「ルビーの一番星たち」『推しの子』二次小説 〈前編〉
胎児は母体から見れば異物。胎児のDNAの半分は父親由来のもので、母親からすれば胎児は遺伝的に他者だから。母子は血液型だって違う場合もある。胎児はガン細胞の増殖と同じ要領で、母体内で成長することも知った。母体を殺さない程度に、遠慮なく母体から栄養や酸素を搾取する。胎内でしか生きられない自分が生き延びるために。こういう事実を知れば知るほど、子どもは愛の結晶なんて浮ついた言葉で美化できなくなる。子どもなんて別に神のように崇高で尊く、守るべき存在ではないのではないかと疑いたくもなった。最近の私はきっとマタニティブルーなんだろう。こんなネガティブなことばかり考えてしまうから。
一方で、母体に備わっている異物の子を守ろうとする仕組みに畏怖の念を感じた。異物は本来、免疫機能によって体内から排除されるようになっている。ウイルスなんかを排除しようとするように。不思議なことに、胎児とガンだけは免疫系統でスルーされ、拒絶されないという。胎児を孕む子宮では、免疫寛容が起きて、他者である子を排除せず、守ろうとするらしい。子宮ってどの臓器より寛容で、やさしいと知った。普段はもの静かで存在感さえないのに、生理や妊娠中だけは、威力を発揮して、鶏卵程度の大きさからスイカ程度までサイズを自在に変えてしまう。すべては異物のはずの子の命を守るために。
多くの人が母親という存在を畏れ、海のように圧倒的な包容力に身を委ねたくなってしまうのはたぶん、免疫寛容を備えている子宮を持つ生き物だからだろう。私も子宮のように、寛容でやさしい存在になれるだろうか。懐妊した私は、おなかの子たちをひとりで守れるかどうか、葛藤していた。
幸いなことにつわりは軽い方だった。味覚が変化して、食べ物の好みがちょっと変わったくらいで、吐き気もほとんどなかったから。妊娠九週目の現時点ではだけど。これから本格的なつわりが到来するかもしれないと思うと怖い。吐き気はないけど、日中も強烈な眠気に襲われていて、仕事に支障をきたすからちょっと困る。夜の間にしっかり熟睡しようと思っても、時々子宮が張って、その違和感で起こされるから、浅い眠りが増えてしまった。
映画『15年の嘘』が大ヒットして以来、私は役者としてもひっぱりだこになった。おかげでアイドル業だけでは獲得できなかったファンも増えた。ファンの年齢層がやや高くなり、親子でB小町のライブに来てくれる人たちもいた。熱心にファンレターを綴ってくれる五十代以上の人たちもいたりして、私はうれしかった。老若男女から慕われる真のアイドルになれた気がして。
ファンレターをくれる人の中に、特に気になる人がいた。いつも「M.T」とイニシャルのみでドラマや映画の感想を長々と書いてくれる人…。文面や筆跡から推測すると、そこそこ年配の女性だろうと思った。私が20歳の時に主演した『20年目の真実』という映画の感想をくれた時だけ、イニシャルの他に、携帯電話の番号が記されていた。私はその時、「サリナ」という名で、母親と確執のある女性の役を演じていた。いつも熱心に映画やドラマの感想を書いてくれる私のファンだというその人に、私はどうしても会ってみたくなった。予期せず、自分が母親という立場に足を懸けてしまい、誰かにすがりたくなったからかもしれない。いつか娘と息子と一緒に、B小町のライブに来てくれたことも手紙に書いてくれていたから、彼女はきっと母親だろう。母親という立場の人と話をしてみたくなった。近しい人より、私から声を掛けない限り、会えない距離感の人の方が、話しやすいとも思ったから。
ミヤコさんや壱護さんにファンレターをくれる特定のファンと会いたいなんて頼んでも、危ないからダメと断られることは目に見えている。だから私は、こっそり彼女の携帯に電話をかけた。「星野ルビーです」なんて言ってもイタズラ電話と思われて、信じてもらえないかもしれないけど。私は二年前にもらっていた携帯番号が添えられた手紙を大事にしまっていた机の引き出しから取り出し、緊張しながら電話してみた。すると彼女は疑いもせずに私をルビー本人だとすぐに信じてくれて、会ってくれることになった。
