なないろ、モネ色、2021年の振り返りと、まだ透明な2022年の抱負
2022年になってしまいましたが、リアル日記を見返しながら、去年を振り返ってみようと思います。
1月1日~3日、猫を書いたと書いてある。何のことだろうと考えてみた。あぁ、音楽文の「猫」について書いていたのかと気づく。
どうでも良いけど、今年も去年のお正月とほぼ同じ経過を辿っていて、2日に近くのスーパーへ歩いて初売りへ、4日に実家へ帰り、初新聞用投書、初note更新って、同じ流れじゃんと笑えた。
1月9日には「コトコとコトリの散歩道」って短編を7100字程度で書いたらしい。
そして1月10日、祖父が亡くなった。
1月21日、書くことを再開した。
1月27日~28日はHYDE、エバグリについての音楽文を書いた。
2月上旬、コバルトに2つ応募してみたらしい。
2月23日、「シムラの帽子」を書いた。
2月27日、BUMPの「SONGS」に癒される。この頃からモネモードの始まり…。
3月1日、「おかえりモネ」の主題歌をBUMPが担当することが公式発表された。同時に、「なないろ」に関しての音楽文を書き始める。(2日間で)
3月上旬はミレパやバンプとフジファブリック(創作物語)についても書いていたらしい。
3月8日、派手に転んで擦りむいて病院へ。
3月13日、藤くんや登米市に手紙を書いたらしい。
3月14日、久々春音と秋音関連で、戦争について(冬吉と夏吉)書き始め。(19日も。)
3月23日~24日、冊子作り。24日はうれしい情報の電話をいただく。
3月下旬、すでにチャイムについて書いた。(9ヶ月後、12月下旬に新聞に載ったものの原文)
3月27日、トトロのその後「楠木先生」を書く。28日は「メイとトトロ」も。
4月1日、「なないろのさくら」童話を書く。
4月5日、人魚姫×亀太郎について書く。
4月6日、橋田壽賀子先生について書く。
4月10日~11日、藤井風が登場する渡鬼の脚本を書いてみる。
4月12日、長沼の初お花見。
4月17日、風についての音楽文を書く。
4月20日、渡世風物語。
4月24日、いるか日和(谷川史子先生のくじら日和の続き)を書く。偶然だけど、この頃からたまたまイルカを意識していたことが、モネの傘イルカグッズに役立った。
4月27日、「ホコリくん」童話書く。今思えば…すみっこのほこりじゃん。
5月2日、春音関連に専念する。(6日、7日も。)
5月6日、モネの観天望気からまだ確定ではないものの、TELをいただき、喜ぶ。
5月12日、藤物語を書く。
5月15日、春音&秋音のあらすじ。本編は83440字。
★5月17日、「おかえりモネ」スタート。「なないろ」初試聴。夕方、虹が出た日。
5月19日、ゴミ箱の童話。ゴミが楽器になる話。
5月22日~23日、「なないろ」音楽文を書く。
5月27日、「おかえりサヤカ」を書き始める。(29日~30日も。)
6月5日、2つの童話を書いたらしい。(家畜の魂たちの憎しみ、心助とニワトリとノブタ)
6月10日、観天望気の写真が30日に放送決定とメールをもらう。この時、私は長沼にいた。
6月12日、ポエムとモネについて書く。
6月17日、登米のモネ展を見に行く。
6月19日、星の王子さま(キンモク星の王子さま)を書く。(20日、23日、27日も。)
この頃、クーラー等で喉と鼻やられた。7月にかけてつらかった。
★6月30日、おかえりモネ、観天望気で写真紹介される。
7月3日、カヤの木とモネについて書く。
7月4日、モネ活について書く。
7月7日、音楽文、セカオワについて書き始めた。
7月10日、虹小説を書く。
7月12日、祖母の具合が悪く、最後の面会となった。
7月15日、1月の祖父に続き、祖母が亡くなった。
7月24日、祖母について書く。
7月25日、セカオワ音楽文をまとめる。
8月1日、怒涛の2000字のドラマを書き始めた。(2、4、5、7、8、9、11、12、22、23、24日)
8月2日、音楽文終了の告知にショック。
★8月10日、セカオワの音楽文で最優秀賞を受賞。
8月14日、若者のすべてと天体観測の音楽文を書く。
8月24日、最後の音楽文が掲載された。
★8月30日、「ROCKIN’ON JAPAN」10月号にセカオワ音楽文が掲載。
9月5日、ズッコケ新人賞向け83500字100枚ちょうどで終わらせたらしい。
9月8日、藤井風ライブ見て、感想を書いた。
9月9日、ズッコケ新人賞に発送した。
9月10日、ヤンキー地蔵(童話)を書く。
9月11日、大人向け小説を書き始める。(12、13、14、17、18、19、20、25、27、28、29日、10月1日、2日、3日、4日、9日、10日、11日、12日)
