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『おかえりサヤカ』~「おかえりモネ」新田サヤカの過去〈後編〉~

〈前編〉の続き

 「朝岡さんのこと…息子さんって冗談言ってましたが、半分はほんとに息子さんみたいなものなんですね。それに、子どもを産んだことはないってそういう意味だったんだ…。父から聞きました。サヤカさん、林間学校の子どもたちを見て、他人の子どもでもあれだけかわいいんだ、自分の子どもだったら、もっとかわいいって思うのは当然だって言ってたって…。お子さんいらしたんですね。」
「サトルくんは子どもというより、同志だわね。生き残った者同士の絆があるというか。生き残ってしまったって罪悪感を分かち合うことができるのは、彼しかいないし…。彼はお母さんと弟さんを亡くして、私はおなかの子と檜木さんを亡くした。大雨と山に大切な人たちを持っていかれて、どうして自分だけって思ったと思うのよ。サトルくんも。でも生かされたからには、生かされた意義を見出したかったんだろうね。だからきっと気象予報士になったんだよ。私なんて、その後もたいした人生送れなかったけれど…。サトルくんは立派だよ。」
「朝岡さんにも過酷な過去があったんですね…だからあんなに命がけで空と向き合っているんだ…。それで東京に行ったサヤカさんはどうなったんですか?」
「東京に行った私は…恋愛はもう忘れようって思ってね。自分が誰かを本気で好きになって、結婚を考えてしまえば、その相手が早逝してしまう気がして。一回ならともかく、二回も立て続けに、大切な人を失うと怖くなってしまって…。東京で「自分はこれだ」って思えるものを極めてみようって思ったの。三十歳過ぎた自分に何ができるか考えたわ…。長崎で…土砂崩れに巻き込まれた時、サトルくんと一緒に歌った唄が忘れられなくてね。どうしようもなくなった時、音楽で人を勇気付けることができるなら、私は音楽を極めてみようって考えたの。元々音楽は好きだったし、シンガーになれたらいいなって思って、東京で音楽の勉強を始めたのよ。」
「サヤカさんって能管以外にも音楽なさっていたんですね。」
「能管は、幼い頃から聞いてはいたけれど、自分で吹く練習をするようになったのは宮城に戻った頃、モネが生まれた頃からよ。だから能に関して私はまだまだひよっこ。東京では唄の勉強をしながら、弦楽器、管楽器、いろんな楽器に触れて、いろんな音に親しんでいたわ。でも自分に一番合うって思ったのはやっぱり自分の声っていう楽器だったのよ。上手い下手は分からないけれど、自分の声は自分にしか出せない、唯一無二の楽器でしょ?私は声が低い方だし、もっと高い声が出たら歌える曲が増えるのにって思うこともあったけれど、低い声なりに、素敵だって言ってくれる人もいて。あの頃、自分はこれだって信じられたのは自分の歌声だったのよ。」
「サヤカさんの声ってたしかにハスキーで魅力的です。」
「今の訛のきついしゃべりだけ聞いていたら、信じられないかもしれないけれど、『オーバーザレインボー』とか、『マイウェイ』とか、英語詞で洋楽もけっこう歌っていたのよ。」
「すごい!サヤカさんの唄、聞いてみたいです!」
「それはまた今度ね。」
「残念。今度、絶対聞かせて下さいね。それで東京ではずっと音楽活動だけしていたんですか?」
「あの頃…八十年代半ばから九十年代初頭まで、日本はバブル景気の真っ只中でね。景気が良くて、怖いものなんてなかった。特に都会のど真ん中で暮らしていたら、それはひしひしと感じられてね。素人の私でも、歌わせてくれるステージはたくさんあったのよ。レコード会社も羽振り良かったから、CD出してみないかって声をかけてくれたりね。ちょうどCDが普及し始めた時期だったのよ。」
「もしかして、サヤカさんってCDデビューしてるんですか?プロの歌手だったんですか?」
「その頃、デビューしたばかりのバンドがあって、そのバンドのゲストシンガーって形で、一曲だけアルバムCDに参加したわ。ソロでもどうですかってありがたい話もあったけれど、私は形に残すより、ライブで歌いたかったのよね。その時、歌った唄を直にお客様に届けることの方が大切な気がして…。形に残してしまうのが怖かっただけかもしれないけれど。失うのが怖かったのよね。何もかも。形に残さなければ、失うこともないでしょ?今目の前で聞いてくれているお客様の心の中にだけ、残れば十分って思えたの。その方が、目に見えない分、ちゃんと残る気がして…。私、完全に臆病になってたのよね。」
モネはサヤカが密かに抱えていた心の傷を知って、心苦しくなった。震災後、抱え込んでしまった自分の傷と同じくらい、それ以上に深いと思った。
「たしかに…形に残さない方が、残るものもあるかもしれませんね。それは私もよく分かります。天気予報だって、空だって、形に残るものではないんですよ。完全に同じ空模様は二度とないし、似ている気圧配置から未来の天気を予測して、安全な生活ができるようにお伝えするだけで、形に残すものではないんです。でも、昨日の突然の雨、強かったけど、天気予報見てちゃんと傘とか準備できたから、濡れずに済んだとか、予報通り晴れて、予定していたレジャーを楽しめたとか、みなさんの記憶の一部に天気予報も含まれているとしたら、心の中に残るとしたら、それで十分って思えるので…。」
「なるほどね。たしかに天気予報もライブも似ている部分があるのかもしれないね。その一瞬、一瞬が大切だものね。でもライブだけで生活できるくらい余裕のある暮らしができたのは、景気が良い時期だけだったの。バブルがはじけると、ステージに呼ばれる機会も激減してね…。とてもライブだけで、暮らせる状況ではなくなったの。私の唄は実力や才能じゃなくて、景気の良い時代のおかげで、評価されていただけなんだって気付いてしまって…。そりゃそうよね。若い頃から必死に音楽の勉強をして、実力をつけてミュージシャンになった人たちに敵うわけはなかったのよ。三十過ぎてから、ふらっと音楽を始めて、歌って、少しくらい褒められたからって一人前のシンガーになれたなんて思ったら、笑われるわよね。十年近く、東京という都会で、自分には音楽だって信じて生きていることに疲れてしまって…。そしたら急に山とか海とか自然が恋しくなったのよ。子どもの頃はこんな山ばかりの田舎なんてって思ってたけど、この頃から少しずつ故郷が恋しくなってきたのよね…。でも今さら登米に戻る勇気もなくて、親しくしていたミュージシャンの一人が北海道に行くことになって、その人について行くことにしたの。」
「それってもしかして三人目の結婚を考えた相手ですか?」
「東京にいる間はほんとに恋愛感情なんて一切忘れていたし、音楽に没頭していたから、そういうつもりでついて行ったわけではないの。お互い、良き友人同士として付き合っていたし。北海道に行ってから、少しずつ、そういう感情が芽生えたというか…。」