私が指定した飲食店の個室に現れた彼女を見て、私は言葉が出なかった。私にファンレターを送り続けてくれていた「M.T」さんは、天童まりなで、私の前世・さりなの母親だったから…。
「初めまして。天童寺まりなと申します。まさかルビーさんご本人から会いたいなんて言ってもらえるとは考えたこともなかったので、まだ夢みたいです。」
彼女は瞳をキラキラ輝かせながら、私を見つめてくれた。私が、アイというアイドルを追いかけていた時と同じような眼差しだった。
「はっ、初めまして。今日はお忙しい中、お越しいただき、ありがとうございます…。」
想像もしていなかった人が目の前に現れたものだから、私の方が緊張してしまった。
「忙しいなんてことはないので、大丈夫ですよ。ルビーさんの方がお忙しいでしょう。まもなく公開される新作映画の告知のお仕事も増える時期でしょうし…。五反田監督の映画だから、すごく楽しみなんです。ルビーさんのファンになったのは、『15年の嘘』がきっかけだったので…。」
戸惑う私と比べて、彼女の方はすぐに饒舌になった。
「今夜はたまたまオフだったので…都合合わせて下さり、ありがとうございます。『15年の嘘』がきっかけでファンになって下さったんですね。あの映画がきっかけで私を知ってくれた方は多いんです。いつもお手紙ありがとうございます、天童寺さん…。」
「名字じゃなくて、下の名前でいいですよ。私もいつもはルビーちゃんって呼んでますし。あの映画は…私の嘘や罪も思い出させてくれて、いろいろ考えさせられたんです。母親としての自分の存在というか…。あっ、私、娘と息子がいるんですけどね。」
「知ってます。娘さんと息子さんと一緒に、B小町のライブにも来て下さってますよね、まりなさん。嘘や罪って、何か…あったんですか?」
私は「M.T」さんという人に会い、今自分が抱えている葛藤を解決する糸口を見いだそうとしていたけれど、「M.T」の正体が自分の母親と分かると自分のことより、天童寺まりなという女性の気持ちを知りたくなった。
「ルビーちゃん、手紙に書いたこと、覚えていてくれたんですね、うれしい。実は私…長女を病気で亡くしていて、ライブに一緒に行っているのは、次女と長男なんです。」
「そう…なんですか…。」
「娘はさりなという名前で…まだ十二歳でした。ルビーちゃんが『20年目の真実』で演じた子の名前もサリナだったから、ますますルビーちゃんのことが気になるようになって、あの時だけ、携帯番号を書いてしまったんです。娘のさりなも…B小町の大ファンだったんです。アイが生きていた頃のB小町の。私は…娘が生きていた頃、娘が助からない病気と分かって、娘のすべてから目を背けてしまったの。だから、さりなが推していたアイなんてこれっぽっちも興味なかったし、興味を持たないようにしていて。死んでしまう娘との思い出なんて、娘がいなくなった後は残酷だもの。娘のことを思い出すものは何も要らないと、身勝手な私はそう思って、さりな自身やさりなが好きなものを嫌厭していたの。酷い母親よね、私は母親失格なの。最愛の娘を失って正気でいられなくなる自分が怖くて、自分の心を守るために、さりなを突き放したんだから。さりなは苦しみながらも、アイドルになりたいって希望を捨てずに、一生懸命生きていたのに…。」
彼女は目に涙を浮かべながら、娘のさりなに対する自責の念を語った。私が『20年目の真実』で母親を恨む、サリナを演じた時のように。母親が亡くなる直前に和解し、サリナが流した涙とよく似ていた。
