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「キンモク星の王子さま」~唄うたい(志村くん)との出会い~

 とても心地よい香りに気付いて、ぼくは目が覚めた。懐かしい風…そして夕日の柔らかな日差し…。きっとここはぼくの星だ。自分の星に帰って来られたんだ。バラは…ぼくだけの特別な、ぼくの花はどうしているだろうか…。そんなことを考えながら、飛び起きると、大きな木が茂っていることに気付いた。
 しまった、ぼくがいない間にバオバブの木がこんなに大きく成長してしまったんだ。こんな巨木になってしまったら、もう引っこ抜くこともできないや。どうしよう…。ぼくの花は、ぼくだけの特別なバラは、まさかこの木のせいで、枯れてしまっていないだろうな。心配していた矢先、その木から話しかけられた。
「きみは誰?この星に誰かが来るなんて、珍しいこともあるもんだ。」
よく見てみると、その木はバオバブの木ではなかった。
「ぼくはこの星の王子だよ。自分の星に帰ってきたんだ。きみの方こそ誰?」
夕日色の小さな星型の小花をたくさん咲かせているその木からはとても良い香りがした。
「ぼくはキンモクセイの木だよ。地球っていう星から渡り鳥がぼくの種をここまで運んで来てくれたんだ。この星はいい所だね。誰もいなくて、静かで、夕日もキレイだし…。」
「きみはキンモクセイっていう木なのか。地球なら、ぼくも少し前まで行ってた星だよ。地球もいい所だったよ。キツネとか、人間とか、友だちができたし…。砂漠が広がっていたり、たくさんのバラの花が咲いていたり…。そうだ、バラの花は?ぼくの花、知らない?」
王子さまはキンモクセイが誰もいなくて、静かと言ったことが気になり、不安を覚えた。
「バラの花?あぁ、あの花のことか。あの子なら、この星を出て行ったよ。」
「出て行った?どうして?まさかきみが追い出したの?」
バラが星を出て行ってしまったなんて、王子さまはひどくショックを受けた。
「そんな物騒なこと言わないで。あの子は自分の意志でこの星から出て行ったんだ。」
「自分の意志で?だってぼくの花は自力では動けない「花」なんだよ。ついたてのガラスケースを自分でかぶせることもできない、何もできない花なんだ。そんな彼女が星から出て行くことなんてできるはずがないよ。」
王子さまはキンモクセイの言うことなんて、信じられなかった。
「ぼくがこの星に辿り着いて、芽吹いて、少しずつ成長して、花をつけ始めた頃かな。あの子は、ひどく恥ずかしそうな顔をして、もう待つのはやめるわって言ったんだ。」
「待つのをやめる?」
「ずっと誰かを待っている様子だったよ…きっときみのことだったのかな。自分のせいで出て行った、大切な人のことをここで待っているんだって言ってた。でも…動かないで待っているだけじゃいけないって思ったんだろうね。」
王子さまはキンモクセイの花が咲いた頃、バラの花が恥ずかしそうにしたのはきっと、自分より素敵な香りを放つ花があると知って、気高い彼女のことだからショックを受けたんだろうと思った。だからこの星に居づらくなって、逃げ出したのかもしれないと。
「なんとなく分かったけど、でもどうやってこの星から出て行ったの?彼女は動けないんだよ?何も自力ではできないんだ。何でもぼくがやってあげないと、生きられない花だったのに…。」
「それはぼくと同じ手段を使ったのさ。種になって、渡り鳥に運んでもらったんだよ。」
「それってつまり枯れてしまったってこと…?」
王子さまは自分の花が枯れて死んでしまったのかと思うと悲しくなった。
