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父親は字が読めない板前だった

今日のおすすめの一冊は、『1分で心が震えるプロの言葉100』(上阪徹/東洋経済新報社)の中から、秋元康氏の言葉です。その中から「止まっている時計」という題でブログを書きました。

本書の中から土屋恵一郎( 前明治大学長)氏の「父親は字が読めない板前だった」という、心に響く文章がありました。

明治大学は高校生、とりわけ女子には1、2を争う人気大学になっている。新学部設置や新たな入試の仕組みづくりなど、大学変革に深く関わったのが、土屋さん。法学部教授の一方、能のプロデューサーとして100以上の舞台を手がけた。華道と組み合わせる、カフェを会場にする、ファッションデザイナーに衣装を頼むなど、型破りな取り組みで能に脚光を浴びせた。
父親は小料理屋を営む板前。母親は壁塗り職人の娘だった。「父は群馬の山奥から尋常小学校だけ卒業して出てきました。漢字は読めなかった。だから、献立表は母が作っていました。ふりがなを振ってね。父が生涯で読んだものは、競馬新聞だけだと思う。ふりがな振ってあるでしょ(笑)。馬の名前はカタカナだし(笑)」
無粋で真っ直ぐで不器用な生き方をしていた父親は、自宅にはほとんど戻らなくなった。 「家庭らしい家庭はなかった。よく言われたのは、そういうところから大学の教師が出てくるなんて珍しい、と。だいたい親が知識階級だったり、大学を出ていたりするでしょう」
学校を出たら板前になるつもりだった。 「これは僕の人生観ですけど、人間の中身なんてものは、ほぼ空なんです。だから、満たしてくれるものがあるなら、突き進めばいい。親は命を与えてくれ、食べさせてくれた。でも、それ以外は一切与えてくれなかった。もし何かチャンスがあるなら、世界であろうと日本であろ うと、恐れることなく飛び込んでいかないといけない。それが人生なんです」
考えたところで人生の答えなど出ない。本能に従って、突き進んでいけばいいのだ。

曽野綾子さんの両親は不仲だったといいます。しかも、父親がDVで母親は四六時中ビクビクして暮らしていたそうです。

「私は両親の暮しを見ていて、人間の生涯というものは、どう考えてもろくなものではなさそうだ、と思いましたから、それ以後、不幸にあまり動揺しなくなったんです。何ごとにも一歩下がって見る癖がついたのです。すると、人間のどんな生活にも、悲しいけれど、人間を鍛える面があるということがわかりました」(思い通りにいかないから 人生は面白い/三笠書房)

両親の仲が良くて、教育熱心、そしてお金も潤沢にあるにこしたことはありません。しかし、そうではなくて、辛くて厳しい環境で育つ子供もいます。昨今は親が問題だ、という視点からしか見ない論調が多いですが、ひどい環境で育った子どもが成功する例も多くあるのも事実です。

結局は、すべて本人の考え方、見方が人生を決定するということです。人のせいにする、環境のせいにする人は、真の意味で成功することはできないと思うのです。


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