今日のおすすめの一冊は、横田南嶺氏の『人生を照らす禅の言葉』(致知出版社)です。その中から「自らに一喝する」という題でブログを書きました。
本書の中に「あきらめない、やめない、ここを去らない」という心に響く文章がありました。
◆《閑古錐(かんこすい)》という禅の言葉がある。
「使えなくなった錐(きり)のことだ。 切れ味の悪くなった錐は、道具としては役に立たない。 しかし、長い年月をかけて、穴をあけ続けてきて丸くなった錐には、ただ鋭いだけの錐にはない、円熟した魅力がある。 禅では、真の修行者のことを閑古錐という」(ほっこり、やさしい 禅語入門)より
かつて連合艦隊を率いて、日本海戦で、当時最強のロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎は、沈黙の提督と言われた。 しかし、若い頃は軽口をたたいてはおしゃべりする軽々しい男だったという。
だが、それでは指導者にはなれないと、自らを戒め、鈍(にぶ)くて重みのある寡黙な提督となっていった。 そして、終生目立つことを嫌ったという。
昨今は、鈍(にぶ)いことを嫌う傾向がある。 それは、鈍(どん)くさいとか、鈍間(のろま)であるとか、鈍感だとかいう言葉で表される。 しかし、「鈍い」の反対の「鋭(するど)い」ことは決していいことではない。
鋭すぎて、人を傷つけたり、理屈をいって行動が伴わなかったり、人のアラばかりが見えてしまうようなことだ。 理不尽な仕打ちや、災いに出会った時は、鈍さがむしろ救いとなる。 「法遠去らず」 ジタバタせず、「鈍」を大事にする人でありたい。
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