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目の前の一人ひとりを大切にすることの意味

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』(イースト・プレス)です。その中から『「当たり前」の水準』という題でブログを書きました。

本書の中に「目の前の一人ひとりを大切にすることの意味」という心に響く言葉がありました。

「運命」というのは、「運ばれてくるもの」「運ばれてくる命題」のことを言います。つまり、自分の意志で何かを決定できる、という状況のときに起きてくる「現象」を指します。 


「運ばれてくるもの」というのは、大変面白い表現です。何によって運ばれてくるのかと いうと、「運命」とは、「人」によって運ばれてくるのです。人生は、人との出会いによっ て組み立てられているらしいのです。 私たちは、一人ひとりを本当に大切にしているか、ということを常に考える必要があり ます。


例えば、手紙をくれた人に返事を書こうと思いながら、つい書きそびれて月日が 経ってしまい、いつの間にか、もう忘れてしまうということは少なくありません。同じように宅配便で何かを贈ってもらったとき、すぐにお礼状を出せばいいものを、「そのうちに」と思っていると、先方から電話があり「着きましたか」と聞かれることになる。 


贈ってくれた人は、何もお礼状が欲しいのではなく、ただ届いたかどうか、確認したいだけなのです。 ですから、「届きました。ありがとう」というお礼状を出す(あるいは電話をする)ことが、その人を大切にすることになるのですが、私たちは、ついついなおざりにしているような気がします。


一人ひとりを本当に大切にしているかどうかで、実は、その人の「運命」は決まってくるのです。「運命」というものは「人が運んで来るもの」。その、運んで来てくださった人に「感謝」し、「手を合わせる」、ということを続けていると、その人の人生は、「うれしさ」 や 「楽しさ」「喜び」に満ちたものになっていくでしょう。


ですから、極端に言うと、「運命」には「運が良い」とか「運が悪い」ということはあ りません。実は、「運が悪い人」というのは、目の前の「運」(人)を見過ごしている(大切に思っていない)ということにほかなりません。


一人ひとりを大切にしている人は、必ず良い「運命」を手に入れることができます。 つまり、「運命」というものは、「人によって運ばれてくるもの」で、それを運んでくれる人は、「運んでいますよ」と声高に言うことはない。ただ黙々と、目の前を通り過ぎていくだけなのだ・・・・・・と。 


しかも、その通り過ぎていく人数は、誰に対しても平等です。 ただ、それをしっかり見ることができるかどうか、ということです。 「運に恵まれている人」というのは、別に次から次へと「好運がやってくる人」という人ではありません。一人ひとりを、とても大切にしている人なのです。 


人との「出会い」 や「つきあい」を大切にしていくかどうかで、自分の将来が決まっていく、ということに気がつくといいと思います。 人を、一人ひとりを大切にしない人に「好運」はありません。つまり、よいものが運ばれてくることはないのです。


逆に、一人ひとりを大切にしている人(社会的な地位や身分 というものには関係なく、人間一人ひとりを本当に大切にしている人)は、「好運」を手に入れています。それは、金銭的、経済的にプラスになるということではなく、目に見えない「運のよさ」というものです。


 「今まで自分は、運が悪かった」 「ツイていなかった」と嘆く人は、もしかしたら、一人ひとりを大切にしてこなかったのではないでしょうか。もう一度、自分の日常生活を見直してみましょう。経済や、報酬、仕事というものにかかわっていなくても、自分と縁のあ る人、出会う人、というのが必ずいるはずです。その一人ひとりを、できるだけ大切にしていく。そうすることで、今までにない「好運」な日々が展開していくことでしょう。


ほんの一瞬、出会った人がもし運命の人だったとしたら、誰もがその人を大事にするでしょう。しかし、実際には、誰が運命の人であり、運を運んでくる人なのかは分からないのです。すると必然的に、目の前を通り過ぎる人、一人ひとりに丁寧に向き合うことしか選択肢はなくなります。

それは、誰に対しても「威張らない」「丁寧な言葉をかける」「挨拶をする」「お礼をいう」「感謝する」「返事はすぐに書く」「笑顔で接する」「愛語を使う」等々。

目の前の一人ひとりを大切にする人でありたい。

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