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「対面同席五百生」とは

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『笑顔で光って輝いて』(清談社)です。その中から「理不尽なことに対して」という題でブログを書きました。

本書の中に『「対面同席五百生」とは』という心に響く文章がありました。

ある講演会場に、三年前に夫を亡くし、いまも泣いているという五十代の女性がいました。この女性は、亡くなった夫をとても大事に思ってきたのです。その思いと、他人との差が大きければ大きいほど、辛さが大きくなるようになっています。

この女性のように「特定の人しか認めない」という考え方だと、宇宙の法則として少ない量の愛情しか流れ込んできません。「投げた量」が「戻ってくる量」なのです。

人間は、目の前にいる人がすべて大切で、同じ重さを持っています。講演会場で、見ず知らずの人が隣に座っていたとします。この人とはきょう、初めて会うと思っているかもしれませんが、実はお互いが生まれる前に、隣り合って座ろうと約束してきました。

お釈迦様の言葉に、「対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)」というものがあります。対面し、同席している人は、最低でも五百回、人生を一緒に過ごしているという意味です。

縁のある人は、これまで前世で何百回と一緒に過ごしてきた仲間です。他人という名の家族であり、家族という名の他人でもあります。特別な人を特別に思っているあいだは、神様や宇宙は味方につきません。

特定の人でなければいけないと思っている場合を、「我が強い」といいます。家族や恋人だけが特別という考え方をやめて、目の前の人をすべて同じように見られるようになると、神様や宇宙が味方になり、素晴らしい人がどんどん現れてくれます。

周りに投げかける量が多くなればなるほど、大量のお返しをいただくようになります。そういう人に、神様や宇宙は無限の支援を与えるようです。

◆最愛の人との別れを惜しむことがいけない、と小林正観さんは言っているわけではない。

それは、例えば、人間は何百回と生まれ変わるという輪廻転生を信じるなら、この現世で出会った特別の存在である最愛の夫や子どもや友人も、何百回と生まれ変わる中のワンシーンにすぎない、ということになる。

来世では、今ご縁のある人たちが、夫や妻や子どもや親戚や、友達や上司や部下になったりと役割を変え、立場を変え、何百回も一緒に過ごすという。だからこそ、繰り返し会う夫婦や兄弟、子供、両親、友人、そして、何十人、何百人の会社や学校、知り合いの人たちのとの出会いは、奇跡のようなご縁であり、特別なことなのだ。

「対面同席五百生」

出会う人の誰もが特別な人。どんな些細なご縁も大切にする人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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