「おかえりモネ」ひとり旅~ただいま、気仙沼~なないろの布とご対面
17日水曜日の夜は、なかなか寝付けなかった。翌18日、ひとりで行ったことのない気仙沼にひとりで行こうと計画していたからだ。片側一車線とは言え、一応高速道路の三陸道自体苦手で、ほぼ下道しか運転したことがなかった。高速道路はインターチェンジ付近が苦手で、自動車学校時代に初めて運転した時も、減速せず出口でぶつかりそうになったし、しばらく前に友だちに助手席に乗ってもらい、三陸道に入る時、加速しないまま入ろうとして危なかったし、とにかく高速道路に良い思い出がない。そもそも運転自体が苦手かつ、方向音痴だから知ってる道しか通らないようにしてるし、慣れている場所しか運転できない。遠くても下道通って慣れている場所なら行けるけど、ほぼ知らない場所に高速道路でひとりで行くなんて初めてで、どうしようと不安の方が大きかった。
でも誰と約束したわけでもなく、自分で行こうと決めたのであって、もしもどうしても問題が起きたら引き返せばいいかと意を決して18日の正午過ぎに出発した。ものの、登米ICに入る手前の道でミスし、そこからして手間取ってしまった。やっぱり自分はICが鬼門らしい…。そして三陸道に入ってしまえば、あとは迷うことはない。標識に従って、ただひたすら車を走らせるのみ。石巻方面や南三陸までは行ったことがあったけれど、そこから先は三陸道では行ったことがなく、印象としては、高速道路というより、山を開いて作った長い道だなという感じがした。海よりも山や森の方がよく見えたし。森から海の町へ行くあたり、ドラマと同じだなと、ほんと『おかえりモネ』OP映像に映っていた整然と生える森の木そのまんまの光景が三陸道には広がっていた。
サウンドトラックを聴きつつ、まだ緊張した状態で、志津川→南三陸→歌津→小泉→本吉→大谷そして気仙沼へと車を走らせること40分程度、気仙沼港ICを下りたらグーグルマップの案内を頼りに目的地「おかえりモネ展」が開催されている「海の市」を目指した。車にナビはないので、スマホの音声案内が頼り。混んでいなかったこともあり、登米から1時間もかからず到着した。
車から降りて、最初に目に飛び込んで来たのは登米にも貼られているモネのポスター。モネ展の会場2階に貼られていた。そのすぐ横には津波到達深ここまでという表示もあり、あぁ気仙沼だな…と複雑な心境になった。
気仙沼へは震災前にしか行ったことがなかった。震災後に行ったのは南三陸町、しかもだいぶ整備されてから。気仙沼は10年経過したけど、まだ至る所で工事が続いていて、まだ復興途中なんだなというのを初めて目の当たりにした。
私は単純に『おかえりモネ展』が見たいとか、わくわくした気持ちで登米から行ってしまったけれど、実際は砂ぼこりが舞い上がる中、工事に携わる人たちはたくさんいるのを見て、こんな呑気にレジャー感覚でいていいのかなと少し考えてしまった。でも何の資格もない私にできることは復旧工事ではなく、気仙沼で観光を楽しんで、素敵な所だよと紹介することだろうと思い、こうして気仙沼の旅日記を残すことにした。
『おかえりモネ展』で一番見たかったのはOPで使用された、なないろの布。シルクオーガンジーの質感を生で見てみたかった。やっと会えたという感じ。想像以上に素敵な布だった。小さなサーキュレーターで下から人工的に風を起こして、なびかせている演出も良かった。触れられないけれど、後ろ側から中央付近まで入ることは可能で、なないろの布をより近くで感じることもできた。もちろん撮影も可能。すぐ横でOP映像がひっきりなしに流れていて、バンプの『なないろ』を聴きつつ、布と戯れることができる。何枚も写真を撮った。いろいろな角度から。自分ほど、この布の前に居た人はその時は他に居なかった。平日ということもあり、空いていたので撮影しやすかった。
等身大パネル等は登米のモネ展でも見ていたけれど、巨大パネルは登米にはないので、圧倒された。スケールが大きい。さすが海の町って感じ。登米のモネ展も登米らしく木の小物が多かったり、こじんまりした展示も個人的には好きだけど、気仙沼は広さがあるので、見やすいかもしれない。隣の部屋には東京編で使われたセットなんかも再現されていて、東京と気仙沼を感じたいなら、やっぱり気仙沼のおかえりモネ展かなと思った。