10月は洗濯機探しも。
10月16日、17日、23日、65400字以上、何かを書いていた。9月の続きかな。
10月24日、星の王子さまに関して書いたみたい。
10月28日、サヤカさんの家のモデルになった家や長沼モネ展へ行く。
10月29日、「おかえりモネ」放送終了。
10月30日、31日、モネとバンプについて書く。
11月はモネのサントラ聴いて泣けることが増えた。
11月1日、2日、モネついて書いている。
11月3日、モネとチャイムについて書く。
11月4日、モネセラピーに気付く。
11月7日、長沼なないろ祭り。
11月9日、モネについて書いている。
11月10日、若者のすべてについて新聞に掲載された日。
11月13日、モネについて書く。
11月18日、気仙沼モネ展へ行く。
11月20日、イヌワシとクマタカの童話、気仙沼モネ紀行を書く。
11月21日、仙台にてすごい虹色現象、五重奏を目撃。
11月23日、つまずいた曲について書く。
11月24日、太陽の童話を書く。
11月27日、水道について等書く。
11月28日、沼霧さんの夢について書く。
11月29日、3月から念願だったチャイム掲載決定。
12月2日、家族を助けるための手紙を真面目に書く。
12月4日、モネについて書いている。
12月6日、祖父に似た人を見かけた日、感想を渡せることが決まった。
12月8日、名刺代わりに冊子作り。(これは結局、使わなかったけれど。)
12月10日、音楽文の移植スタート。(結局、年内には終わらず…)
12月12日、サンタ食堂という童話を書く。
12月14日、15日、17日、ヒバじいさんを書いた。
★12月19日、登米市「おかえりモネ」シンポジウムに参加し、一木正恵さんの講話を聞き、さらに一木さんに感想文等を手渡すことのできた奇跡の日。
夜、そう言えば先週、何か封書届いていたよと母から郵便物を受け取り、確認すると詩が二次審査に進むお知らせが届いており、さらに喜ぶ。
12月20日、祖父の家のヒバの葉を少しもらい、シンポジウムレポを書き始めた。
12月21日、シンポジウムの続きを書き、夜中にnoteにアップした記事が珍しく、たくさんの人に読んでもらえることになった。
12月21日、「なないろ」CDフラゲと長沼で虹。
12月24日、26日、27日、「宇田川さん物語」を書く。
12月27日、一木さんから心のこもった手紙が届き、夢心地。祖父の家に泊まった夜。
★12月28日、3月から温めていたチャイム(志村正彦、おかえりモネ、なないろ)に関する記事が新聞にようやく掲載された。
12月29日、おかえりモネ総集編にまた感動。
12月30日、31日、「新次とイチゴ物語」を書く。夜は紅白でモネ×バンプに感動。
こうして振り返ってみると、去年は3月頃からは「おかえりモネ」(+「なないろ」)で頭がいっぱいだった様子。
1月、7月に祖父母を亡くし、悲しい気持ちに襲われることも多かったし、それから好きな音楽について書いた文章を公開できる場だった「音楽文」が終了してしまい、その喪失感も拭いきれない中、モネが心の隙間を埋めてくれて、未来をつないでくれた気がする。モネがなかったら、2021年は喪失感しか残らなかったかもしれない…。
そのモネさえも、本編は終わってしまったわけだけれど、モネロスはやっぱりモネが埋めてくれるわけで、ドラマを見られないのは悲しいけれど、モネのことを振り返り、様々書いているうちに、登米で「おかえりモネ」シンポジウムが開催され、幸運なことに一木さんに感想文を渡す機会をもらい、返事の手紙が届くという奇跡が起きた12月はドラマは終わっているのに、モネのピークだった。シンポジウムだけでなく、待ちに待ったなないろリリース、紅白もあったので…。それにより、ますますモネ関連のことばかり書いていたのが12月。忙しいけれど濃くて幸せな1ヶ月だったと思う。亡くなった祖父が現れて、助けてくれた気もしている。
その手紙を渡せた奇跡は、モネのファンだからという理由だけでなく、ここ数年続けていた新聞投書が役立った。投書を読んでもらえていたおかげで、感想文を渡す機会を作ってもらえたようなもので、新聞に書き続けて良かったなと初めて、新聞の力を感じた月でもあった。