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 一九九二年、私は東京で音楽を通して親しくなったミュージシャンの友人・柳信司(ヤナギシンジ)さんと一緒に北海道で暮らし始めた。柳さんは元々ギタリストで、とあるバンドに所属していたけれど、バンド活動に未来を見出せず、脱退し、都会から離れて、自然豊かな土地で自分を見つめ直したいと考え、北海道に移住を決意した。私も同じような気持ちを抱いていたから、それなら一緒に行こうと誘われ、海の見える小さな町の一角にあるアパートの隣同士で暮らすことになった。
 二人とも、音楽が嫌いになったわけではなかった。東京では大勢のライバルたちに囲まれて自分の実力の限界を感じ、自信喪失することもあったけれど、この町でなら、ちょっと唄やギターを披露しただけで、みんな目をキラキラ輝かせて喜んでくれた。甘えていたのかもしれないけれど、イベントやお祭りで音楽を披露してくださいと頼まれることは嫌ではなかった。ライブでお客様を楽しませることができる感触をこの町でならまだ掴むことができるんだと知った。だからはるばる北海道に来て良かったと思えた。もちろん、音楽で食べていくことはできないけれど、私たちは華やかなだけの都会を離れて、豊かな自然、海や山に囲まれて、ひっそり幸せに暮らすことができていた。
「俺さ、資金が溜まったら、この町に小さなジャズ喫茶店、開きたいんだよね。」
「ジャズ喫茶店?」
「そう、音楽を気軽に楽しめる場所があったらいいなと思って。」
「たしかにそれは名案ね。」
「ほら、今、木工所でバイトしてるじゃん?けっこう勉強になるんだよ。木の扱い方とか覚えたら、自分で内装くらいはできるかもしれないしさ。大工の勉強もしてみようかな。四十過ぎたおっさんを雇ってくれる大工はいないかもしれないけど。」
柳さんは北海道に来て以来、音楽活動の傍ら、木工所で働いていた。
「自分の力で自分の好きなように喫茶店を作れたら、素敵ね。私も応援するから。ちょうど今喫茶店で働いているし、柳さんが開業したらきっと力になれると思うの。」
「ありがとう。頼りにしてるよ。でもサヤカさんにはコーヒーを入れてもらうよりは、唄の方を期待してるから。サヤカさんの唄がないと、俺が描くジャズ喫茶は成立しないんだ。北海道に誘ったのも、サヤカさんの歌声目当てだから。」
歌声目当てと言われて、悪い気はしなかった。素直にうれしかったし、いつか本当に彼と一緒にジャズ喫茶を開業できることを夢見ていた。四十歳になってもまだ、私は夢を見続けていた。何度挫折しても、なぜか夢を見続けることをやめられなかった。夢を描くことをやめてしまったら、そこに立ってはいられない気がしたから。私はやっぱりヤジロベエだった。一人きりで生きているように見えて、柳さんや音楽に支えられて、かろうじて前を向いて生きているに過ぎなかったから。

