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「面倒」だからこそ、する
今日のおすすめの一冊は、渡辺和子氏の『幸せはあなたの心が決める』(PHP研究所)です。その中から「依頼心と甘えを捨てる」という題でブログを書きました。
本書の中に『「面倒」だからこそ、する』という心に響く文章がありました。
「面倒だ」と思った瞬間、「だから、しない」のでなく、「だから、する」こと。
他人様(ひとさま)が入っていらしたら、立つ。他人様とお話しする時はマフラー、手袋を外し、コートも脱ぐ。ポケットから手を出す。これらのことを、気の向く時、気の向く相手にだけするのではなく、自分のあり方として守ってゆく時、それはいつしかさまになり「美しさ」へと変わってゆくものです。
よく新聞などに、コツとでもいうものが書かれていることがあります。「こうすると、案外、むずかしいと思われていたものが、やさしくできますよ」といった、生活の知恵的なものです。先日、そういう欄を見ていて、心を打たれたことがあります。
それは、とかく汚れやすい洗面台のあたりを、絶えずきれいに保つにはどうしたらよいかということが書かれてありました。「使った後、こまめに拭(ふ)くことです」という回答に、私はいたく感心してしまいました。
こういうことがコツとして書かれている。今や面倒なことをせずともインスタントできれいになる、とった特効薬的なものが幅を利(き)かせている時代に、「なんでもないこと」がたいせつにされていることが、とても新鮮に思えたのです。
心も、こまめに拭いていたら、きっときれいになるだろう。そんなことを考えていました。
《「面倒」だからこそ、する!》
「何でもないこと」をおろそかにせず、続けていくことをたいせつに。
◆鎌倉時代の武士、北条重時にこういう言葉がある。
「たとえ身分の低い者であっても、見送りをしてくれるならば、馬をそちらの方向に引き向けて、丁寧に礼をするといいだろう。身分の低い者でも、帰る際には少し見送ってやるのがよく、とにかく、人よりも余計に礼を尽くすのがよろしい」
現代なら、部下や目下の人、あるいは取引業者等々に対しても礼を尽くすということ。相手への敬意がなければ、礼を尽くすことはできない。
礼を失した失礼な行為とは・・・
「ポケットに手を突っ込んだまま話す」
「相手が立っているのに、こちらは座ったままいい加減な挨拶や礼をする」
「お客様がお見えになったり、お帰りになる時、座ったままで立たない」
「挨拶の時でも、平気で帽子をかぶっている」
「相手が話しているのに、自分は下を向いて携帯をいじっている」
面倒だからこそ、やらなければならないことは多くある。
面倒だからこそ、する人でありたい。
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