しかし登米のおかえりモネ展も本当に良い。何が良いって、曲が、特にサヤカさんの家を再現したような長沼の茅葺ハウス内のモネ展では、バンプの「なないろ」がフル尺でずっと流れていること。どうしても、OP尺で流れている場合が多い中、フルで「なないろ」を聴き放題なのは、登米(長沼)だけ。曜日にもよるだろうけど、長沼フートピア公園の場合、屋外スピーカーを通して「なないろ」ばかり流れている日もある(サントラが流れている場合もある)ので、音楽を楽しみたいなら登米かなと思った。気仙沼で把握できたのは、モネ展内でOP尺、それからPIER7という場所でサントラが流れていた程度。自然を満喫しながら、モネの音楽を楽しむとしたら登米かなと思う。(春から長沼フートピア公園に通っている身としては)
気仙沼の話に戻って、『おかえりモネ展』を1時間ほどかけてじっくり堪能した後、天気も良いし太陽が出ているうちに、外を歩こうと、PIER7を目指して歩き始めた。海の道を歩いてみたかったので…。しかしやっぱり歩道など工事をしている箇所が多く、初めて行くと、海沿いを歩いていいものなのか、右左、どっち側を歩けばいいのか少し迷った。横断歩道もそれほど多くはないので…。仕方なく通行止めにならなそうな海と反対側の道を歩きつつ、船や港を眺めていた。モネと菅波先生のロケで使われた「浮見堂」の赤い遊歩道も見えた。時間があればそこまで歩きたかったけれど、時間がなかったので、浮見堂は見るだけに留めた。海面に空の雲や船や建物が映り込んでいるのも綺麗だった。港なので、海を愛でるというより、港町の雰囲気を楽しめると思う。とにかくいろんな船が停留していて、それぞれの船に個性があって興味深く眺められた。歩くこと15分程度で目的地PIER7に到着。ここにはモネの巨大看板が飾られていると思っていたけれど、少し前にモネのおじいちゃんおばあちゃんの看板に変わったみたい。新たな看板は「ただいま、気仙沼」という観光プロモーションの一環らしい。モネのおばあちゃんは亡くなっている設定だから、本編ではあまり姿を見られなかったけれど、こうして看板になると、まるで生き返ったみたいで二人の仲睦まじい表情を見て幸せな気持ちになれた。
モネの本当のおばあちゃんは亡くなっていても、登米で出会ったサヤカさんが第二のおばあちゃんみたいなもので、つまり祖母を失ったばかりのモネに、祖母のような温かい存在と出会わせた点から見ても、温かいドラマだったよなとしみじみ思い返せた。おばあちゃんは牡蠣に転生して、次に木に転生して、ドラマが終わったら最後に生き返って気仙沼に帰って来てくれたみたいで、ずっと「輪廻転生」を感じさせてくれるドラマだった。つながりとか循環とか「輪」がキーワードというか。年輪もそうかもしれない。海と森と空のつながり、人同士のつながり、それからモネが生まれるという命の誕生シーンからおばあちゃんの死まで、命の循環みたいなものも考えさせてくれるドラマだった。生まれて死んでまた生まれ変わって…。そんな理想的な生命の循環が本当にあったらいいと願わずにはいられなかったし、モネの中で繰り返された世界の循環を感じて救われた気もした。
モネ展ではモネが勉強している傍ら、幼馴染たちが遊んでいた「人生ゲーム」も小道具として展示されており、それを見てささやかな小道具にも意味があったかもしれないと気付いた。それぞれの人生を探す旅みたいなドラマだったから…。あの時点でモネは自分が進むべき未来を現実で見つけていたから、あのゲームには加わっていなかったのかもしれないとか。とにかく人生ゲームにも意味が込められていた気がする。
話が逸れてしまったが、PIER7では看板の他に空きフロアの窓ガラスにステンドグラスのような装飾(絵)が描かれており、それも太陽の光を反射して、美しくなないろに輝いていた。小さなほやぼーやもたくさん描かれていた。西日を受けやすい、夕方の時間帯がお勧めの場所。
日が翳ってきたので、もと来た道をまた歩いて戻り始めた。途中、電線にたくさんカラスがいて、カモメより、カラスが多いかもしれないと思った。
駐車している「海の市」に戻り、お土産を買って帰ることにした。見つけられなかっただけかもしれないけれど、お菓子など地元食品以外のモネ公式グッズはなくなっていて、残念だった。(カサイルカやコサメグッズもまだあるかなと思ってたけど)代わりに、公式じゃない、イルカのピンバッジとサメキーホルダーを購入。登米版サメキーホルダーも持っているけど、これはこれでかわいいし、比較するためにも購入した。