「そうだったんですか…。仕方ないと思います。母親だって人間だから、自分の心を守ろうとするのは当然のことで。亡くなった娘さん…さりなちゃんだってきっと、お母さんの気持ちは分かってくれると思いますよ。愛していたからこそ、愛してないフリをして、愛してないって自分に嘘をついたんですよね?」
「そんな風に言ってくれて…ありがとう、ルビーちゃん。本当に、その通りなの。初めは、さりなを愛していたからこそ、失うのが怖くて、さりなを愛さないって自分に嘘をつくことにしたの。けれど…嘘を続けているうちに、心がマヒしてしまって、その嘘が本当になってしまった時期もあったの。特にさりなが一番苦しんでいた頃に。自分はさりなを愛していないから、さりなが苦しんでいても、平気なんて思い込んで、さりなの苦しみから逃げてしまったの。さりながいなくても大丈夫なように、娘の死後は、さっさと次女と長男を産んだりしてね…。私は本当に最低な母親なの。さりなに対してだけじゃなく、今生きている娘と息子に対してもそう思うわ。さりなを失って空いた心の穴を塞ぐために産んだようなものだから…。」
ついには涙を流しながら、彼女は自分の過ちを嘆いた。私はさりなの生まれ変わりですなんて言っても信じてもらえないと分かっていたから、さりなの立場で彼女を慰め、赦すことはできなかった。けれど私は幸いなことに、役者だ。役者としてなら、彼女を慰めることができると思った。
「あの…まりなさんに限らず、誰でもそうだと思うんです。大切な誰かを失ったら、その代替の誰かを求めてしまうと思います。私もそうだったから…。お母さんにしてもらえなかったことをママに求めたり、ママやお兄ちゃん…アクアが亡くなった時も、代わりの誰かにすがりたくなったり…。失うのが怖いから、最初から好きにならないようにしようとか、好きになっても自分の気持ちに嘘をついて嫌いなフリをしたり、そういう気持ち、全部分かります。みんな同じだから、自分だけを責めることはないよ、お母さん…。私のこと、産んでくれてありがとう。」
私は『20年目の真実』の台詞を所々引用しながら、彼女を慰めるように言った。さりなとして、お母さんに伝えたかった言葉を吐き出した。
「ルビーちゃん…サリナの台詞と分かっていても、まるで本当に娘のさりなから言ってもらえた気がして、うれしいです。ありがとう、ただの一ファンの私のことを、慰めてくれて。本当は、ルビーちゃんに会ったら、たくさん愛を伝えたかったのに、自分のこんな話ばかりしてしまって、ごめんなさいね。なぜか分からないけど、ルビーちゃんの前だと自分の気持ちに正直になってしまって…。」
「いえ、私の方こそ、こういうお話聞かせてもらえると、ファンの…まりなさんの心に触れられた気がして、うれしいです。本当の気持ちを正直に話すって、気を許した相手にしかできないことだから、私を信じてくれてるんだと思うと、幸せです。私のファンになってくれて、ありがとうございます、まりなさん。」
私は涙を堪えながら、とびきりの笑顔を彼女に向けた。彼女に愛を伝えたくて。お母さん、私もずっと愛していたよとさりなとしての愛も伝えたくて。
「『15年の嘘』を観た時から、さりなに対して犯した過ちを意識するようになって、『20年目の真実』を観た後は、さりなを愛さないという自分が重ねた嘘を、娘に赦された気分になって…。ルビーちゃんに娘の幻影を重ねてしまうから、つい、普段は誰にも言えない話をしてしまったのかもしれないわ。サリナ、こんな愚かな私を母親に選んでくれてありがとう、愛してる…。」
彼女は『20年目の真実』で、亡くなる直前にサリナに放った母親の台詞を引用した。映画の台詞と分かっていても、うれしかった。お母さんが私のことをサリナと呼んでくれて、愛してると言ってくれたから…。
「…さすが、まりなさん、映画の台詞もばっちり覚えているんですね。」
