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もうひとつの「DAN DAN 心魅かれてく」~志村正彦に魅かれる理由~

「もうひとつの」というのは無事に掲載されれば、近々音楽文に「DAN DAN 心魅かれてく」に関する音楽文が掲載予定であり、noteにも違う角度というか思いっきり私情を込めたただの趣味でこの楽曲の歌詞をなぞってみたくなったからである。

7月31日、無事掲載していただきました。

あえて「エモい」という言葉を多用しました。

http://ongakubun.com/archives/16438

さっそく私事であるが、28日に誕生日を迎え、38歳になったので、セルフバースデープレゼントというか、ひとつ歳を取ったので、気合を入れ直すつもりで、好き勝手なことをつらつら書き綴ってみようと思う。

偶然だけど、フジファブリック『MUSIC』がリリースされたのは、2010年7月28日ということで、今日で10周年。4thアルバムと誕生日が同じなので、少しうれしい。フジファブリックに限らず、時々、好きなアーティストのリリースと誕生日が重なる時があるので、それは勝手に誕生日プレゼントとして受け取っている。

ちなみに自分の誕生日に関してはあまりおめでたいとか思えない質で、去年の今頃は「どうして生まれてきたんだろう」と自分の誕生を呪うような性格の人物を登場させた物語を書いていた。他者の誕生日は素直に祝えるけど、自分の誕生日はどうも苦手…でも今年は珍しくポジティブなことを書けているんじゃないかなと思う。

誕生日は苦手とは言え、例年7月は誕生月のせいか、他の月と比べればまぁまぁ調子が良い。でも今年は梅雨空ばかりで夏は足踏み状態で、なかなか気持ちは上がらなかった。歯は痛むし、書くどころじゃなく、書くべき童話も書けず、撮りたい写真(青空背景ポプラの木と線香花火)も撮れず、仕方なく道草しながら、夏を待っていた。

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でもその道草も悪くなかった。書く予定じゃなかった「その後のトトロ」も書けたし、突然ひらめいた「図書室のない学校シリーズ」も現在進行形で書き続けているし、歯肉の腫れは治っていないけれど、下旬になってようやく夏のエネルギーが満ちてきた気がする。親不知の手術になる前に、ガンガン書いておこうと、好きなことを好きなだけ書いておこうと思い、こうして書き進めている。

前置きはこれくらいにして、まず何に心魅かれているのかと言えば、もちろん「志村正彦」に心魅かれている。これは恋とか愛とかそういう類のものではない。偶像崇拝とかともちょっと違う。約1年前、志村正彦という存在を知り、意識するようになって以来、明らかに自分の生活が変わったので、彼は自分を良い方向に導いてくれる大切な存在と言える。

<君と出会ったとき 子供の頃 大切に想っていた景色(ばしょ)を思い出したんだ>

志村正彦の楽曲と出会った時、本当に子どもの頃、好きだった思い出の景色や場所が蘇ってきた。昔住んでいた家の隣の広い空き地、沈みゆく夕日が見える土手、それからそれら思い出の場所で一緒に過ごした人たちの記憶も同時に思い起こされた。祖母に手を引かれて歩いた小道、野良猫と遊んだ空き地、友達と一緒に高校へ通った河川敷沿いの土手…。そして要所要所には防災無線。防災無線から流れるチャイムメロディ。懐かしい童謡。菜の花たんぽぽ黄色い花が咲き乱れる春、セミの声、花火の音、夏祭りのお囃子にぎやかな夏、落ち葉、どんぐり拾っては時々踏んでしまって失くしてしまう少し寂しい秋、東北の長く厳しい凍てつく白い冬…。すべてを一気に思い出した。この1年で。

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そう言えば、今年の冬は雪が少なかったな。小さい頃ならかまくらだって作れるくらいの雪が降ったし、雪釣りだってできた。雪釣りというのは、割り箸を十字にして魚釣りのように雪を釣る遊び。雪釣りの割り箸竿は祖父に作ってもらった。祖父母の家のツツジの木にこんもり積もった綿雪を釣って遊んだ。釣った雪は雪ウサギにした。ちょうどナンテンの木もあって、赤い実はウサギの目に、葉っぱはウサギの耳に使った。そんな素敵な遊びができたこと、何十年ぶりかで思い出した。寒い冬の温かい思い出。