 翌年の夏、砂浜で夏祭りを控えていた時期、設営を終えた柳さんと二人で海に沈む夕日を眺めていた。
「サヤカさん、夏祭りが終わったら、話したいことがあるんだ。」
いつになく神妙な面持ちで柳さんが呟いた。
「今じゃダメなの?」
「今はちょっと早いかな。夏祭りが終わったらここで話すよ。」
「何?喫茶店の開業資金が貯まったとか?」
「うーん。それはもう少し先になるかな。その前にサヤカさんに伝えたいことがあるんだ。」
「そうなんだ。よく分からないけど、楽しみに待ってるね。」
「うん、まずは夏祭りを成功させよう。サヤカさん、ちゃんとボイストレーニングしておいてね。俺、ステージの設営ばっかりであまり練習付き合えなかったけど、大丈夫?」
「私なら大丈夫よ。ちゃんと練習してるし。それより、柳さん、木工所で一からこのステージを作ったなんてすごいわ。ギタリストなのに、指を怪我したりしないか、私少しだけ心配だったの。」
「怪我しないように注意してるし、今はギターより木材を扱うことの方が楽しいくらいなんだ。もちろん、ギターもがんばるよ。たとえ指を一本くらい怪我しても、ちゃんと弾く自信はあるし。」
「柳さん、北海道に来てから、東京にいる時とは少し雰囲気変わったわよね…」
「たしかにそうかもしないな。狭い東京では音楽しかないって視野が狭くなっていた気がするけれど、こっちに来て海と山に囲まれていたら、自然と視野が広くなった気がするよ。音楽以外にも夢中になれるものがあるんだって気付けたし。だから一緒に北海道に来てくれてありがとう。サヤカさんがいてくれたから、がんばれたんだ。」
「私の方こそ、柳さんがいてくれなかったら、こんなに充実した生活は送れなかったかもしれない。本当にありがとう。」
私たちは幸せだった。一人きりで見知らぬ土地で暮らすより、二人でいれば何でもできる気がしたし、夢だって叶う気がした。無邪気に夢を信じることができていた。

