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「雪月花~花の記憶~」〈5〉
危うい感じの子だなと思っていた。無口で何を考えているのかよく分からない。彼の文章を読んで、かろうじて彼の性格を把握していた気がする。ほっといたら消えてしまうそうな、死んでしまうそうな…。
そんな彼とよく似た文章を書く高校生が最近お店に来てくれるようになった。彼女はバイトとして雇っている桜井くんの知り合いらしい。高校2年生で、作家を目指しているという。私が経営する本屋に自分で作った冊子を置いてほしいと持って来た。その冊子を読んだ瞬間、私は一気に高校生時代にタイムスリップした。
高校生の頃、私は文芸部に所属していた。2年生になると、先輩も後輩もおらず、同級生三人だけの廃部寸前の部活になっていた。3年生がいないため、私は2年生の頃から部長を務めていた。
部員の一人は雪下滴(ユキシタシズク)。三人の中では一番明るく、いわゆる普通のの女の子だった。歌が上手で、文芸部に所属していながら、合唱部に頼まれて、合唱コンクールに参加することもあった。
そしてもう一人がさっき話した危うい彼、月波透(ツキナミトオル)。あまり他人を寄せ付けようとはせず、いつも一人で黙々と何かを書いていた。表情をあまり表に出すこともなく、笑ったり怒ったりしている顔は見たことがなかった。なのに彼が得意としていた短編小説にはそれぞれの主人公の感情ばかりが綴られていた。彼の描くそれぞれの内面、心情に吸い込まれた。
文芸部が唯一、活躍できる場は文化祭だった。文化祭のために年に一度、本格的に印刷発行できる部誌「雪月花」の制作を夏休み中から行なっていた。
その夏休みが始まって間もなく、軽音部の同級生から「この曲に合わせた歌詞を考えてほしい」とギターで弾かれた曲の入ったカセットテープと手書きの楽譜を渡された。図々しいことに「選びたいからできればたくさんの歌詞を書いてみてほしい」と。
たくさん書いてほしいと言われても、暇そうに見える文芸部だって、夏休みは忙しい時期だった。軽音部に協力するよりも、自分たちの部活に力を入れたいと思っていた。仕方なく、部員三人でそのカセットテープを聞いて、楽譜を見ながら、一人一編ずつ歌詞を書いてみることにした。合唱部で普段から歌に慣れている滴だけ、やる気満々で、本気モードで歌詞を考えている様子だった。私は…詩を書くことは好きだったけれど、メロディーを聞いて音符に合わせて歌詞を考えるなんてしたことがなくて、苦戦していた。月波くんは相変わらず澄ました顔で、音符を見つめながら黙って歌詞を綴っていた。
この調子だと、きっと滴の歌詞が採用されるだろう。私は勝手にそう思いながら、軽音部に三人がそれぞれ考えた歌詞を渡した。すると意外なことに、選ばれたのは月波くんが書いた歌詞だった。軽音部いわく「月波の歌詞が一番、俺たちの心に刺さった」と…。本気で取り組んでいた滴はがっかりしていた。一方、月波くんに歌詞が選ばれたことを告げると、うっすら笑みを浮かべた。彼の笑った顔を見たのはその時が最初で最後だった。
9月下旬、文化祭で軽音部はカバー曲が大半の中、月波くんが歌詞を担当した「アンセム」というオリジナル曲も披露した。カバー曲に負けないほど、盛り上がっていた。
文芸部は三人だけで作った部誌を無事に発行することができた。たった三人きりの部活になっていたけれど、それなりに伝統だけはあって、開校以来、毎年一冊ずつ発行されていた。
ひとつの教室を借りて、三人の作品を書いた紙を壁に貼ったり、歴代の部誌を並べて自由に閲覧してもらえるようにした。もしもこのまま、入部してくれる人が現れず、私たちが卒業したら本当に廃部になってしまう。文芸部を知ってもらえる機会はこの日しかない。少しでも文芸部に興味を持ってもらえるように、飾りつけなど趣向を凝らした。