「たしかに一度は枯れてしまったけれど、でもちゃんと種をつけて、渡り鳥たちがどこかの星へ運んで行ったよ。あの子は枯れてしまう前に、こんなことを言ってたな。わたしはお日さまと一緒に生まれたから、お日さまと一緒に散りたいと言って、夕日が沈む頃、最後に一片残っていた花びらをそっと落としたんだ。」
「ぼくのバラは…ぼくの花の種はどこに行ったか知らない?渡り鳥はどっちの方向に飛んで行ったの?」
「さぁね、どこに行ったかは知らないけど、大切な人の気持ちを知るために、大切な人が行きそうな星に辿り着けたらうれしいって言ってたかな。渡り鳥なら、夕日が沈む方向へ飛んで行ったよ。」
キンモクセイの説明を聞いた王子さまはまた旅に出ることを決めた。
「教えてくれてありがとう、きみがバオバブの木じゃなくて良かったよ。ぼくが戻るまで、どうかこの星を守ってね。」
「守ることができるかどうかは分からないけど、静かな方が好きだから、きみがいない方がぼくは助かる。ひとりが好きだからさ。ゆっくり旅して来るといいよ。」
王子さまは夕日色の良い香りがする花をつけた木に別れを告げて、夕日が沈む方向へ旅立った。

 最初に訪ねた星には、かつて王さまだったという人が住んでいた。見た目は初めて旅に出た時、出会った王さまによく似ていたけれど、性格は全然違っていた。
「はじめまして。あなたは…この星の王さまですか?」
王子さまは風貌が昔出会った王さまのような人にあいさつをした。
「わしは王ではない。ずっと昔、王だった時もあったが…。」
「昔、王さまだったなら、すべてを支配していたから、何でもご存知ですよね?」
王子さまは王さまなら、バラの花のことを知っているかもしれないと思い、尋ねた。
「支配?たしかに、わたしは王として君臨し、この宇宙のすべてを支配している気分になっていたが、もはやそれに疲れてしまったんだよ。だから今は何も知らない。何も知りたくない。全部、忘れてしまったよ。」
「支配に疲れてしまったのですか…ぼくがよく知っている王さまはすべてを支配することを喜んで生きがいとしていました。あなたは違うのですね…。ぼくの花…バラの花のことを知りませんか?昔、宇宙を支配していたのなら、覚えていませんか?」
王さまは王子さまのことを横目でちらっと見て、ぶっきらぼうに答えた。
「さっきも言った通り、何も覚えていないんだよ。わしは支配することに疲れて、すべてを忘れることに決めたんだ。もはや自分に何人の家来がいたかなんて覚えていないし、いくつの星を支配していたかも忘れてしまった。だからそんなちっぽけなバラ一輪のことなんて、知っていたとしても、覚えているわけがないだろう。」
ちっぽけなバラと言われた王子さまは王さまに向かって、怒りたくなった。
「ちっぽけなバラなんかじゃありません。ぼくにとっては世界にたったひとつしかない大切な花なんです。そりゃあ地球という星には彼女みたいなバラの花はたくさん咲いていました。でも彼女はその花たちとは違うんです。ぼくが水を与えて、風から守るついたてを立ててやって…大切にできなかったけど、大切に思っていた特別な花なんです。彼女は自分の身を守るには、四本のトゲしか持っていないし、ぼくが守ってあげないといけないんだ。ぼくには「なつかせてしまった」責任があるから…。」
王子さまは泣きそうになりながら、王さまに説明した。
「なつかせてしまった責任なんて、わしには関係のないことだ。でもトゲ…なら少しだけ残っている記憶がある。トゲのある植物がたくさん生えている星を支配していたかもしれない…。」
「それはどこですか?どの星に行けば、トゲのある植物に会えますか?」
「どこかは忘れてしまったよ。支配するのが面倒になったから、場所なんて記憶から抹消したのさ。」