 でもその日の夜、マグニチュード七・八を観測した北海道南西沖地震が起き、私たちの暮らしは一変した。私たちが暮らすアパートは高台にあり、少しは安全だったのに、柳さんは設営したステージが心配だからと、地震が起きてすぐに海へ向かってしまった。私は後悔した。あの時、柳さんに嫌われることになったとしても、彼を引き留めるべきだったと。ステージなんてほっといていいから、自分たちの身の安全を確保しましょうと言うべきだったんだと。
 間もなく、津波が町を襲った。アパートは浸水しなかったものの、町中、津波による火災で火の海になった。私は柳さんの身を案じながらも、自分自身の身の危険も感じて、より海から遠い場所へ逃げた。私は自分勝手な人間だと思った。柳さんが心配なら、自分も海に向かって追い掛ければいいのに、それができなかったから。柳さんに対する愛情を生きようとする本能が邪魔した。柳さんのおかげでここで生きることができていたというのに…。愚かな人間だと思った。
 火災が沈静化した頃、柳さんを探し回ったけれど、見つからなかった。身元不明の遺体安置所で柳さんの変わり果てた姿を発見した時は、涙も出なかった。信じられない、信じたくない気持ちで呆然としていた。
 火災を逃れたアパートに戻って、彼の部屋に入った。私たちはお互いに何かあった時のために合鍵を渡し合っていたのだ。彼の部屋には木工所で作った試作品の木製品がたくさん並べられていた。その中のひとつ、小さなチェストの引き出しを開けてみると、そこには一通の手紙とラッピングされた小箱が入っていた。その手紙は私宛ての手紙だった。
 「サヤカさんへ
東京のステージでサヤカさんの歌声を初めて聞いた時、俺はこの歌声に一生ついていくって勝手に決めたんだ。サヤカさんの唄に惹きつけられた。でも、唄だけじゃなくて、いつの間にかサヤカさん自身に惹かれ始めて…。でもサヤカさんは音楽に恋してるような人で、恋愛なんて一切興味ないって感じだったから、自分の気持ちを打ち明ける隙はなかった。サヤカさんに嫌われたくなくて、ずっと友達のフリしていたけど、たしかに友達だけど、でも北海道に来て一年。その気持ちが抑えられなくなった。結婚して下さい。付き合ってもいないのに、結婚してなんておかしいかもしれないけど、ジャズ喫茶を開業する前に、結婚したいんだ。俺の人生にはサヤカさんと、サヤカさんの歌声が必要なんだ。」
手紙を読み終えた私は、恋愛なんて封印したと意地張ってないで、もっと早く自分の気持ちに正直に生きていれば良かったと後悔した。柳さんが生きている間に恋人同士になって、結婚すれば良かったと。私だって、柳さんのことはずっと前から好きだった。音楽仲間、友達って自分に言い聞かせて、ずっと友達関係をキープしていた。けれど、せめて北海道で暮らし始めた頃、自分の気持ちを打ち明ければ良かったかもしれないと思った。私も好きだという気持ちを伝えられないまま、別れることになるなら、告白するタイミングなんていくらでもあったのにと後悔せずにはいられなかった。小箱を開けてみると、そこには指輪が入っていた。

 町は新しい木材を使って、新しい住宅が建てられ、木によって町が再生しようとしていた。でも、私の心は再生できないままだった。また大切な人を災害で失ってしまった。どうして私の大切な人はいつも突然いなくなってしまうのだろう。一人きりじゃ、歌う気力も起きない。私は柳さんと音楽に支えられていたから、その支えがなくなってしまったら、倒れるだけだ。私はうっそうとした森の茂みに入っていった。別に死んでも構わないと思ったのかもしれない。そこには彼が好きになったという木材となる木がたくさん植えられていた。登米を思い出していた。小さい頃、山に入って、木の匂いを嗅ぐのが好きだったこと、風に揺れる木々の音色が好きだったことを思い出した。
 木々は不安定な私と違って、ちゃんと根を張ってそこで生きていた。その山で生きざるを得ないのだ。人間と違って歩けないから。地震が起きても、火災が起きても逃れられない。それでも怖気づくことなく、そこで生きている。私なんて自分探しとか言いながら、自分の足で登米から逃げ出して、仙台に行って、長崎へ行って、東京へ行って、それから北海道に辿り着いたけれど、結局どこでも根を張り巡らせることはできなかった。もしも木だったら、どこでだって「ここ」って決めて居座ることができるのに…。逃げようがないから、決められた場所で生涯を終える。そうだ、私はここで木になろう。このまま木の側で眠りについたら、きっと木と同化して、木の根の一部になれるかもしれない…。
 もう誰かを好きになって失う恐怖を味わいたくない。夢を追い掛けるのも疲れてしまった。中途半端な私は何者にもなれなかったから、せめて最後は木になりたい。それが本望だ。私は整備されていない、もっと森の奥深くへ足を踏み入れようとしていた。二度とこの世界に戻れないように。迷子になって森と同化したくて…。
 その時、緑色の木々の隙間の空から眩しい太陽の光が射し込んで、仙台と長崎で見た「彩雲」が現れた。七色の光が雲に反射して、キラキラ揺らめいていた。
「見ると良いことが起きる…」
私は木と同化したいなんて死のうとしているというのに、こんな時まで太陽の光に促されてあの高い空を眺めてしまう。木々の狭い隙間に見えているあの空は本当はとても広くて、宮城にも東京にも長崎にもつながっている。空ばかり眺めていた楓さんの優しい横顔を思い出した。豪雨にも負けずに救命士として働いていた檜木さんを思い出した。子どもを授かった時の喜び、サトルくんと見たあの日の空の色、一緒に歌った唄を思い出した。それから東京で出会った柳さん…。柳さんは東京にいる頃、「東京って星が見えない場所なのかと思ってたけど、案外見えるんだね。」って夜空を見上げて笑っていたことを思い出した。「昼は星が見えないけど、昼もちゃんと星は存在しているし、夜は太陽が見えないけど、太陽が消えてしまったわけじゃないんだ。」なんて見えないものに思いを馳せながら、ギターを弾いていた柳さんの姿を思い出した。
「俺の故郷は神戸なんだ。東京よりは田舎だけど、でも都会的な部分もあるし、良い所だからいつか一緒に行こう。」
そんなことも言ってた柳さん。柳さんが育った町の空も見てみたいと思った。死のうとしている人間が考えることではないかもしれない。けれどもう消えてしまった彩雲を見られたから、そう思えた。仙台にいる頃、見えた心の色を思い出したから。あの時の「なないろ」を思い出したから。もう戻れないけど、長崎で見た「なないろ」も思い出したから…。私は木と同化するのはまだもう少し早いかもしれないと思い止まり、翌年、神戸へ向かった。