そしてモネのおかげで、2年前から目論んでいた、志村くんのチャイムに関する投書も、採用していただくことができた。志村正彦さんのことを書きたいと思っても、東北の新聞じゃ、難しいよなと機会をずっと伺っていた。11月に「若者のすべて」について採用されたから、これで満足しようかとも思っていたけれど、でもやっぱり志村くんと言えば「夕方5時」のチャイムなんだよなと、チャイムについてはどうしても書きたい気持ちが残っていた。3月にバンプがモネの主題歌を担当することを知った瞬間から、もしや登米のチャイムが「なないろ」に変わることもあり得るのではないかとひらめき、志村くんのことを書きたい気持ちと、それから本当にバンプの曲が登米の顔になってほしいという願望が混じり、チャイムについて一気に書いた。ものの、当初は「なないろ」がチャイムに起用されて良かった体、つまり「なないろ」チャイム採用決定みたいな書き方の原稿をしたためていたため、「なないろ」がチャイムとして鳴り始めなければ、投稿できない原稿だった。待てど暮らせど、登米のチャイムに変化なし…。ドラマも終わってしまったし、待ちきれなくなった私は、「鳴らぬなら鳴らせてみせようチャイム」の志で、「なないろ」がチャイムになってほしい路線で原稿を書き直した。それが何とか採用され、無事、志村くんのチャイムについても書けたというわけである。
それから去年、うれしかったことと言えば、音楽文で最優秀賞を受賞し、それが誌面にも掲載されたことだ。これはたしかか去年の抱負というか目標、夢でもあったので、セカオワに感謝したいし、それからたまたまリリースが祖母の葬儀が終わった直後だったので、祖母に対する気持ちやその頃感じていた線香の匂いなども文章に反映されたので、祖母のおかげでもあったかもしれないと感じている。
1月は祖父の死からのエバグリ、3月は「なないろ」に対する期待、なぜかトトロも少し。4月は桜と渡鬼モード、長沼通いもスタート。5月はズッコケに提出した春音&秋音、藤の花、そしていよいよ「おかえりモネ」スタート。6月はモネや星の王子さまにはまる。7月は祖母が亡くなり、セカオワ、モネ。8月は2000字のドラマ用短編小説連載にはまる。9月は藤井風ライブに感動、大人の小説スタート。10月はモネ展など。11月はモネセラピー、気仙沼モネ展、すごい虹色現象、とにかくモネ。12月も引き続き、モネシンポジウムのため、モネ考察の日々。からのモネ二次物語など。こうして見ると、モネの放送が終わってからの方が、より一層、モネ考察の時間が増えた気がする。これはモネロスを埋めようとする、心の防衛反応だろうか…。年越し、年明けの今も、モネ熱はまだ冷めやらない。むしろ、12月で一気に再燃した。終わって悲しい、消えかけていた小さな灯火はいつの間にか炎に変わり、勢いを増している。いつまで続くか分からないけれど、せめてこの極寒の寒さのうちは、モネで暖をとりたい。モネのことを考えていれば、心は温かくなるから…。体感の寒さをごまかせるから。
しかしモネのことばかり考えて暮らせるわけでもないので、2022年やるべきこともちゃんとやろうと思う。引き続き、何かで賞をとることは目標。詩…何度か一次通過しているから、今年もがんばりたい。そして本命の児童文学もさらにがんばりたい。今年もズッコケ新人賞には応募したいし。童話も…みちのく童話賞、それから「飛ぶ教室」、新美南吉童話賞などに励みたい。全然一次さえ通過できないから、児童文学関係は向いてないんだろうけど。仙台短編文学賞もこつこつ応募だけは続けている…。何かひとつでも賞がないと、自費出版できたとしても、本なんて売れないだろうし。そもそもその資金もないけれど。
文章を書くことで安定した収入を得られるようになることが夢。物書きを生業としたい。そうなれるように、2022年もひたすら書き続けます。
それにしても、振り返ってみると、オマージュと言えばきれいに聞こえるけど、パロディ風作品が多くて、まるで他力本願。でもBUMPの「HAPPY」の中に《借り物の力で構わない そこに確かな鼓動があるなら》って歌詞もあることだし、私は借り物の力で書いているだけかもしれないけれど、自分のこの思いは確かだと信じているので、たぶん今年も音楽やドラマなど、素敵な作品の影響を受けながら、書くと思います。
去年よく聴いた音楽は…BUMP(特になないろ)、フジファブリック(音の庭好き)、藤井風(燃えよ良かった)、菅田将暉(ラストシーンとか)、ラルク(FOREVERなど)、HYDE(NOSTALGICなど)、セカオワ(scent of memory)、そしておかえりモネのサウンドトラックなど…。
2021年、2回も仙台に来てくれたのに、どちらも結局行けなかったHYDEさんのライブ…。2022年こそはライブに行けるだろうか。唯一行けたライブは12月のモネシンポジウムだったな。BUMPのライブだった気がしてる。感動的なライブそのものだった。
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