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そのナンテンの木は切られてしまってもうない。広い空き地にひっそり佇んでいた桜の老木もつい最近工事が始まって切り倒されてしまった。時間がどんどん思い出の場所を奪っていく。しばらくは何も感じないように忘れたつもりで生きていた。けれど志村正彦の季節や童心を感じられるノスタルジックな楽曲たちに出会って、完全に封印が解けた。忘れてなんていなかった。忘れたつもりになっていただけで、もう戻れない美しい過去が私の中に眠っていたことを思い出させてくれた。当時は当たり前と思っていたささやかな幸せを思い出すと、どんなに恵まれていたかを身をもって感じることになり、切なくなって、泣けることも増えた。幸せな過去を思い出す作業が少し痛みを伴うなんて知らなかった。

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志村くんの楽曲もそう。ほのぼの幸福を感じられる季節感だったり、叙情感の中に儚い花にもトゲがあるように、聴いていると心に突き刺さるトゲがある。別にそれは悪さをするトゲじゃない。心の毒素を排出してくれる痛いけどやさしいトゲ。志村くんの音楽はデトックス効果のある音楽だと思う。

<光と影の Winding Road><少しだけ振り向きたくなるような時もあるけど>

志村正彦の楽曲はどちらかと言えば、影が多い。後ろ向きな心情を歌った楽曲も少なくない。けれど、影やネガティブばかりではなくて、そこからちゃんと光や前進も感じられる。ロックンロールな音楽とそれから彼の音楽に対する真摯な姿勢はどんなに陰鬱な歌詞が綴られていても、光や希望を与えてくれる。リスナーに勇気をくれる。

<愛と勇気と誇りを持って闘うよ>

志村くんの音楽に対する愛と誇りは誰にも負けていなかったと思う。リスナーが殺伐とした世の中で闘いながら生きるための勇気をいまだに与え続けてくれる。少なくとも私は志村くんの楽曲でいまだに救われている。彼の楽曲と出会って、幸せな過去と対峙できたし、それから今の陰鬱とした社会で彼の陰鬱な歌詞の楽曲を聞きながら、勇気を振り絞って生きることができている気がする。聞く人によりけりかもしれないけれど、あれだけ暗いのに、私は聞き続けていて、つらくならない。つらいけれど、前向きになれる。がんばろうって思える。志村くんだってこんなに悩んだ時期があるのだから、私が今悩んでいることなんてちっぽけなことだと言い聞かせることができる。彼が楽曲内にさらけ出してくれた心の弱い部分は、リスナーに勇気を与えてくれる。同情とか共感とかそんなことじゃなくて、悩んでもがきながら必死に生きる生き様が感動さえ与えてくれる気がする志村正彦の生き様が見える音楽に私はDAN DAN 心魅かれていった。憑りつかれていった。彼の虜になった。

<果てない暗闇(やみ)から飛び出そう>

志村正彦の音楽を貪るようになって、暗闇からの突破口が見えた気がした。

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<怒った顔も疲れてる君も好きだけど あんなに飛ばして生きて 大丈夫かなと思う>
<僕は…何気ない行動(しぐさ)に振り回されてる sea side blue>
<もっと聞きたいことがあったのに 二人の会話が 車の音にはばまれて通りに舞うよ>

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ここ1年のうちに志村くんのことを知れば知るほど、睡眠時間も食事も削って、飛ばして生きて、疲れてる志村くんがいたことを知って、本当に大丈夫かなと思った。結果的に大丈夫ではなかったのだけれど…。

志村くんの不思議で奇抜なロックを聞いては「ついていけそうもない…けどなぜか繰り返し聞きたくなる」という心情に振り回されているうちに、気付けば志村沼にどっぷりハマってしまった。はっきり言って去年から聞き過ぎて、さすがにそろそろ飽きる時期じゃないかと時折過るんだけど、いまだに全然飽きる気配がなくて、怖いくらいでもある。

でもやはり、今はもうこの世にいないという現実に打ちのめされそうになる時がある。喪失感、虚無感に襲われる時がある。本当は彼がボーカルを務めるフジファブリックのライブに行ってみたかった。新曲も聞きたかった。亡くなって10年が経過したけれど、もしも存命ならこの10年でどれほど多くの名曲が生まれただろうか。彼の手によって紡ぎ出されただろうか。

<もしも 過ぎ去りしあなたに 全て 伝えられるのならば それは 叶えられないとしても 心の中 準備をしていた>「赤黄色の金木犀」

「もしも」を考え出したらキリがないけれど、前述したことは叶えられないことだけど、でも志村くんに伝えられるなら、届くなら、形にすべて残そうと思った。だからこうして取り留めもなく書いている。

