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世阿弥の「面白い」ということ

今日のおすすめの一冊は、世阿弥の『世阿弥 道を極める』(ディスカヴァー)です。その中から「初心忘るべからず」という題でブログを書きました。

本書の中に『世阿弥の「面白い」ということ』という心に響く文章がありました。

■《「面白い」という言葉の定義
 問、「面白い」という言葉がなかった時代、「面白い」はどう表現していたのでしょうか。 
答、「面白い」「花」「妙なる」は、すべて同じ意味である。ただ、これには上、中、下の 区別がある。「妙なる」というのは言葉で言い表せないもの、これを感動と認識するのが 「花」言語化したものが「面白い」である。 『拾玉得花』

■《「面白い」という言葉のルーツ
そもそも「面白い」という言葉は、天照大神が天岩戸を開いたとき、目の前にいた神々の顔が光に照らされているのを見て発したと言われている。
遊楽の「面白」とは無心の境地のことである。無心というのは心を通り越した感動を言う。無心に面白いという心はただ「うれしい」ということだろう。無意識にニヤっとしてしまうようなことなのだ。『拾玉得花』

◆面白さの意味の中に「新しい」とか「珍しい」という視点がある。新しいものや珍しいことが面白いということだ。新しい映画やドラマやショーを見たり、新しいことを学んだり、珍しいものを食べたり、珍しいところへ行ったりすることだ。

まさに、世阿弥の「秘すれば花」という言葉も、秘密にしていたものは珍しい、ということ。それが、面白さになる。誕生日会などで、花束を最初から見せていたのでは、サプライズにならない。隠してあって、突然に見せるから、サプライズになる。それが花であり、面白いということ。

世阿弥の「面白い」という言葉を胸に刻みたい。

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