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認知されるということ=肯定されるとは限らない

2018年12月から書き始めた音楽文の投稿数が2020年6月で30本(+α)に達したので、そろそろ筆名を変えるのもアリかなと考えている。

HYDEさんの言葉を拝借すれば、「HYDEだから聴かない」と思われるのが嫌で、あまりHYDEを知られていない海外で挑戦したいという気持ちが少し分かるようになった。

いわゆる常連になってしまうと、「この人の記事だから読む」という場合と「この人の記事だから読まない」という場合が生じてしまって、私の場合は後者になりつつあるなと実感しているから、時々名前を変えようかななんて思ったりする。
いつも同じようなことばかり書いているから、新鮮味がなくなって、飽きられるというのもあるだろう。

リアルで人間関係不器用な人は、ネット社会に逃げ込んでも、結局不器用なままで。リアルで人気者はネットでも人気者で。私は元々、他者から好かれるタイプではないし、自分自身でも自分のことが嫌いだから、何かを書いた所で、多くの支持者は得られない。
好かれたいとも思わないというひねくれ根性もあって、どうしようもない。けれど、本当に本を作ったとして、多少なりとも人気がないと、誰からも買ってはもらえないだろう。それは困る。世の中、人気者の方が何をするにも得をするようになっている。

名前を変えたところで、文体は変えられないから、あの人じゃないかとバレる可能性もあるし、ツイッター等で自ら宣伝することはできなくなってしまうけれど、もうひとつくらい違う筆名があったら、書きやすくなるかなと思う。
まぁ、そもそも後何本書けるのかも不明だから、そんなに考える必要もないけれど。

それはさておき、フジファブリックに関してこんなに音楽文に書くことになるとは、想定外だった。「四季盤」について書いたばかりだし、「光あれ」に関しても当初は書くつもりなかったのに、リリースされたばかりだし、今書かなきゃタイミング逃すよなと思い、書いてしまったら、審査も最短、すぐに掲載していただいた。

一応国語を教えている身で、今回のタイトルは国語的にまずいと分かっていて、ああいうタイトルにしてしまった。
まず「捕える」は、本当は「捕らえる」という送り仮名にしたかったけれど、32文字という字数制限があり、上限ギリギリで、仕方なく「捕える」という表記にしてしまった。「捕える」だと「捕まえる」と紛らわしいし、学校では「捕らえる」と教えることが多いらしい。
サブタイトルもよくよく見れば、文法的におかしい。
<闇が漂う世界に「光あれ」>と一番最初に考えたものに、後から「消えるな太陽」を足してしまったため、「に」に違和感が生じる。
<闇が漂う世界で消えるな太陽>または<闇が漂う世界から消えるな太陽>とした方が自然な気がする。
でも「光あれ」の方にかけた助詞なので、「に」にしないとやっぱりおかしい。
<闇が漂う世界で「光あれ」>、<闇が漂う世界から「光あれ」>では意味が通じない。なので結局「に」という助詞を使用した。
<闇が漂う世界に消えるな太陽、照らせよ志村正彦「光あれ」>
と志村正彦という名前も入れようかとも考えたけれど、いつも志村くんに頼っているから、今回は志村正彦という名前は省いた。
本文もいつものように、長すぎたり、ねじれている文や言葉のミスがあると思うけれど、とにかくタイトルが完璧ではなかったことは反省点である。

懲りずに、いずれまた2、3本はフジファブリックについて書くかもしれない。おそらくフジファブリックのファンから白い目で見られているだろうけど、それも仕方ない。こうなることも想定して、取材を受けたのだから。目立ってしまうファンはこうなる宿命というか。
ちなみにHYDEさんの方ではファンから認知されていないファンなので、音楽文もけっこう読んでもらえた。隠れファンの方が、支持してもらいやすいと分かっている。
中には隠れてもいないし、それぞれのアーティストファンの中で有名なファンとして人気のある人もいるだろうけど、それは稀だと思う。たいてい目立つファンは煙たがれるだろう。
つまり私は煙たがれるのを承知の上、書いている。否定されたり嫌われるのを恐れて何もしない自分はもう卒業したから。自分にはそれほど時間は残されていないと思い込んでいるから、なりふり構わずひたすら書くのみ。

セミオトコの登場人物で言えば、元医者で自ら「余命僅か」と言いながら、けっこう長生きしている人・小川さんと似たようなタイプ。案外長生きできるのかもしれないけれど、でも予想通り短命の可能性もあるから、書けるうちに何でも書きまくるという生活を送っている。

本当に目指すところは童話作家なので、今週はひらめいたばかりの
「ツバメを育てた二羽のカラス」という鳥の童話を二つ書く予定。
①やさしいカラス②したたかなカラス
という性格の違う二羽のカラスがそれぞれツバメのヒナを育てる話の二本立て童話。
でもこれ、よく考えたら「カモメに飛ぶことを教えた猫」に近い。読んだことはないけれど、あらすじだけ知っている。いつも無意識で似たものを書いてしまうから、やっぱり私はあまり情報をインプットしない方がいい質かもしれない。作家になりたいなら、もっとたくさん読んだり見たりした方がいいって言われたこともあるけど、読んだり見たりすると作品に寄せてしまうことがあるのが弱点。
完璧なオリジナルストーリーを描けるようにならないと、生業としては成立しないだろうな。

でもRADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」で歌われているように

<愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした>

本当に完全にオリジナルのものなんて、今の世の中で生み出せるのかとも思う。あらゆる作品、物語は、想像し尽くされて、描かれ尽くされている気がする。

どこかで読んだ、聞いたことのある話になってしまったとしても、そこに自分らしい個性をひとつでも残せたら、読んでもらえるのかなと希望を捨てずに書いている。

<僕にできることはまだあるよ>

と言えるようになりたい。

   #音楽文   #フジファブリック   #志村正彦   #光あれ   #童話   #筆名

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