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 「三人目の方も災害で亡くなってしまったなんて、私だったら、きっともう立ち直れないです。サヤカさんは前向きに生きようとしてすごいですね。」
「自分の力ではないからね。いつも空とか人に助けられて、なんとか生きてきただけで。今は木に支えられて生きているし。」
「私も、空とか周りの人たちに支えられて生きている気がします。それで神戸に行った後はどうなったんですか?」

 一九九四年、四十二歳の私は神戸にいた。北海道で亡くなった柳さんの故郷の空を見てみたくて、神戸で暮らし始めていた。神戸は雰囲気が仙台に近くて、住みやすい気がした。ここでならもうしばらくがんばれそうと思えた。
 神戸で暮らし始めて間もなく、夕暮れ時、ふらふら歩いていたら、聞き慣れた音楽が一軒のお店から聞こえてきた。私もよく歌っていた『マイウェイ』のトランペットソロバージョン。その音楽に誘われて、お店の中へ引き込まれてしまった。
「いらっしゃいませ、ただいまの時間帯から当店はバーに変わります。」
そこは昼間は喫茶店、夜はバーを経営しているお店だった。外装も内装も木材で統一されていて、木の温もりが感じられるお店だった。もしも柳さんが生きていたら、きっとこんな感じのお店にしたかったんだろうなと、彼のことを思い出していた。
「ご注文はいかがなさいますか?初めてのお客様ですよね?」
声を掛けてくれたのは店主の榎木仁(エノキヒトシ)さんだった。
「じゃあ…カシスオレンジ下さい。最近、神戸に来たばかりで。」
正直、ドリンクは何でも良かった。だって音楽につられて入店しただけだったから…。
「承知しました。神戸に来たばかりなんですか。どちらから?」
「北海道にいました。その前は東京、長崎、仙台です。出身は宮城の山の方で。」
「全国各地回っていらっしゃるんですか。すごいですね。お仕事の関係ですか?」
「仕事…というか旅です。自分探しの旅。ってそんなこと言っていられる歳でもないんですけどね。」
「自分探しの旅、素敵じゃないですか。何歳になってもいいものだと思います。俺もまだ旅の途中です。」
榎木さんはそう言って、微笑んでくれた。出会ったばかりなのに、こんな私の人生を肯定してくれた気がして、ほっとできた。私はカシスオレンジを口にしながら、尋ねた。
「ところで、今流れている曲って、どなたの演奏ですか?CDとか音源で聞いたことがない気がして…。」
「お客様ってもしかして音楽に詳しいですか?そうなんです。お恥ずかしいですが、これは自分が演奏してます。」
「トランペット吹けるんですね。素敵です。かっこいいと思います。私は少しだけ唄をかじっていたので…。」
「ありがとうございます。お客様は唄ですか、いいですね。さっきから素敵な声だって思ってたんですよ。今度、うちのステージで歌ってもらえませんか?ライブもやってるんです。」
こんな偶然ってあるのかと思った。北海道で道半ば、諦めることになったジャズ喫茶という舞台を、神戸で見つけることができるなんて。柳さんが導いてくれたんだと思った。私は榎木さんのお店で歌わせてもらうことに決めた。

