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天が判断する
今日のおすすめの一冊は、渡部昇一氏の『渡部昇一一日一言』(致知出版社)の中から「人生最大の目的」という題でブログを書きました。
本書の中に「天が判断する」という心に響く文章がありました。
「天が見捨てなければ死ぬはずはない。死ぬのならば、それは不要だと天が判断したのだ」という覚悟が、意外に人を生かすことはあり得ると、私は思います。
孔子のように「自分が文王以来の文明を背負っている」といっている人であれば、その覚悟が「自分は死ぬはずがない」という自信、そしてついには確信といえるほどになっていくのは当然のことでしょう。
志のある人は、イザという場面に当たって、やはり、天がもし私を必要とするならばといった気概で立ち向かわなければならない場合があると思う。そして実際、多くの場合、それで道が開けていったりする。
◆藤尾秀昭氏は『小さな修養論4』(致知出版)の中でこう述べている。
《天我が材(ざい)を生ずる 必ず用(よう)あり》
唐代の詩人・李白の言葉である。材には才能の意味もあるが、身体の意味もある。後者の意を採れば、天は自分という人間をこの世に生んだ、天が生んだ自分には必ず用、即ち役割、使命がある、と解釈できる。
せっかく人間としてこの世に生まれてきたのである。自らの使命に気づき、それを果たさないでは生まれてきた甲斐がない。李白は己の覚醒をこの詩に託したのだろう。
病気や事故など、何か事あったとき、「自分はこのまま死んでしまうのだろうか」と暗澹(あんたん)たる気持ちになるときがある。そんなとき、この言葉をつぶやいてみる。よしや、仮にそこで命尽きたとしても、それは天が決めたこと。それまでの命だったと覚悟する。
また、生き返ったとしたら、それは天が自分を必要としているからだ、とこれまで以上に世のため人のために尽くす。
「天が判断する」
覚悟を促す警句だと思う。
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