半年の戦い。1日も休みなく、壮絶な日々。元気に彼は帰りました。まだまだ戦いは続きますが、一つ乗り越えました。 そして、今また一つの命をかけた戦いへと。 たとえどんなに厳しい戦いでも、一緒に戦ってくれる主治医と看護師や他のスタッフがいて、信じて戦えれば、彼女は前向きに生きられるはず。自分の全てをかけて、治しにいく気持ちで向き合えるのか。10人に1人でも2人でもその中に入れるように、針の穴を通すような作業をあなたはやり続けられますか? それが背負うという意味です。と自分に言い聞か
突き抜けた気がした。 やはり、環境を変えて、そこで新たな自分を見つける作業って大事。
アンパンマンは人が喜んでくれることが一番うれしい。決して最強ではないが、身近な人の幸せを願い、困った人を助けることこそが正義と。 「愛と勇気」 アンパンマン 時として自分の顔をあげてでも人を助ける。そこまで自己犠牲を払っても、ニコニコして生きている。 目指せ、アンパンマン。
光がみえて、道が。 半年長かった。 奇跡は、それを信じる患者さんと看護師さんと主治医にしか起こらない。 誰かが諦めたら終わり。 もう助からないかもしれない、ギリギリのところを、なんとか乗り越えたかな。 まだまだ戦いは続くけど、ひとまず退院でき、外来での治療へ。 そして、すぐにまた次の戦いが。 医師人生をかけて、PIRにgvl効果を期待して勝負に行きます。絶対に助けるんだ、という覚悟を持って。 この壁を乗り越えたら、また新しい世界が開けるはず。
思いを言語化することは大事。 言葉にしてはじめて意識できる。誰かに伝えようとすることで、言った言葉に責任が生じる。色々な不満、希望、思いは、できるだけ言語化すること。自分の中で問題意識にするには、言語化しなければ、意識できない。
ひとはなにかに依存して生きたりしている。 じゃあ、俺は、何に依存しているのか。 息子に言われた。お父さんは、患者さんに依存しているね、と。 彼なりに感じた言葉だったのかもしれない。最近自分でも、そう思っていたところに、息子がそういった。 確かに、患者さんのために全てをかけているように見えるかもしれないし、実際そうなんだろう。 自分が自分であるため、生きる力やモチベーションは全てそこにあるのかもしれない。 だからこそ、今目の前にある困難や壁をなんとかしたい。結果なんて後からつい
変えていくには。 ってなんか難しい話ですが。病に悩む目の前の患者さんに未来の教科書がある、と昔のお医者さんはいいました。今でもその感覚をもって、目の前の患者さんに向き合っている医師はどれくらいいるのか。 今のエビデンスではなかなか救えない人をいかにして救いにいくのか。エビデンスを越えた医療を展開する覚悟とそれに対峙する覚悟の積み重ねが、未来の医療を変えていく。 今救えないと思っているあなたが、目の前の患者さんを救いにいって、必死に戦った先にある世界を見に行こうとしなければ、何
3年生存が、10人に1人から2人しか助からない。そこを2人から3人にするためにひたすら向き合ってきた世界。 そんなレベルの話。 他の施設ができない、やらないというものを引き受け、なんとか勝負の土俵に立たせて、全てを引き受けてやる。 そんな世界で鍛えられた、あの日々があるからこそ、今がある。だから、今の医療が展開できている。 何が正解か分からないけど、生きたい、という思いにひたすら向き合う。 はたからみたら、どうしてそこに頑張れるのか、費用対効果は悪いだろう、助からないものにど
専門家って、なんだ? よく移植適応とか、適応でないとか、って言うけど、自分の手で、移植をしてきていない人が、移植適応を語るのがマジよくわからない。自分でやってきて、助けたことがあるもの、助けられなかったもの、があって、ガイドラインがあって、そのガイドラインを越えた世界があることも知っていて、移植を語れるなら、わかるが。 世の中、自分で手をうごかさないやつが物を語っていたり。外科の世界だって、術者が物を語れるのであって、評論家は物を語れないだろうに。 このあたりのことを、医療ス
