![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162174341/rectangle_large_type_2_135a3fea0095091afc02a6ec518c2925.png?width=1200)
現代アート小説 富田久留里 浮かぶ青木「みずうみ編」
真っ赤なヘルメットで原付バイクに乗って、みずうみの周りをくるりと回っている。
「もう、何週目だろう?」、彼女はひとりごとを言った。
この風景、何回も見たって思っているから、そろそろ止まればいいんだろうけれど、止まらなくてもいいんじゃないかって気持ちがどこかにあって、いつまでも回っている。
「誰か、わたしを止めて!」
彼女はヘルメットを脱ぎ捨てて叫んだ。
ヘルメットはいつか自然に戻るんだろうか? 風景に溶け込んだ岩のように、誰かが心を動かされて、生い茂った木々とともに、絵に描かれるときが来るのだろうか?
――もっと、スピードを上げて―― どこからか声が聞こえた。
「私に話しかけているのは、誰?」、彼女はあたりを見回した。
――それじゃあ、アスファルトの道しか走れないじゃない。同じところを、くるりくるりと回るしかないのも当然ね――
彼女は、自分を落ち着かせるように、原付バイクのメーターを見た。メーターは、12時00分を指している。いつのまにか、メーターが時計に変わっている。
正午? 朝陽が山からのぼるのを見て、いたたまれなくなって原付バイクに乗って飛び出したっていうのに、もう太陽が真上にあるっていうこと?
――今までの世界から、飛び出したいんでしょ――
その声は、耳から聞こえてくるというよりは、頭の中に直接話しかけてくる感じ。私に話しかけている、ということは間違いなさそうだけれど。
「どうすれば、理想の世界に辿りつけるの?」、彼女はおそるおそる声の主に聞いた。
――もちろん、そこは夢のようよ。そうね、この森に咲いているすべての花と、その花の上で舞っている蝶々と、風景を彩っているすべての色が混ざり合って、その中に自分が溶けていくような感じよ――
「そうなったら、もとの世界に戻れるの?」
――もちろん、戻れないわよ――
原付バイクでどこまで走っても、声の主は追いかけて来る。ずっと遠くで輝く月が、どこまでも追いかけて来るように。
「あなたは、誰?」、彼女は声の主に聞いた。
――そんなことが気になるの? ただの声よ――
「まさか、身体がないの?」
――森の中では、小鳥やセミの姿は見えなくても、声だけで存在しているでしょ。それが突きつめられた感じよ――
「あらためまして、声さん、よろしくね」
――いえいえ、こちらこそ―― 声さんは言った。
![](https://assets.st-note.com/img/1731235912-dVzZuhm4fW7plL6vnYNCOQyk.jpg)
彼女は、みずうみのふもとの砂浜で、膝を抱えて座った。
膝を抱えるのって、世界を眺めるのにちょうどいい。自分が感覚するだけのかたまりになったみたい。
太陽の光は、木々のゆらめきを通り抜けて、肌の上をするすると滑り落ちた。森の濃さのようなものが、感じれば感じるほど濃くなって、自分の感情との境目が消えていく。
そのまま、ぼんやりとかたまっていたら、身体が砂浜に沈んでいった。自分が動けば動くほど、砂浜の底へと沈んでいく。
このままでは、自分がいつか地中の岩になってしまうかもしれない。でも私は、どんな鉱物になるのだろう。自分が生きている色のままでかたまって、いつか誰かが掘り出して、美しいと思ってくれればいいのだけれど。
*
――もうひとつの世界への入り口は見つかったの?――
「あら、声さん、こんにちは」、 彼女は、声に微笑みかけた。
姿がないのに、微笑みかけているっていうのも変なものね。どっちを向けばいいのかわからないけれど。
彼女は、みずうみのほとりの青い木の前で立ち止まった。
「あなただったのね」、彼女は言った。
――違うわよ。あなたが勝手に重ね合わせているだけ。もちろんそうしたいなら、そうしてもいいけれど――
「そうなのかしら?」
――だって、私は見えないはずよ。私はバッサリと切り倒されているのよ。青い目をした男に――
彼女は目をつぶった。心の中に、青い目の男の姿が浮かんで来る。
青い目の男は、青い木を両腕で抱えて自分の部屋に戻った。ナイフをそっと取り出して、青い木を削りはじめる。
青い目の男は、今までに見たことがない青い色を見つけて、どうしても確かめたかったのだ。
青い目の男は、青い目の男なりに、その冷徹な青い目で真実が見たかったのだ。
「ねえ、あなたはもう、そっちの世界にいるの?」、彼女は目を開けて、声に話しかけた。
――よければ、いらっしゃい。ひょいと飛び越えるだけよ――
飛び越えるって、かんたんに言うけれど、どうすればいいの?
彼女は、筆を手に取って、青い木の絵を描きはじめた。
絵の中に、青い木が浮かび上がった。しばらくして、絵の中の青い木が息づきはじめる。絵の中の青い木が、ほんとうの青い木であるみたいに。
顔を上げると、森の中の青い木は、もう見えなかった。
@「不知灯」 2024.4.27 ~ 5.19
art cocoon みらい