「もちろんよ。ルビーちゃんの主演作は全部、DVDで揃えて、何度も観返しているから。子どもたちからは、配信で観れば済むとか言われるけど、私はやっぱり形で残したいのよね。物は増える一方だけど、未だにCD、DVD派よ。映画やドラマのサントラもちゃんと集めているの。音楽を聴くだけで、ルビーちゃんの名演技が蘇るのよ。」
笑顔を取り戻した彼女は、楽しそうに話してくれた。
「DVDだけじゃなくて、サントラまで揃えてくれてるんですか。ありがとうございます。あの…まりなさん…こんなことを聞いてまた思い出させてしまったら、申し訳ないんですが、三人のお子さんを産む時、葛藤とか恐怖心とかありましたか?どうやって乗り越えましたか…?」
私は今日、ルビーとして彼女に聞きたかった話をようやく切り出した。
「子どもを産む時の葛藤や恐怖?それはもちろんありましたよ。もしかして…今度のドラマは母親になる話なのかしら?私の話で参考になるなら、いくらでもルビーちゃんに教えるわ。」
役作りと勘違いしてくれたことは好都合だった。
「はい、そうなんです。まだ確定していない役なので、公にはできないんですが、予期せず妊娠して、産むかどうか葛藤する役なんです…。」
「なるほどね…最近、その手のドラマや映画多いわよね。私の場合は…結婚して望んで授かった子たちだから、産みたい一心で、葛藤はなかったけれど、恐怖はもちろんあったわ。つわりは苦しいし、三人とも同じつわりじゃなかったし、無痛分娩を選んでも、初期の陣痛の痛みはもちろんあるわけで、三人目は帝王切開になったから、産後の痛みもつらかったわ…。帝王切開が普通分娩より楽なんて嘘よ。どちらにしても命懸けには変わりない。でも…不思議なことに、自分が死ぬかもしれない恐怖心より、おなかの子に会いたい気持ちが勝るのよ。出産で命を落とすことになるとしても、我が子に一目会えて、自分の子が生きてくれたら、それで幸せって本気で思えた。きっと本能がそうさせてるんだと思うけどね。葛藤することなく、産むことが当たり前と協力してくれた主人にも感謝してるわ。誰かのサポートがないと、特に育児は無理だもの。一人じゃ私は無理だった。だからシングルで子育てしている母親たちはすごいって思うわ。あっ、ルビーちゃんのママのアイさんも、シングルだったわよね。アイさんのことも尊敬するわ。しかも双子のママだものね。」
「まりなさんのお話、すごくためになります。つわりはそれぞれだし、無痛分娩も帝王切開も痛みはもちろんあるんですね…。命懸けになるとしても、産みたい本能も分かる気がします。うちのママの場合は、たしかにシングルでしたけど、事務所の大人たちが私たちの面倒を見てくれたので、子育てできたんだと思います。産んだこと内緒にして、アイドル続けていられたくらい、周囲に恵まれていたというか。それに私の双子の兄は、子どもの頃から大人びていて、手がかからなかったと思います。」
「アイさんは事務所の方々の理解があって、シングルで育てられたのね。たしかに子どもも人それぞれで、手がかかる子とそんなにかからない子もいるものね。健康に生まれてくるとは限らないし…。さりなの場合はね、四歳までは元気だったの。それに、病気が重くなってからは、病院に頼ることができたから。生まれつき障害を抱えていて、例えば二十四時間ケアが必要な子も世の中にはいるものね。どんな子が生まれたとしても、親は子を愛するって覚悟を決めて、産むわけだけど、実際、重い病気を抱えた子が生まれて、自宅でケアし続けていたら、心が折れてしまう親もいると思うわ。親子は愛し合うものって当然の常識のように言われるけど、それができなくなる親子もいるのよね。私がかつて娘にしてしまったように…。だから、今、もう一人子どもを授かれたら、葛藤するかもしれない。とっくに閉経してるし、年齢的にあり得ないけど、神さまのいたずらで授かったら、迷うわ。いろいろ経験してしまった今だからこそ、また葛藤すると思うの。若い頃は…何も知らなかったから、産めたんだと思うの。あっ、十六歳で産んだアイさんのことを話してるわけじゃないのよ。一般論というか…。」