帰り道もグーグルマップの音声ガイドを頼りに、気仙沼港ICまで行き(ハーフインターで仙台方面の出入り口しかないので迷わない)、三陸道を夕日に向かって運転した。ちょうど夕日の方角で眩しいけれど、山々に光が降り注ぐ中、サントラを聴いて運転していると、いつもの日常から解き放たれて、心が洗われる気分になった。自然界の中の三陸道は気持ち良く走れる道だと思った。登米から1時間もかからないのに、こんないつも通ってる場所とは全然違うのどかな場所があるのかと、感動すら覚えた。海もこんなに近くにあったのかと。山を越えないと見えないから、気付けないけど、案外近くに海はあるんだなと登米と気仙沼のつながりを運転することで実感することができた。広い海や山々を眺めて良さを感じつつも、やっぱり地元、登米が近くなると安心した。
登米ICを出ると、いつもの見慣れた田んぼしかないけど、ちょうど日が落ちてハクチョウたちが帰る時間、ハクチョウの鳴き声が聞こえてくると、そう言えば気仙沼ではハクチョウやガンはいなかったな、やっぱり登米ならではなんだなと、彼らの鳴き声のおかげで妙に登米に帰って来た感が出た。
そして月がぼんやり光り出した頃、前日あれほど緊張していた気仙沼おかえりモネ小旅行を無事に終えることができた。
三陸道が伸びたおかげで、昔よりはるかに簡単に気仙沼に行けるようになった。こんな運転音痴の私でさえ、行けたのだから。でも、震災がなかったら、こんなに登米と気仙沼は距離が縮まらなかったかもしれないと思うと、複雑な心境にもなる。それって裏を返せば震災のおかげでいろいろ便利になった面もあるってことだから…。震災があって良かったなんて言えるわけないのに、震災なんてなかった方が良かったはずなのに、どうして、震災の副産物のようなものに感謝の念を抱いてしまうんだろう。三陸道だけではなくて、そもそも『おかえりモネ』というドラマはもしも震災がなかったら、制作されなかったであろうドラマで、制作される必要もないわけで、なのにこんなにこのドラマに心動かされてしまったということは、なんとなく震災を肯定してしまっている気もして、やっぱり複雑な気持ちになる。肯定というのは、語弊があるかもしれないけれど、戦争と同じで、なぜか壮絶な体験記は後に感動的な話として美化されがちだ。別にモネは内容的に美化されてはいないけど、あの過酷な震災を乗り越えたからこそ、こんなに素晴らしいドラマが完成したのかと考えると、震災なんてない方が良かったはずなのに、震災があったおかげと肯定し、美化してしまっている自分もいることに気付く。ドラマの中の台詞を借りれば「傷付いていい人なんていない、誰も傷付く必要はない」と菜津さんが言っていたように、震災さえなければ傷付く人もいなかったし、傷付く必要もなかった。けれど震災は起きてしまい、たくさんの人たちが傷付いてしまった。直接被災しなくとも、心を痛めた人はたくさんいたし、むしろ震災当時生きていた国内に住む人で、あの震災の影響を受けなかった人を探す方が難しいだろう。あの日生きていた全員が当事者だったということを思い出させてくれたドラマだったから、あの日を美化することになったとしても、『おかえりモネ』は必要な作品だったと思う。震災の副産物として、制作された数多のドラマや映画、道路や橋など整備されたインフラという、破壊の後に生まれた新しいものたちの恩恵を受けて生きているからこそ、東日本大震災は風化させてはならない出来事だと改めて思った。そういうことを考えさせてくれるドラマだった。
もしも震災がなければ、ひとりで気仙沼に行こうなんて考えもしなかったかもしれない。そもそもモネがなければ気仙沼には行こうとしなかった。モネのおかげで、気仙沼が好きになり、「気仙沼ファンクラブ」にまで入ってしまった。
今回行けなかったモネの故郷・亀島(大島)へは春になったら行こうと思っていたけれど、覚えているうちに、近々行ってみようかなんて考え始めている。
「橋を渡って来た」と言えるようになりたい。行ってみたい、大島へ。
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