ちなみにオリジナルの新曲だけでなく、カバーソングも聞いてみたかった。最近実験していることがあって、志村くんの歌を聞きながら、「DAN DAN 心魅かれてく」を歌うというエキセントリックな遊びをして楽しんでいる。真剣に。ボーカル志村正彦にどうしても変換したくて、実験している。曲のイメージとしては「Bye Bye」が合う。歌詞はせつない恋のドラマ仕立てだし、志村くんの楽曲の中でも特にポップでキャッチーなメロディだから。でも案外「Clock」を聞きながらDAN DANを歌うとハマる。テンポおさえてアコースティック調に変えた「DAN DAN 心魅かれてく」を志村正彦が歌っていると脳内変換している。がんばって。志村くんの声のボカロがあったらなー。いろんな曲を志村バージョンにして聞くのに。

志村くん本人は声にコンプレックスがあったみたいだけれど、たしかに独特ではあるけれど、なんだろう、味があって、繰り返し何度でも聞きたくなるし、よし聴くぞって気合入れなくても、ゆるく聴けるというか、いつでもどこでもBGMとして流しておきたくなる素敵な歌声だと私は思う。もしかしたら好き嫌いはあるかもしれないけれど、飽きないし、魅力的な歌声だと思う。

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志村くんの魅力に関して言えば、ルックス問題。イケメンだと思う。端正な顔立ちだし、スタイルも良いし。でも私が一番魅かれるのはそこではない。自覚のないイケメンという性格に魅かれている。なんであんなにかっこいいのに、なんであんなに自信なさげなの、臆病なの、謙遜するにもほどがある、ガチで自覚ないんじゃ…と思い始めたら、ますます志村くんが好きになった。正直ジャニーズあたりでどんなにイケメンでも自分に自信がありすぎて自意識過剰というか、調子に乗っているような人はそれほど好きにはなれない。あの端正な顔立ちで<どうせこの僕なんかにと ひねくれがちなのです>なんて歌われてしまうから、ハマる。どこが、どうせこの僕なんかなんだろう。志村くん、あなたは十分素敵な人ですと真剣にレスポンスしたくなる。普通、どうせとか僕なんかってうじうじ言うタイプの人は実は自分自身がそのタイプのせいか苦手なんだけど、志村くんは別。あれだけ容姿端麗で、瞳が美しくて、さらに学生時代それほど勉強しなくても頭が良くて、読書家で、スポーツもそれなりにできて、しかも音楽の才能もあるなんて、非の打ちどころがない。のに<どうせこの僕なんか>と歌ってしまうという。母性本能をくすぐるというか、なんだろうどうしてそんなに自信ないの、あなたは誰よりもかっこいいし素敵ですと繰り返しになるが、本人にレスポンスしたくなる。コール&レスポンスが可能な楽曲なら、確実に大声で伝えたくなる。

話は逸れるけれど、完璧に見える人ほど、実はそうなのかもしれないと思う。学生時代からそれなりにモテて、キャーキャー騒がれて、告白され続けていたら、真面目な人なら<本当の愛って何?>って疑問に思ってしまうのかもしれない。真面目じゃない人というかチャラい人ならモテてラッキーって調子に乗るんだろうけど、志村くんは決してそんな性格ではなく。志村日記やインタビューを読む限りでは、キャーキャー騒がれることに対して妙に冷静に客観的な目を向けていて、何で?みたいな、本当に好きなの?みたいな疑問が書かれていて、誰よりも<真実の愛>を求めた人なんじゃないかと憶測する。ほんとに好きならもっと早く言ってよ、多くの女子は一時的にミーハーになってるだけなんじゃ…とは書かれていないけれど、とにかくちょっと騒がれたくらいで調子に乗るようなこともなく、恋愛や女子が苦手みたいなその性格さえも愛おしい。イケメンな外見とは裏腹の、内向的で疑心暗鬼でナイーブでシャイな性格の彼が自身の性格を覆すように紡ぐロック魂全開の音楽がもうたまらない。つまり外見に似つかわしくない性格、性格に似つかわしくない音楽性、それらギャップが妙にツボ。沼る。もしもイケメンな外見にポジティブな性格で明るいだけのロックなら私は魅かれない。逆にイケメンでない外見で陰鬱な性格でマイナー調ばかりのロックだったら、それもあまり魅かれない。意外性のある人間像が彼の一番の魅力かもしれない。

