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文化の帰結は楽しさと明るさ

今日のおすすめの一冊は、行徳哲男師の『いまこそ、感性は力』(致知出版社)です。その中から「どこがどう同じなのかを探す」という題でブログを書きました。

本書の中に「文化の帰結は楽しさと明るさ」という心に響く文章がありました。

文化というのはカルチャーですからね。カルチャーにはもともと「耕す」という意味がある。コンクリートは耕せませんから、文化人はコンクリートからは生まれない。耕すのは泥や土ですから、本当の文化人はどこか土臭さを持っていると思うんです。目から鼻へ抜けるような人間じゃなくてね。 

同時に耕すには手を道具とした。だから文化は手作りでなくてはいけません。 文化を壊すものはトラクターですからね。 会社でいえば、部下への対応でも一人ずつ指導をしたり悩みを聞いてやったりすることが大事です。手作りでないと文化は生まれませんよ。 

そして耕せばやがて実り、収穫の時期を迎えます。すると鎮守の森で祭りが開かれる。文化の帰結は祭りのどんちゃん騒ぎ、つまり楽しさです。応仁の乱の後の荒廃を救ったのは祇園祭でしたし、政治だって「まつりごと」ですよ。

いまはそういう楽しみ、おもしろみがない。だから国が衰えるんです。文化の帰結は楽しさと明るさです。 

安岡先生は「徳とは無類の明るさのことである」と言われました。 知識や技術は徳ではない。明るく、人好きで、世話好きで、人に尽くすことができる人こそ、徳ある人である。ゆえに徳ある人は元気がいい、と。 

その意味でも、眉間に縦じわが入っているような人は文化人とは言えませんよ。どこかで笑いをとる、楽しさをばらまく、それが文化人です。

天岩戸開きの神話の話がある。

須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴な行動に怒り、天照大神(あまてらすおおみかみ)は天岩戸に閉じこもってしまった。そのため、天細女命(あめのうずめのみこと)が天岩戸の前で桶を伏せて踏み鳴らし、踊り、それを見た八百万の神々はどんちゃん騒ぎをして、大笑いする

楽しそうな笑い声を聞いた天照大神は、何が起こっているのかと思い、天岩戸を少し開けたところ、待ち構えていた天手力男神命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸を開け、世の中に光が差し込むことになったという物語だ。

この物語が意味することは、神さまは、泣いてもわめいてもお願いしても、聞いてくれない。神さまを動かすには、みんなで一緒になって「面白がること」「楽しむこと」ことだ、ということ。

日本の文化とは、まさにこの天岩戸開きの神話の通りだ。ときにはどんちゃん騒ぎをして、笑って、楽しくすごすこと。

「文化の帰結は楽しさと明るさ」という言葉を胸に刻みたい。

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