三人の子を産んだ母親として、彼女は私に理想ではなく、現実を教えてくれた。彼女の言う通り、何も知らない方が葛藤せずに、産めるんだと思う。知ってしまったら、想像してしまったら、怖くて躊躇してしまうから。
「さすが母親のまりなさんの話は説得力があります。子どもを産むって綺麗事じゃ済まないですよね。どんな子が生まれるか分からないし、病気を持って生まれたとしても、責任を持って、その子のお世話をし続けなきゃいけない。子どもが大人になるまで、子どもの人生に責任を持てないと母親にはなれないんですよね…。」
「どうしても育てられない境遇の母親は、養子に出すとか、養育を他者に任せる選択肢もあるけど…。九ヶ月も自分のおなかで、自分と一緒に生きてた子を簡単には手放せないと思うの。どうしたって愛着が湧くもの。でも孤立出産して、せっかく生まれた子を放置してしまうよりは、他者に委ねた方がいいわよね。育児は他者にも任せられるけど、出産だけは、自分でどうにかしないといけないの。産むと決めたら、誰も代わってくれない。パートナーさえ、代わってはくれないんだから。そう思うと、女って酷な存在よね。だけど私は、どんなに怖くても痛くても、産めて良かったって思えるわ。妊娠出産は命懸けだけど、その分、何物にも代えがたい幸せも与えてもらったから。子どもたちから。さりなには…幸せのお返しをほとんどしてあげられなかったから、申し訳ないって思うの。」
「本当に、その通りですよね…。最悪、育てるのは、誰かに任せられるとしても、産むことだけは、妊婦本人が自分でどうにかしなきゃいけない。妊娠したら、誰も代わってくれないんですよね。それでも、産んで良かったって思えるものなんですね…。母親って不思議です。」
「実は私、若い頃…フィギュアスケートの選手をしていたの。結婚した時は、選手として引退してもいい年齢になっていたから、スケート人生は潔く辞めることができたんだけど…。ルビーちゃんにだから話すけどね、私…本当はもうひとり、子どもがいたの。さりなを妊娠するより前に…。」
彼女の口から突如、予想もしていなかった言葉が発せられたものだから、私は呆然としてしまった。
「まりなさんって…四人のお子さんがいたってことですか?」
「えぇ…そうなの。まだ十代の頃、スケート生活が順風満帆な時期にね…。スケートが順調な時だったからこそ、おなかの子を産んで育児するなんて、考えられなかった。だからほとんど迷いもせずに、中絶してしまったの…。」
「そんなことがあったんですか…。」
中絶という言葉に私はショックを受けた。
「若かった私は、子どもの命より、自分のスケート人生を選んでしまったの。躊躇なく堕胎を実行してしまったから、後になってから後悔に襲われて…。もし、またいつか授かれたら、今度は絶対産むと誓ったわ。同じ子じゃないのは分かっているけど、生まれ変わりがあるなら、また私の元へ来て、今度こそちゃんと愛するからって思ったの…。だからこそ、結婚後、さりなを授かった時は産むことに躊躇いはなかったのよ。アイさんはすごいわよね。私が初めて妊娠した年齢よりもっと若い歳で、ルビーちゃんとアクアくんを産むと決めたんだから。アイドル人生が終わってしまう可能性だってあったのに、おなかの子の命を守ったんだから、立派だと思う。」
お母さんが私を産む前にも妊娠したことがあって、中絶していたなんて、全然知らなかった。ちょっとショックだったけど、彼女の話は、今、まさに私が直面している心境そのものだった。大学四年生、二十二歳の私は、アイドルとしてのピークは過ぎたかもしれない。けれど役者としては、大学を卒業したら、もっと伸びていける気がする。アイドルとしての未練は少ないかもしれないけど、役者業を休むことになるのは正直きつい。アイドルとしての稼ぎの蓄えならそこそこあるから、当面の生活は大丈夫としても、私の場合、おなかで三人もの子たちがすくすく成長中。三つ子をシングルで育てるなんてできるのかって悩んでしまう。養育費だって三倍かかるんだから。