 「いやーサヤカさんって、ほとんどプロ同然のシンガーだったんですね。すみません、うちみたいな小さなお店で歌ってくれなんて図々しく頼んでしまって。」
私の唄を聞くと榎木さんは恐縮そうに言った。
「そんな、プロ…ってわけではないので。ただライブの数はけっこうこなしていました。それだけです。私、ライブが好きなので。だから歌わせてもらえて本当に幸せです。それより、榎木さんの方がトランペット、プロ級じゃないですか。」
「いえいえ、トランペットではとても食べられないと自分の実力が分かって、今はこうして音楽は趣味程度にして飲食業やってます。」
ちょうど仕事を探していた私は、唄だけでなく、榎木さんのお店の手伝いをさせてもらうことになった。
「サヤカさんの唄は、空の色、山の色、海の色が見える気がするんだよ。自然の音色がね、イメージできるんだ。きっと全国各地、巡っていたから、それぞれの良さが自然と身に染みているんだろうね。」
彼はそんなことを言って、いつも私の唄を褒めてくれた。
「ありがとうございます。空も山も海も好きなので、うれしいです。」
ふらふらした人生で、どこにも根付くこともできず、彷徨っていただけなのに、それぞれの土地の原風景が自分の唄に現れているとしたら、各地を巡っていて本当に良かったなと思えた。神戸に来て、初めて自分の人生を肯定できた気がした。
 
 榎木さんのお店で働き始めて一年が経とうとしていた頃、彼から突然、プロポーズされた。彼に惹かれ始めていたから、うれしかったけれど私は過去に三回も結婚を考えた人たちがいたことを彼に伝えた。しかも一度は子どもも授かって、流産してしまったことも…。そして三人とも、結婚する前に亡くなってしまったから、大切な人を亡くすのが怖いことも正直に伝えた。そしたら彼は
「過去にサヤカさんが結婚を考えるほど大切な人たちがいたことは、俺は気にしない。むしろ、その人たち全員にサヤカさんのことを守ってくれて生かしてくれてありがとうって伝えたいよ。だってサヤカさんと出会えたのは、みなさんがいてくれたおかげだし、誰か一人でもサヤカさんが出会っていなければ、神戸に来ることはなかったものね。」
と私だけでなく、過去に結婚を考えた相手全員のことを肯定してくれた。だからこの人なら大丈夫って思えた。でもやっぱり怖かった。私が好きになってしまえば、また早逝させてしまうことになりそうで…。だから少し考える時間をくださいと返事をした。彼は気長に待ってるからと笑ってくれた。

 それから間もなく、一月十七日早朝。大きな地震に襲われた。阪神淡路大震災と呼ばれる大災害が神戸の街を飲み込んだ。私が借りていたアパートは難を逃れたものの、榎木さんのお店は崩れ、その後の火災で焼失してしまった。お店の一角で生活し、眠っていた榎木さんは建物に押しつぶされ、火災に巻き込まれてしまった。木材でできた家は燃え広がりやすい。救出することもできないまま、私は街のあちこちで起きていた火災をただ茫然と見つめていた。
 
 また、結婚できないまま、大切な人を失ってしまった。榎木さんは私のことも、私の過去も全部受け止めて、今までの私の人生を肯定してくれたやさしい人だったのに、良い返事を返す間もなく、私の前から消えてしまった…。
 もう、もう恋愛は十分だと思った。こりごりだとも思った。そもそも私は形あるものは手に入れるのが怖かったんだ。いつか人間は死んでしまうし、いつか物は消失してしまう…。だから形には残らないけど、その時々に感動を与えられる音楽が好きになったんだ。恋愛もそうかもしれない。この人が好きだとか、一緒にいると安心できるというやさしい気持ちやときめく心を何度も与えてもらえて、経験できただけで、もう十分じゃないかと思えた。たとえ一度も結婚できなかったとしても、自分は四回結婚できたに等しいほど、素敵な思い出をそれぞれの人たちからプレゼントしてもらったのだと。もはや抱えきれないほどのたくさんの幸せと悲しみと寂しさを分けてもらったから、今度は違う形で私も誰かのために幸せを与えられる人間になりたいと思った。

