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嫌な先輩もまたよし
今日のおすすめの一冊は、松下幸之助氏の『すべてがうまくいく』(PHP研究所)です。その中から「終生学び続けること」という題でブログを書きました。
本書の中に「嫌な先輩もまたよし」という心に響く文章がありました。
たとえばね、若い人が学校を出てどこかの会社に入る。そうすると、いろいろな先輩がいて何かと指導してくれると思います。しかし、すべての先輩が親切にしかも上手に指導してくれるかというとそうでもない。自分の仕事は熱心にするけれど、後輩の指導は苦手だという人もいますからね。
また、先輩と仰いで申し分のない人、つまり、人格の点からいっても、仕事の面、経験の面からいっても申し分のない人がいる反面、先輩として、ある面ではいささか問題があるという人もいるかもしれない。
その場合、不平不満が起こり、心が動揺するということもあるでしょうな。しかし、ほんとうはそういう職場に入ったことを感謝すべき一面があると思いますね。というのは、芸ごとでも何でも、非常にいきとどいた師匠のもとからはあまり名人は出ないように思うからなんです。
むしろ、いわば非常識な師匠のもとで修行し、みずからコツを会得した人が名人になる場合が多い。もちろん、常識的にはいい指導者につくということによって、やはりそれだけ上達するということはいえると思います。
けれども、画期的なというものは生まれにくい。すべて師匠の通りにするということになりがちだからなんでしょうね。反面、師匠が非常に無理解であると、当然ほめられていいところをボロクソに言われる。やめてしまおうかという思いをこらえて、辛抱に辛抱を重ねて修行した結果、その師匠を超えるような名人になった、そんな例をぼくはしばしば聞くんですよ。
だから、理解ある先輩につくことができれば、それはまことに結構なことですし、感謝すればいい。しかし、そうでない先輩についても、“おれは名人になれる”と考え、懸命に仕事に取り組めばいいと思います。
その方が楽しく仕事ができますし、自分にとってプラスになるでしょうからね。またね、たとえば、狭いとか、暗いとか、人間関係がおもわしくないとか、自分の職場にいろいろと不平不満があるとします。けれど、不平不満だけに終わって“この職場はダメだ”と思ってしまったら、さらに気分が落ちこむだけですね。
何をする気も起こらなくなる。そんなときは見方を変えてみる必要がありますね。不平不満があるということは、自分からみてよくない点があるということです。ですから、そのよくない点を是正していくためにはどうしたらいいか、そして多くの人に喜んでもらうにはどうすればいいか、ということを考えてみる。
そうすれば、仕事に興味もわいてくるし、よし改善してやろうという勇気もわいてくるのではないでしょうか。そういう物の考え方がないと、力強い仕事はできませんし、世の中の進歩発展もないだろうと思うのです。
◆嫌なことや困難なことも、過ぎてしまったら、「あれがあったから今の自分がある」「あのことがあったから、結局はよかったのだ」と思うことは多くある。
人間は、やっかいなことに、何の嫌なこともなく、困難もなく、人生が波風なく順風満帆に過ぎていったら、フシのない竹のようになってしまう。
「竹にはフシがある。そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ」(本田宗一郎)
無理解な上司も、思い通りにならない日常も、すべては自分を磨いてくれる砥石(といし)。見方を変え、素直な気持ちで自分を少しでも高めたい。
「嫌な先輩もまたよし」という言葉を胸に刻みたい。
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