「どうか思い出して下さい。どちらの方向かだけでもいいんです。そこにぼくの花が咲いているかもしれないから…。」
面倒になった王さまは王子さまに適当な返事をした。
「思い出した。たしか、夕日が沈む方向だったはずだ。もういいだろ。わしは誰のことも、何も支配したくないんだ。頼むからひとりにしてくれ。おまえのこともすぐに忘れさせてくれ。さようなら。」
「夕日が沈む方向ですね。ありがとうございます。」
王子さまは王さまが言った適当な言葉を信じて、さらに夕日が沈む方向へ旅立った。

 二番目に訪れた星は王さまが言った通り、トゲを持つ植物がたくさん生えている星だった。
「はじめまして。きみたちにはたくさんトゲがあるけれど、ぼくの花を知らない?」
王子さまは緑色の体にたくさんトゲをつけている植物に話しかけた。
「きみの花?おれは知らないね。ここはおれたち、サボテンの星だから、他の植物のことはよく知らないなぁ。」
「サボテン?きみたちはサボテンって言うんだね。ぼくが探しているトゲを持つ花は、良い香りがするバラって花なんだ。」
「花なら、わたしたちも時々頭に咲かせることもあるけど、バラとかって花のことは知らないわ。」
他のサボテンが王子さまに向かって言った。
「同じトゲを持つ植物なら、彼女のこと知ってるかもしれないって思ったんだけどな…。」
王子さまはがっかりしながらつぶやいた。
「同じトゲを持っているからと言って、みんながみんな仲間とは限らないさ。実際、きみにはトゲがないだろ?トゲがなくてもその花とは仲が良いんだろ?似ている見かけにだまされちゃいけないよ。」
一番大きなサボテンが王子さまにやさしく諭した。
「たしかに…ぼくは彼女の見かけばかり伝えて探していた。彼女と同じバラの花たちは、姿は同じでも、性格は全然違ったんだ。ううん、性格さえ知らない、ただ見かけが似ているだけの花だったんだよ。ぼくにとって、性格を中身を知っているバラの花は彼女しかいない。彼女は気位が高くて、勝気で、わがままで、屁理屈をこねることもあったけど、本当はとてもやさしい花だったんだ。」
「それじゃあ、その中身、性格を頼りに探してごらん。やさしい彼女が行きそうな場所を自分で想像するんだよ。」
一番大きなサボテンにそう教えられた王子さまは、はっとした。
「そうだった…ぼくとても大切なことを忘れていたよ。大切なものは目には見えないんだった。物事は心で見なきゃいけないって、友だちから教えられたんだった。」
「きみにはとても素敵な友だちがいるんだね。きみの大切なバラの花とやらは知らないけれど、その花を探すため、心を穏やかにする音楽を教えてあげよう。」
そう言って、一番大きなサボテンが歌い始めると、他のサボテンたちも続けて歌い出した。
「ラーララー ララララー ララーララー ラララー」
「ラララー ラララー ララーラ ララーラ ララーララ」
「音楽は目には見えないけれど、美しい心を連れて来てくれるだろ?」
「この唄を歌いながら、彼女のことを思って、探し続ければきっと再会できるよ。心で探せばいいんだ。」
サボテンたちは歌いながら、王子さまを励ました。
「みんな、ありがとう。素敵な唄を教えてくれて。ぼく、彼女を思いながら、心で探してみるよ。」
王子さまは「ラーララー ララララー ララーララー ラララー」とサボテンたちが教えてくれた唄を口ずさみながら、心が赴く方へ旅立った。

 三番目に訪れた星には、花火師が住んでいた。彼は昔出会った点灯夫に似ている気がした。
「はじめまして。きみは誰?ぼくの知り合いにきみに似た点灯夫がいるけれど、違うよね?」
「おれは花火師だよ。今、花火の火薬をつめているところだから、集中させてくれ。あんまり近寄ると危ないぞ。」