 北海道の時もそうだったように、神戸でも震災後、街の復興、家の再建にたくさんの木材が使われていた。木は燃えてしまいやすいものだけれど、人はいつも木を使って、生活を営み続けている。木の温もりに守られながら、生きようとする。
「何もかも、失ってしまったとしても、そこに木があれば、人は必ずそれを使ってまた生きようとする。」
戦争も経験していた父や祖父から幼い頃、幾度となく聞かされていた言葉を思い出していた。
「だから木を山を大切にしなければならない。「国を豊かにするには山に木を植えろ」と伊達政宗が謳ったように、人々の暮らしをより良いものにするためにも私たちの使命は先祖代々受け継いで来たこの山と木々を守り続けることなんだ。それを誇りに思える人になってほしい。別に誰かの役に立つ人にならなくてもいいんだ。いつか誰かの役に立つかもしれない木々を守ってくれる人になってくれたら、それでいい。」
山に入る度に、祖父から口うるさく教えられ続けた言葉が今になってようやく理解できた気がした。
「私には…自分は「これ」だと思える、守るべきものはもっと近くにあったのかもしれない…。そのことに気付くまで遠回りして、何年もかかってしまったけれど、でも、今まで出会って来た大切な人たち、空、音楽、山、海、自然がそのことを教えてくれたんだ。」
悲しみを乗り越えた私は、神戸から宮城に戻る決意をした。まだ木の根の一部になる時期ではない。自分にはやるべきことがまだ残っているはずだと気付くと、不思議と目の前が明るくなって、あの日見た七色の彩雲が見えた気がした。