「自分がやりたいことが順調な時期にふいに妊娠したら、葛藤して当然ですよね…。中絶は出産よりマイナスイメージがありますが、でも母親の健康や人生を守るためにやむを得ない場合もありますし…。妊娠出産って子どもの未来と自分の人生を天秤にかけるようなものだから、たいへんだなって思います。あっ、ドラマのプロット読ませてもらって、似たような境遇の母親役なので…共感します。」
「台本をもらう前から、役作りに熱心なんて、さすがルビーちゃんだわ。私の場合は…中絶後は、子どもたちが生きてくれることが自分の夢に変わったから。それ以上の夢はもうなくて、健やかに生きてさえいてくれたら、それで十分って思った時期もあったの。産めなかった子と病気のさりなには残酷で勝手な夢よね…。今はね、こう思えるの。たとえ短い生涯だったとしても、この世に存在してくれたこと自体が幸せだったって。でもそれは母親の一方的な思いで、娘のさりなからしたら、長くは生きられない病気になってしまう身体に産んだ私を恨んでいるかもしれないけどね…。生まれられなかったあの子は、さりな以上に私を憎んでいるかもしれない。産めなかった子とさりなには母親として十分な愛情をあげられなかった。最期の時だって、看取ってもあげられなかった…。こんな冷たい母親じゃなくて、別のやさしい母親の元に生まれたかったって思いながら、あの子たちはたったひとりで逝ったかもしれない…。」
彼女はまた涙ぐみながら語った。
「まりなさん…生まれられなかった子とさりなちゃんは、まりなさんの元で存在できただけで幸せだったはずです。さりなちゃんは入院してお母さんとあまり会えなくなったとしても、例えば推しのアイドルに勇気付けられたり、病院の先生に支えられて、精いっぱい生きたと思うから。それから…どこかで元気に生まれ変わって、アイドルになりたいって夢を叶えているかもしれませんし。例えば私、ルビーの中にもさりなちゃんみたいな子の魂が宿っているかもしれませよ?あっ今度、そういう転生ネタのアニメの声優にも挑戦する予定なんです。生まれられなかった子も登場するお話なんですよ。」
転生アニメの声優の仕事が舞い込んだのは本当の話だったから、それをネタに話せたのは助かった。
「産めなかった子やさりなが…ルビーちゃんのようなアイドルとして、生まれ変われていたら、うれしいです。できれば何度でも生きてほしいと思うから。満足する人生が送れるまで、何度でも。母親らしいことをしてあげられなかった私が、あの子たちにできることはせめてどこかで生まれ変わって、私の元にいてくれた時より幸せに暮らしてくれることを願うことくらい。ルビーちゃんが声優を務める転生アニメもすごく楽しみよ。」
「母親って子どもは何度でも生きてほしいって思えるんですね…。そういう気持ちも踏まえて、アニメのアフレコがんばります。まりなさん、いつか私にスケート教えてくださいね。滑れるようになったら、スケート選手の役ももらえるかもしれませんし。」
「えぇ、ルビーちゃんが望むなら、いつでもスケートを教えるわ。現役時代と比べたら、ちょっとスケートができるおばさん程度だけど…。ルビーちゃんのお役に立てるなら、何でもするから。ルビーちゃん、今日はたくさんお話してくれてありがとう。夢のような時間だったわ。推しのアイドルというより、亡き娘と話せた気がして、すごく幸せだったわ…。」
「またいろいろお話聞かせてくださいね。私もまりなさんがお母さんみたいに思えました。これからもまりなさんに推してもらえるように、お仕事がんばります。」
私は彼女と握手を交わして、飲食店を後にした。
★後編へ続く
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