「花火って何?」
「おまえ花火も見たことないのか。ちょっと待ってろ。夕日が沈んで、夜になったら見せてやるから。」
王子さまはサボテンたちに教えられた唄を口ずさみながら、夕日が沈むのを待った。
「その唄、なかなかいい唄だな。」
花火師は打ち上げ花火の準備をしながら、王子さまの唄を聞いていた。
「少し前に行った星で出会ったサボテンさんたちから教えてもらったんだ。」
「へぇーおまえはもしかして宇宙を旅しているのか?」
「旅には違いないけど…花を探しているんだ。どこかの星できっと咲いているはずだから。ぼくの大切な花なんだよ。」
「そうなのか…じゃあおまえとおれは似ているかもしれない。おれも探している人がいるんだ。」
「そうなの?じゃあ一緒に探しに行こうよ。」
花火師は首を振って、ふっと笑った。
「おれは…ここで待ってるって決めたんだ。花火を上げながら、待つと決めたんだ。」
王子さまは彼が自分の帰りを待ってくれていたバラの花みたいだなと思った。
「でも…待っているだけじゃ、再会できないかもしれないよ。自分で探しに行かなきゃ…。」
「おれは信じているから。きっと帰ってきてくれるって。だから大丈夫なんだよ。どんなに寂しくても、信じる気持ちがあるから、寂しくないんだ。」
王子さまは寂しいと言ったり、寂しくないと言ったり、おかしなことを言う人だなと思った。
「寂しいのに、寂しくないの?信じるだけで、寂しくなくなるの?」
「あぁ、そうさ。寂しい時は、その人のことを思い出している証拠で、その人が自分の心の中にいる時ってことだろ。つまり自分の心の中にいるから、寂しい時ほど、寂しくないんだよ。信じるだけで、心が温かくなる。本当に寂しいのは、寂しいとも感じなくなった心を持ってしまった時さ。」
「言われてみればそうだね…ぼくもバラの花のことを思い出すととても寂しいけど同時にとても温かい気持ちになるよ…寂しいけど寂しくないってこういうことなんだね。」
王子さまは花火師の言うことがよく理解できるようになった。
「おまえも、相手のことを信じているんだな。信じられる相手がいるって幸せなことだと思うぜ。」
「ぼくは…子どもだった頃、彼女のことを信じられなくなって、彼女の元から飛び出してしまったんだ。それで彼女のことを傷付けてしまったかもしれない。だからもう彼女のこと裏切るようなことはしたくないんだ。今度再会できたら、ずっと一緒にいるつもりだよ。」
花火師と会話をしているうちにすっかり夜になっていた。
「なるほどな、おれも似たようなものだぜ。一緒にいる時は、彼女のこと信じられない時もあった。近すぎたのかな。ずっと側にいたからさ…。でも今は信じられるんだ。ちょっと出かけてくる、すぐ戻ってくるからってこの星を出て行った彼女のことを、信じて待っているんだ。彼女が迷子にならないように、毎晩目印の花火を上げているんだよ。おれはここで待ってるよって、ふるさとの星はここだよって彼女に教えているんだ。」
そう言って、花火師は火を付けた。ヒュードーンという轟音と共に、夜空に美しい花が咲いた。
「うぁーキレイだな。これが花火っていうものなのか。」
王子さまは初めて見た花火に目を輝かせた。
「これを夜の間中、空に向かって上げるんだ。おれはこの星で生きてるよって、ずっと待ってるよって彼女に知らせるために。」
「これなら、きっときみの大切な人は迷子にならずに戻って来られるね。ぼくも何かぼくはここにいるよって彼女に合図できたらいいんだけどな…。」
王子さまは花火を見上げながらつぶやいた。
「おまえも何か、ランプとか明かりを持って旅したらいいんじゃないか?自分はここにいるよって合図になるようにさ。」