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 「四人の方々との別れを乗り越えて、やっとサヤカさんは登米に戻って来たんですね…。」
「かなり時間はかかってしまったけれどね、あちこち巡っていろんな経験をしたおかげで、あーやっぱり木は大切なんだなってやっと気付けたの。もしもずっと登米にいたら、今頃山なんてうんざりって放り出してしまっていたかもしれないね。」
「私も…気仙沼から離れてみたから、故郷の良さをもっと理解できるようになった気がします。もちろん登米もそうですけど。東京に行って、海や山っていいなってますます思うようになりました。」
「山も海も、自然は恩恵を与えてくれるだけでなく、時には人間の脅威になってしまうものだけど、でもやっぱり今は側にいたいって思う。東日本大震災の少し前、二〇〇八年には岩手・宮城内陸地震で、大規模に崩れてしまった山もあって改めて山の怖さも思い知らされたけれど、でも山の側からは離れられないわね。」
「うちのおじいちゃんも…海でたくさん怖い思いもして来たと思うんですけど、もちろん震災も経験して、恐怖を感じたはずなんですけど、それでも海の側から離れようとはしませんからね。サヤカさんの気持ち、分かる気がします。」
「龍己さんは海で、私は山で生かされてるからね。離れてしまったら、きっと二人とも心が死んでしまうのよ。魂の抜け殻になって生きることになるのよ。時には牙を向けらるけれど、でもそれ以上に生きる希望や勇気をもらっているからね。そして私たちの暮らしを支えてくれているのが、モネの仕事だ。モネが空を読んでくれるから、私たちは安心して山や海の近くで暮らせるんだよ。」
「私…ずっと誰かの役に立ちたいって思ってたけど、おじいちゃんやサヤカさんの役に立ててるのかな。」
「モネが空に興味を持って、気象予報士になってくれたから、龍己さんも私も心強いんだよ。海にいても山にいても、空を見ているモネとつながっていると思えば怖くないんだ。だからありがとう。」
「それなら本当にうれしいです。あの時、サヤカさんと一緒に見た彩雲が私に幸せをもたらしてくれた気がします。」
「良い事が起きるのは迷信なんかじゃないんだ。私も何度も彩雲に助けられて生きてきたからね。」
サヤカはふっと微笑んで、最後にまたモネを驚かせるような話を始めた。
「それからね…最後、五人目に結婚しようとした相手もいるんだよ。」
「えっ?五人目の方がいらっしゃるんですか?それって登米の方ですか?」
「そう、登米で出会ったの。名前はヒバさん。年齢三百歳。」
サヤカはニヤっと笑った。
「えっ、サヤカさんってあのヒバの木と結婚したいんですか?人じゃなくて木を好きになったんですか?」
「片想いだけど、私はあの木が好きだよ。パートナーのようでもあり、ずっと年上なのに自分の子どもみたいでもあるから。私はあの木と結婚したと思ってるんだ。だから切ってしまう時は、やっぱり寂しくなったよ…。あーまた自分より先に大切な人を亡くしてしまったなって…。大切な存在を見送る立場ってつらいわね。」
「そんな…そんな大切な木だったら、あの時、やっぱり切らない方が良かったんじゃないですか?」
モネは半年ほど前、三月十日にサヤカと一緒に切ったヒバの木のことを思い出していた。
「でも先に見送ったこと、後悔はしてないんだ。だって彼は五十年後に能舞台の柱として生まれ変わるかもしれないし、まだ未来は続いているんだもの。だから長生きして彼のこと見届けないとね。それに新たに植えたヒバの木の成長も見守らないと…。」
「そうなんですか。寂しがってばかりもいられませんね。」
「そう。寂しがってばかりもいられないんだよ。いろいろ忙しくて。でもまぁ時々ふと思い出したように寂しいって思える方が寂しくないね。まったく寂しいと感じられなくなる方がずっと寂しい。だって寂しく感じるってことは相手と過ごした幸せな過去があったことの証だからね。モネが登米からいなくなってしまって、ほんとは寂しいんだよ。でも、血はつながっていなくてもほんとの孫みたいに思ってるから、この寂しさも私にとっては山の木と同じくらい宝物なんだ。モネ、寂しさを感じるくらい一緒に過ごしたかけがえのない時間をたくさんくれてありがとうね。」
「そんな、私の方こそ、勝手に突然押しかけて、勝手に突然いなくなったのに、いつも本当のおばあちゃんみたいに私のこと温かく受け入れてくれてありがとうございます。サヤカさんには感謝してます。」
「いいんだよ、いつでも突然来てくれて、突然いなくなってくれて、それで構わないから。だってそれが故郷っていうものだろ?私だって突然登米を飛び出して数十年、突然登米に戻った時、両親も山も、何も聞かずに「おかえりサヤカ」って微笑んで受け入れてくれたもの。その時ね、本当は血がつながっていないこととか、どうでもいいって思えたの。血のつながりより、大切な絆みたいなものを感じられたから。」
「ありがとうございます。そうですね…血はつながっていなくても、それ以上に絆を感じられるからいつだって「ただいま」ってサヤカさんの家に帰って来られます。」
「「おかえり」って言える相手、モネがいてくれることは本当に幸せだよ。前にも言ったけど、モネは自分の思う方へ行けばいいの。モネの旅を続けなさい。そして疲れた、もうダメだって弱音を吐きたくなったら、いつでもいいから登米へ帰ってきなさい。私はいつでもモネのこと、ここで待ってるからね。さて、すっかり話が長くなってしまったね。夜が明ける前に一眠りしないと。」
「そんな風に言ってもらえると、安心して東京でがんばれます。サヤカさん、本当にありがとうございます。サヤカさんの波乱万丈な恋バナ聞いてすっかり眠気なくなってしまいましたが、少しは寝ないといけませんよね。」
「おやすみモネ。」
「おやすみなさい、サヤカさん。」
こうしてひさしぶりに再会した二人の夏の夜は更けていった。話疲れたのか、サヤカはすぐに寝息を立てて眠ってしまった。なかなか寝付けないモネはサヤカのことを考えていた。サヤカさん…近くにお医者さんがほしかったとか、コーヒーが好きだから好きな料理も楽しめるカフェがほしかったとか、まるで自分のためみたいに言ってたけど、本当は自分の全資産つぎ込んでまで森林組合とカフェ、診療所という複合施設を建てたのは、きっと亡くしてしまった大切な人たちの思いをつなぐためでもあるんだろうなと。救命士だった檜木さんに通じる診療所、それから榎木さんが営んでいた喫茶店みたいなカフェ、柳さんが夢中になった木工所に通じる森林組合…。風車が見えるあの丘に建てたのはきっと気象台に務めていた楓さんが好きだった空に近い場所だから…。その人たちの意志を継いで、きっと登米の人たちの暮らしを豊かにしようって、誰かの役に立ちたいって思って、自分の山の木をふんだんに使ったあの素敵な施設を建てたんだ。気が強くて、自分勝手な性格に見えていたけれど、実はとても繊細で、もがいて悩んだ過去もあって、悲しみも幸せも誰よりも多く抱えて生きている人だから、今とても輝いているんだ。私もサヤカさんみたいな人になりたい…。そんなことを考えているうちにモネはやっと、うとうとし始めた。淡い夢の中、切られる前のヒバの近くでモネはまた七色の彩雲を見ていた。近くでサヤカが笑っている…。「おかえりモネ」。

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