらず、資源を浪費し、地球環境に負担をかけるようなのだ。いま読んでる本の一つに、ギヨーム・ピトロン「なぜデジタル社会は持続不可能なのか」というタイトルがある。
 わたしはAIやテクノロジーに疑念をもちつつ、そうしたことがどんな負の影響をもたらすのか、もっと理解を深めていきたいと思っている。