ランプの明かりと聞いて、王子さまは点灯夫のことを思い出した。
「おれは花火しか作られないから、おまえのためにランプを作ってやることはできないけれどさ…。」
「ぼく、知り合いの点灯夫の所に行ってみるよ。彼なら、ぼくにぴったりのランプを作ってくれるかもしれないから。花火、見せてくれてありがとう。」
こうして王子さまは花火師の星を後にし、記憶を頼りに点灯夫がいる星へ向かった。

 四番目に訪れた星は、かつて五番目に訪れたことのある点灯夫の星だった。たしかに彼はいたけれど、以前までの彼とは少し様子が違っていた。
「ひさしぶり。ぼくのこと覚えてる?」
王子さまは点灯夫に話しかけた。
「誰だっけ…?」
眠そうな目をこすりながら、少し考えてから思い出したように点灯夫が言った。
「あぁ、ずいぶん前、おれが忙しなく点灯夫やってた頃に来たことのある子か。」
店灯夫やってた頃という言葉が引っかかった。そう言えばあれだけ忙しく街灯の明かりをつけたり消したりしていた彼だというのに、さっきからずっとあくびしながら、のんびりしている。
「あの…街灯の明かり、つけたり消したりしなくていいの?」
王子さまの質問に点灯夫は笑った。
「あの頃と比べたら今は天国だぜ。おれも頭を使ったんだ。命令だから、街灯の明かりをつけたり消したりしなきゃいけない。でもその命令に従い続けていれば、一生、おれは大好きな眠ることができないんだ。ゆっくり睡眠をとるために知恵をしぼった。」
「それでどうしたの?」
王子さまが尋ねた時、朝が来て、街灯の明かりが自動的に消えた。
「お日さまの力を借りているんだよ。ソーラー電池っていうのを開発して、自動的に夜になれば明かりが灯るし、朝が来れば自動的に明かりが消える街灯を発明したんだ。おかげでおれは自由にゆっくり眠ることができるようになった。」
彼は自慢げに微笑んだ。
「すごいね、お日さまの力で自動的に灯ったり消えたりする街灯を作ったなんて。」
ぼくにもそれを作ってくれないかなと言いかけたところで、王子さまはふと思った。初めて会った時の彼はいつでも忙しそうで、一生懸命な姿に心が惹かれた。でも、今の彼ときたら、何もせずに、ぐうたら居眠りばかりしている。前までの彼なら友だちになれそうだなって思っていたけれど、今の彼とは友だちになりたいとは思えなかった。彼はつまらない大人になってしまったんだと王子さまは少しがっかりした。
「真面目に命令に従ってばかりだった頃の自分がばかばかしいよ。」
「そうなんだ、でもぼくは、ばかみたいに真面目に一生懸命だったきみのことが好きだったよ。友だちになれそうって思ってたんだけどな…。」
「なんだよそれ、みんな純粋な子どものままではいられないのさ。きみだって初めて会った時とは少し雰囲気が違って見えるよ。」
「ぼくは…きみみたいな大人にはなっていないよ。子どもだった頃の自分を忘れてはいないよ。だって、見えないものを信じてるし、友だちが描いてくれた木箱に入ったヒツジも、ヘビが飲み込んだゾウもぼくにはまだ見えるもの。」
そう言って、地球で出会った友だちが描いてくれた木箱に入ったヒツジの絵を大切そうにポケットから取り出した。
「ヒツジの絵?そんなのただの箱じゃないか。きみは友だちとやらにだまされたんだね。」
王子さまが宝物みたいに大事にしている絵を見て、点灯夫は笑った。
「きみは、お日さまの力を借りてたしかにすごい街灯を作ったかもしれない。けれど、大切なことを忘れてしまったんだね。大切なものは目に見えないのに…。」
王子さまは悲しくなって、足早に点灯夫の星を後にした。

 悲しい気持ちのまま、あてもなく彷徨っていると、雨が降り続く星に辿り着いていた。五番目に訪れた星には寂しがり屋が住んでいた。
