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人物とは言葉である

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな人生論』(致知出版社)です。その中から「苦難は幸福の門」という題でブログを書きました。

本書の中に「人物とは言葉である」という心に響く文章がありました。

関西師友協会副会長・豊田良平氏が安岡正篤師に初めて手紙を書いたのは十七歳の時であった。 『童心残筆(どうしんざんぴつ)』や『東洋倫理概論』を読んだ感動を直接伝えたかったので ある。

だが、期待していた安岡師からの返事はなかなか来なかった。あきらめかけた頃に届いた一通の封書。返事の遅れを詫び、結びにこうしたためられていた。 

「求道(ぐどう)は一生のことである。そのためには冷に耐え、苦に耐え、煩(はん)に耐 え、閑(かん)に耐える。これをもって大事をなす」 

十七歳の少年の心に火がついた。豊田氏は安岡教学の研鑽に生涯を懸けることになる。 その三年後の昭和十六年、豊田氏は出征して中国に渡り、戦火の中を転々とする。 黄河のほとり、運城(うんじょう)でだった。古本屋で一冊の本を見つける。安岡師の著書 『続経世瑣言(けいせいさげん)』である。

この本は中支(ちゅうし)からマレーシアまで六千キロを転戦した豊田氏と行を共にした。 中で「人物学」の一節が豊田氏をとらえた。

 「人物修練の根本的条件は、怯(お)めず臆(おく)せず、勇敢に、而(しこう)して己を空しうてあらゆる人生の経験を嘗(な)めつくすことです。 人生の辛苦艱難(しんくかんなん)、喜怒哀楽、栄枯盛衰、そういう人生の事実、生活を勇敢に体験することです。その体験の中にその信念を生かして、初めて吾々は知行合一的に自ら人物を練ることができるのです」 

ここに豊田氏の生涯のテーマは定まったと言えよう。豊田氏はよく言われたものである。 

「古典をどれだけ知っているかではない。いかに人物を練るか。いかに人物となるか。それが安岡教学の神髄だ」 

六十歳を過ぎ、豊田氏は元京大総長・平澤興氏と出会う。 

「あなたこなたのおかげ」「いまを喜びなさい」「人に希望と喜びを与えるのが最高です」・・・豊田氏の口からこんな言葉が出るようになったのはそれからである。 

「安岡先生との出会いだけだったら、自分は堅苦しい人間で終わっていたろう。 平澤先生と出会って、新しい世界が開けた」 豊田氏のしみじみとした述懐(じゅっかい)を思い出す。 

言葉によって運命を拓いていった人生。それが豊田氏の生涯であったと言える。 

人物とは言葉である日頃どういう言葉を口にしているか。どういう 言葉で人生をとらえ、世界を観ているか。その言葉の量と質が人物を決定し、それにふさわしい運命を招来する。運命を拓く言葉の重さを知ら なければならない。

◆人はどんな言葉を発するかで決まる。その言葉が軽く浅薄だったら、軽く浅薄な人だ。その言葉が重く深く、厚みがあったら、重く深く厚みのある人だ。

まさに、中国明代の儒学者である呂新吾(ろしんご)が 、名著『呻吟語』で「人物について」語っている 

深沈厚重(しんちんこうじゅう) 是第一等素質
磊落豪遊(らいらくごうゆう) 是第二等素質 
聡明才弁(そうめいさいべん) 是第三等素質

安岡正篤氏はそれをこう語っている。

第一等の人物は、深沈厚重どっしりと落ち着いて深みのある人物だ。
細事にこだわらない豪放な人物は第二等の人物。
頭が切れて弁の立つ人物は第三等である、と。

「人物とは言葉である」という言葉を胸に刻みたい。

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