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ダブルに損をする
今日のおすすめの一冊は、渡辺和子氏の『目に見えないけれど大切なもの』(PHP文庫)です。その中から「財産としての年月」という題でブログを書きました。
本書の中に「ダブルに損をする」という心に響く文章がありました。
許すということは、損をすることなのかもしれないと思う。 だから、難しいのだ。
もう40年も前のことだけれども、周囲の人たちの無理解に腹を立て、不機嫌だった私に、一つの詩が与えられた。
もしあなたが、誰かに期待した /ほほえみが得られなかったら /不愉快になる代わりに /あなたの方から /ほほえみかけてごらんなさい /実際、ほほえみを忘れた人ほど /あなたからのそれを /必要としている人はいないのだから
貰(もら)えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、こちらがそれを与えるなんて、これでは“ダブルの損”だと、私はその時思ったものである。
ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると「得(とく)になる」ということだった。 “シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさや口惜(くや)しさだけであり、折あらば仕返しをと考える自分だけである。
ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よかった」という満足感が残るから不思議だ。
ダブルの損を実行するのは決して易しいことではない。 まず、相手の立場になる心のゆとり。 「相手こそ、私の欲しいものを私以上に必要としているのだ」と考えることができるこのゆとりは、自分中心に生きている限りは生まれない。
それは一つの“許し”である。 次に、自分を大切にする決心。 相手の出方に左右されず、自分は自分であり続けようという強い意志とプライドが、ダブルの損を可能にしてくれる。
売り言葉に買い言葉的言動をしてしまった後の惨めな思いを、誰しも少なからず経験しているのではないだろうか。
かくて、自分の生活を大切にしたいなら、相手を許さないといけない。 許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるからである。
夫の裏切り行為に苦しみ抜いた一人の人が、その苦しみから立ち直った時にいった言葉が忘れられない。 「傷つけた相手を許すことによって、自立が可能になりました」
許すということは易しいことではない。 しかし、許すことによって、私たちは相手の支配から自由になり、自立をかち得るのだ。 かけがいのない自分の時間を、他人の支配に任せていては、もったいない。
時間の使い方は生命の使い方なのだから。 相手がどのようであっても、自分は“美しく話す”ということは、大変な勇気が要る時がある。 しかし、それを実行しない限り、美しい言葉を相手から聞くことはできないのだ。 求めるものを与える時、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生まれる。 許すこと、損することを惜しんではならない。
◆ダブルの損には、自ら損をしにいくという主体性がある。 ところが、シングルの損は、誰かに損をさせられたという「させられた感」がある。 ダブルの損は、「少し損をして生きる」ということ。
北川八郎氏は、「少し損をして生きる」についてこう語る。 『少し損をして生きていくと、人生のトラブルが少なくなる。 それは、対立や競争がみるみる消えるから。 人に与えることができない人は、逆に少しでいいから自分が損をしてみる。
「損をして生きていく」 すると不思議なことに、自分の周りによき人が自然と集まってくる。 少し損をしてでも人に良きものを与える生き方をすると、逆に今の世の中では目立つ』(繁栄の法則)より
また、「自立」とは、誰かの支配や助けを受けずに、自分の力でやっていくことをいうが、「許し」も自立には大事な要素となる。 もし、誰かを、「絶対に許さない」「一生恨(うら)んでやる」と思ったとしても、それによって、相手は不幸になるわけではないし、相手にダメージを与えられるわけでもない。
逆に、そう思うことで自分は、相手に束縛され、支配される状態になることに気づく必要がある。 それは、いつまでも被害者でいるということ。 許せば、被害者の立場から自由になれる。 許すこと、損することを惜しまない人でありたい。
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