「よく来てくれたね、会いたかったよ。」
王子さまがあいさつをする前に、寂しがり屋が王子さまに話しかけた。
「誰かと話すのは一週間ぶりかな。きみが来てくれてうれしいよ。」
「はじめまして。この星はずっと雨が降っているの?」
寂しがり屋は王子さまに傘を差し出しながら説明した。
「あぁ、そうだよ。この星はずっと雨が降り続いているから、ずっと傘を差している必要があるんだ。」
「そんな星、居心地悪くない?別の星に移り住めばいいのに。」
王子さまは傘からぽたぽた滴る雨粒を眺めながら言った。
「ぼくにとって居心地は悪くないんだよ。何しろ雨のおかげで美しいものが見られるからね。」
雨が降りしきる中、ひと時射し込んだお日さまの光を見つめてつぶやいた。
「お日さまと反対の空を眺めると、ほら。」
そこには七色の輪が輝いていた。
「うぁーキレイだな。あれは何?」
王子さまは花火と同じくらいキレイなその七色の光に見とれていた。
「虹っていうんだよ。お日さまだけじゃあ、作ることができないものなんだ。雨も降らないと、虹は架からないんだよ。この星はずっと雨が降り続いている分、毎日虹も見られるんだ。こんな素敵な星は他にないでしょ?」
寂しがり屋は自慢げに王子さまに説明した。
「だからきみはひとりぼっちでもこの星から出ようとしないんだね。ずっと虹を見ていたいから…。」
「その通りだよ。ひとりは寂しいし、誰かにいてほしいけど、毎日虹を眺めたいから、ぼくはこの星から離れないと決めているんだ。虹を見られなくなることも寂しいからね。きみ、ここでぼくと一緒に暮らさない?」
傘をさしたまま、寂しがり屋は微笑んだ。
「たしかに虹はキレイだから、毎日見たいって思う気持ちは分かるけれど…ぼくはぼくの大切な花を探しているから、ずっとここにはいられないや。ごめんね。」
「そっか、きみも虹やぼく以上に大切なものを持っているんだね。仕方ないよね。ぼくたち今日会ったばかりなんだから。きみにはまだなつかれていないし…。いつでもそうなんだ。いろんな人たちがこの星にやって来るけど、虹はキレイって言ってくれるけど、ずっと一緒にいてはくれないんだ…。ほんとは寂しいよ。誰かについて行きたいって思うけど、虹を見られる星と離れるのも寂しいんだ。だからぼくは寂しさに耐えながら、生きるしかないんだ。」
寂しがり屋は寂しそうに笑った。
「ぼくが花を大切に思うように、同じくらいきみは虹が大切なら仕方ないよ。寂しくてもここにいなきゃ。それに寂しいって思えるってことは寂しくないから大丈夫だよ。」
王子さまはいつか花火師から教えられた言葉を寂しがり屋に伝えた。
「寂しいことが寂しくないってどういうこと…?」
「寂しいってことは、誰かと一緒に過ごした時間を思い出すから、寂しいんでしょ?誰かの温もりを思い出すから寂しくなる。寂しいって思うことは幸せなことなんだよ。本当に寂しいのは寂しいとも思えない乾いた心だと思うんだ…。」
「なるほどね、きみは虹みたいな子だな。雨降りのぼくに寂しさの正体を教えてくれた。寂しいってことはたしかに誰かを思い出すからに違いない。幸せなことだ。」
「ぼくはきみとずっと一緒にはいられないけれど、今日出会ったことをきみは忘れずに覚えていてくれて、会えなくて寂しいって思ってくれるなら、ぼくも幸せだよ。ぼくもきみのこと忘れないよ。忘れないように、唄を教えるから…。」
王子さまはサボテンから教えられた唄を寂しがり屋に教えた。
「ラーララー ララララー ララーララー ラララー
ラララー ラララー ララーラ ララーラ ララーララ」
「素敵な唄だね。」
