見出し画像

一級の人物とは

今日のおすすめの一冊は、城野宏氏の『東西古今人間学』(不昧堂出版)です。その中から「変化できる人は、人の話を聞ける人」という題でブログを書きました。

本書の中に「一級の人物とは」という心に響く文章がありました。

一級人物というのはどういう人かわかりますか。それは、本人が何もいわなくても相手の気持 や行動が理解できる人をいいます。三国志でいえば諸葛孔明や曹操のような人物を指します。

では二級人物はどうですか。そうです、相手が説明してくれなくては作戦が立てられない人です。 

三級というのはどういう人ですか。そうです、説明してもわからない人物をいうのです。そういう人は、自分のことしか考えない人です。こういう人は世の中に随分います。相手のことを考えない、自分のことしか頭にないという人は随分多いんです。 

私がこれまで言ってきたように、老人性饒舌(じょうぜつ)症になってはいけません。こういう人は人の話を聞かないで自分の話ばっかりするんです。だから相手の気持や行動がわからない。 

こういうように考えてくると、人の上に立つ人は、あるいは人より優れた人物になろうとする人は、一級人物にならなければならないと思うのです。

◆人の話を聞けない人は、自分の考えに凝り固まっている。自分を変えようとも思わないし、進歩しようとも思わない。自分を磨く、自分を高めるという意識のない人だ。これは、年齢を重ねると、多くの人がそうなっていく。新たな勉強をせず、過去に生き、過去の思い出を強化する人だ。

若い人の中に入っていけない。そして、「近頃の若い者はダメだ」「軽薄で嘆かわしい」という4000年前のエジプトの時代から続いている若者批判やお説教になってしまう。

とりわけ、若い人の話を聞ける人は、若い人に教えを乞うこともできる。年を取れば取るほど、自分より若い人を先生にする必要がある。

そして、老人性饒舌症の人は、自分が偉そうであり、傲慢になっていることに気づかない。だから、若い人の中に入っていけない。たとえ老人であっても、可愛げがなければ、教えを乞うことはできない。傲慢の真逆にあるのが、可愛げ。

一級の人物は人間関係の達人だ。それは、人の気持ちや行動が分かるとということ。

いくつになっても、人の話を聞ける人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?