合唱部のステージにも立っていた滴に代わって、月波くんと私が二人きりで文芸部の展示教室の中にいた。話すことなんて特にない。賑やかな音楽や笑い声が絶えまなく聞こえる非日常的な学校の中で、唯一文芸部だけはいつも通りの日常、静かな時間が流れていた。
「月波くんって…作詞の才能あったんだね。ほとんど小説しか読んだことないから、知らなかったよ。せっかくだから、もっと詩も書けばいいのに。」
手持無沙汰に彼に話しかけてみた。
「…別に、才能なんてないよ。ただ、詩よりも小説の方に興味があるだけで…。」
いつも通りのクールな表情を変えることもせず、彼は椅子に座ったまま微動だにせず、本を読みながらそう呟いた。
文化祭は他の部と比べたら派手さは欠けるけれど、お客さんには来てもらえたし、うまくいったと思う。なのに、文化祭が終わった途端、月波くんは学校に来なくなってしまった。もちろん部活にも顔を出さなくなった。軽音部からは「月波、また歌詞考えてよ」なんて頼りにされていたし、文芸部としても月波くんは即戦力のある書き手だからますます期待していたのに、なぜか月波くんは不登校になってしまった。
「私たち、何か悪いことしちゃったかな」と滴と二人で話したけど、特に思い当たる節はなかった。「もっと詩も書けばいいのに」なんて何気なく言ったことが原因だったかなとか、いろいろ考えてしまった。
結局、月波くんは3年生になっても、一度も学校へは来ず、滴と二人きりで部活動を続けていた。卒業するまでに新たな部員も獲得できず、文芸部の廃部も決まってしまった。
あれから20年以上が経過した。月波くんがどうなっているのかは滴も私も知らない。けれど、お客さんの高校生の文章はたしかに月波くんの文章を思い起こさせた。どうしてなんだろう…。この懐かしさはどこから来るものなんだろう…。
「桜井くん…あの子、冊子持ってきた高校生の子って、どういうつながりで知り合ったの?どんな子?彼女…なんだよね?」
私は思い切って、桜井くんに尋ねてみた。
「夏月(ナツキ)は彼女なんかじゃないです。同じバンドのファン仲間なんです。ただの友達です。」
「彼女とはバンドのファン仲間だったんだ。なんてバンド?」
「ヨルノアカリってバンドです。香坂さんも知ってるとは思いますが…。」
音楽に疎い私でも聞いたことのあるバンドだった。
「あーあの二人組みのバンドね。テレビで見たことあるよ。」
「世間からはデュオって勘違いされているんですが、実は表に出ていないもう一人のメンバーがいて、その人の歌詞が人気あるんですよ。」
「へぇーそうなんだ。ほんとは三人組みのバンドだったんだね…。」
私はまさかね…と思った。でももしもそうだとすればすべて辻褄が合う。彼女が作った冊子から月波くんを思い出したことも…。
「香坂さん、是非ヨルアカ聴いてみてください。本が好きな香坂さんなら、きっと気に入る歌詞だと思うので。」
そう言って、桜井くんがCDを貸してくれた。ゆっくり聴いて読んでみようと思う。もしかしたら推測が確信に変わるかもしれないから…。
★『ヨルノアカリ物語』主な登場人物 (※名前が決定している人物のみ)
★「春夏秋冬」、「雪月花」、「花鳥風月」、「雪星香」4部作・全20話、「ヨルノアカリ物語」です。すべて1話ごとに完結している連作群像劇です。読み切り連作です。
若者なら誰でも密かに隠し持っている自分の弱点、欠点、短所など負の部分を、日常的に誰かと関わることによって克服できるかもしれない淡い希望の物語です。
派手ではない単調で退屈な日常、うまくいかず、やるせない日常を過ごしていても、ちょっとしたことがきっかけで、人生にほんのり明かりが灯るかもしれない瞬間があることを伝えたくて描きました。
ひとつのバンドを巡って、悩み、コンプレックス等を抱えた人物同士が出会い、結び付き、それぞれの人生が少しだけ良い方向に変わるかもしれない物語です。