<DAN DAN 心魅かれてく 自分でも不思議なんだけど 何かあると一番(すぐ)に 君に電話したくなる>
<ZEN ZEN 気のないフリしても 結局 君のことだけ見ていた>

何かうれしいこと、もやもやしたこと、悲しいこと、何かあれば一番に志村くんの楽曲を聞くし、志村くんに伝えたくなる。こんな時、志村くんならどうしますかと尋ねたくなる。孤独な人間なので、孤独そうな楽曲に魅かれて、その痛いほど孤独そうな楽曲を作った本人ならこんな時、ひとりきりでどう乗り越えるんだろうと考えてしまう。でも志村くんが答えてくれるわけもなく、私は志村くんが残してくれた楽曲を繰り返し聞くことで自分で答えを見つけ出している。

<きっと誰もが 永遠を手に入れたい>

志村正彦の楽曲はすでに永久不滅の永遠のものとなった気がする。リリースされた当時、それほどチャートを賑わせなかった楽曲も、今となればカバーされるほど歌い継がれる名曲になっていたり、今となってやっと志村正彦の音楽性が理解され始めてきたというか、また「もしも」の話になるけれど、今、新曲としてリリースされていたら、「Lemon」や「白日」並みにロングヒットを記録していたかもしれないと思うと、少しばかり悔やまれる。時代が少しだけ早かったのかな。志村くん、生き急いでいたから。もう少しあんなに飛ばさず疲れずスローに今も生きていられたら、きっとトップアーティストとして人気を確立していたかもしれない。今でも十分人気だけれど、さらにという意味。でもやっぱりあれだけ飛ばして疲れて、悩んでもがいて生き急いだ人間が作った音楽だからこそ、輝きが増しているのかもしれない。のんびりゆっくりスローに疲れを知らずにゆるく生きた人間が作るものより、飛ばして生きている人間が作るものの方が美しいのは当然かもしれない。粉骨砕身、命を削るように必死に取り組む姿勢自体が彼の音楽の醍醐味でもあるから。だから「もしも」は考えても意味がない。彼がこの世にいないのは悔やまれるけれど、でもこうして亡くなって10年経っても、ますます人気を博す彼の音楽が残っていることが幸いだ。

そうそうなぜ「DAN DAN 心魅かれてく」を志村くんの声で聴きたいのかというと、重ね言葉が得意な志村くんにこそ「DAN DAN」とか「ZEN ZEN」と歌ってほしいという単純な理由もある。

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最後に自分のために残したいことを書く。『東京、音楽、ロックンロール』を読んで分かったこと。志村くんが自作の頃、ジャケットに使いたい写真を撮るためにカメラを趣味にしている時期があったとか、CDを完成させるまでは死ねないとか、ほとんどの欲求が消失して音楽欲しかない時期もあったとか、それからあの富士吉田凱旋ライブで自分の身内とか友達とかじゃなくて、フジファブリックのファン、一般のお客さんでライブチケットソールドアウトさせたいという目標があったとか彼の発言や考えを知る度に、私も今、同じ気持ちで生きているから、志村くんを見習って自分の夢を叶えたいと思っている。今の自分は自分の本を作るという欲求しかなくて、本の表紙のために写真を撮っているし、本を作るまでは死ねないって思っている。そしてその作った本は知っている人に配りたいだけじゃなくて、私を全然知らない人、例えば書店店頭でたまたま見かけてなんとなく手に取って購入したという人がひとりでもいてくれたら、それを実現させるまでは死にたくないって思ってる。なんとしても。

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志村くんの音楽を聞きながら、志村くんの背中を追いかけて、夢を実現させようと必死にもがきながら、飛ばして疲れて生きる1年になりそうです。38歳独身こじらせ女は志村正彦という弱弱しい性格ながら強靭なロック魂の塊の音楽を作り上げた存在を頼りに今年も書き続けます。これは今年の決意宣言みたいなものです。

たぶん志村くんは私にとって神龍みたいなものかな。志村くんの楽曲がドラゴンボール、たくさん集めると願いが叶う。(気がする。)

( ↓ この記事に使う写真を撮りたいがために、本日からファミリーマートで販売されているドラゴンボール和菓子を買い求めた38歳です。)

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<海の彼方へ 飛び出そうよ Hold my hand>

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