命の瀬戸際で勝負しているとき、患者さんは主治医の表情や振る舞いをじっ、と見ているように思う。主治医の表情から、色んなことを読み取る。患者さんは全て感じとるんよ。 だから、どんなことがあっても、自然とついてくる。そういうことが最近多くなった。最近というか、この数年だけど。 主治医の覚悟なんて、すぐに伝わるんよ。そのレベルに来たら、あとは必死に考え、医師が患者さん以上に悩んで、必至に答えを見つけるように探すしかない。 正解になるように、一歩一歩丁寧に診療しながら、突き詰めて考えて
って、地球より重い? 口ではそういうけど、どれだけの医療従事者がそれを真に思っているのか。 ガイドラインやエビデンスを重視し、生きたいけど、生きられない人にエビデンスを突きつけ、これは助からないと語る。これが医療の半分以上の真実です。 しかし、そのエビデンスを目の前の患者さんに当てはめてよいのか、エビデンスから目の前の患者さんに提供できる医療は何なのか、必死に考えぬいて、患者さん以上に医師が苦しんで向き合わないといけないと思っています。 目の前の患者に、未来の教科書があるので
簡単です。挑戦しつづけないからです。 多くの人は、多くの時間をコンフォートゾーンで過ごしています。どんどん成長できる人は、ラーニングゾーンで過ごしている時間が多くなります。 実はワタクシは、わざとパニックゾーンになるレベルに身を置くようにし、そこで冷静に対応できるような意識を置いています。そうしているうちに、パニックゾーンにいてもそれを楽しんで対応できるようになるものです。そうやって、パニックゾーンが勝手にラーニングゾーンに変わっていきます。 いかにラーニングゾーンを多くす
エビデンスは大事。だけど、そのエビデンスをもとに、目の前の患者によりよい医療を選択していく事が大切。 エビデンス通りの治療をして救われる患者さんはエビデンス通りしていればよし。 エビデンスでは助けられない可能性、適応ではないと切り捨てられる患者さん。→そのときに、患者さんや家族がそれでもいきたいと強く願うときに、あなたはどうしますか? そんな現場で、切り捨てられる患者さんを、全部受け入れて、ゼロベースで話しをし、向き合っていく施設で、ずっと臨床をしていたから。そこで、助からな
では、こうだからこうって。 そればっかりいってる人って、しょうもない。 目の前で展開している医療が、どのレベルなのか、わからない人に、そんなこと言われても。 エビデンスで救える人はね、エビデンス通りで救えばよいさ。 エビデンスで救えない人に、どうやったらよりよく過ごせるか、本人が生きたいならどうやって向き合っていくのか、それが現場の医療です。 目の前の患者さんの中に未来の教科書がある。患者さん以上に医師が悩み苦しまないで、どうやってよりよい医療ができるねん。エビデンスを超えた
限界とか無理だと思うこと、感じてしまうことを見直してほしい。そこにあなたの成長できる余地があるから。あなた自身がそう思ってしまっているだけで、ある人は、そんなことも軽々と挑戦して乗り越えていったり。 助けられない、って思ってるのはあなたの思い込みかもしれない。イノベーションやパラダイムシフトはそこから生まれるかもしれない。それにチャレンジし、乗り越えていく感覚、あきらめない強さ、が少しでも周りに伝えていくことができれば、本望。 自分が、医療で限界に挑戦できるのは、自分がやり方
何かを知るのは大事。 そこで勝負しにいけるから。 でも成長するためには、武器を磨くと同時に、自分を変えていかなければならない。 自己否定や、それでいいの?という問いかけが必要になってくる。 その両立はある意味、大変だ。 しんどくなったら立ち止まって、深呼吸をしてみよう。