「この唄を思い出す時、きっとぼくのことも思い出してくれるでしょ?思い出して寂しくなるでしょ?そしたらこの唄をぼくもどこかで歌っているって想像してほしいんだ。そしたらきっと寂しいことが幸せに思えるはずだから…。」
寂しがり屋は虹を見つめながら、言った。
「ありがとう。そうだね。この唄を思い出す時は、必ずきみのことも思い出すよ。そしてぼくは寂しくなるんだ。寂しいから寂しくなくなるんだ。きみのことを感じられるから…。」
「ぼくもきみのこと忘れないよ。虹を教えてくれてありがとう。傘を貸してくれてありがとう。またいつか会えたらいいね。」
大人になってしまった点灯夫のことで落ち込んでいたけれど、雨が降り続く星で寂しがり屋と出会って、彼を励ましているうちに、なんだか自分も勇気付けられて、王子さまは明るい気分を取り戻して、新たな気持ちで旅に出た。

 六番目に訪れた星からは地球がよく見えた。そこは月というウサギたちが住む星だった。
「懐かしいな…ここからは青い地球がよく見えるや。」
「こんにちは、あなたは誰?」
王子さまを見つけたウサギたちが駆け寄ってきた。
「こんにちは。ぼくはとある星…キンモクセイのある星の王子だよ。」
「星の王子さまなのね、素敵だわ。」
「キンモク星の王子さまなんてすごいなぁ。」
ウサギたちは王子さまのことを褒めた。
「別にすごくなんかないよ。ぼくは自分の星に住んでいた、たったひとつのバラの花さえ、大切にできなかったんだ。今は彼女を探して旅しているんだよ。」
「バラの花?」
「バラの花なら、あの青い星、地球にたくさん咲いているって聞いたことがあるけどな。」
「地球に咲いているバラの花じゃないんだ。昔、地球に行ったことがあって、そこでバラの花なら見たことがあるんだ。彼女に似ているけど、違うんだ。ぼくの花はひとつしか存在しない、特別なバラだから。」
王子さまはウサギたちに説明した。
「へぇーそうなの。そんなに特別なバラの花が存在するのね。」
「ぼくたちも見てみたいなぁ、そのバラの花。」
「きっと、きみたちが見たら、地球に咲いているような、ただのバラの花に過ぎないと思うんだ。ぼくにとって特別というだけで…。四本のトゲを持っていて、気高くて、わがままで、やさしいバラなんだ。」
王子さまは彼女のことを思い出しながら、やさしく言った。
ウサギたちと話している最中、誰かが忍び寄ってくる気配を感じた。
「ヘビだ!逃げろ。」
ウサギたちは一目散に駆け出した。
王子さまはヘビなんてちっとも怖くなった。だって自分を自分の星に戻してくれたのもヘビだったから。足元にするすると近寄ってきたヘビに向かって言った。
「こんにちは、ヘビさん。」
「驚いたな。おれのことを怖がらない奴もいるなんて。おれは毒を持っているんだぞ。怖くないのか?」
「毒を持っているのは知ってるよ。怖くないよ…きみの仲間のおかげで、ぼくは今、ここにいられるんだ。ありがとう。」
ヘビは王子さまの足元から少し離れて言った。
「おかしな奴だな。噛む気も失せるよ。おれの仲間がおまえのことを助けたのか?」
「うん、そうだよ。ぼくはきみの仲間に助けられた。あの青い星…地球でね。」
「そう言えば、地球にもヘビがいるって渡り鳥から聞いたことがあるな。」
「きみ、渡り鳥と友だちなの?」
王子さまはヘビに尋ねた。
「友だちってほどじゃないけど、知り合いだぜ。地球に向かう鳥がこの星で休んだりする時、時々話すんだ。ほんとは最初、弱ってる奴らを丸呑みしてやろうとか思ってたんだけど、あいつらはあいつらなりにがんばって星を巡って生きているから、かわいそうだなと思って、思い止まったんだ。それにおれの知らない星の話も聞かせてくれるし。」
「じゃあ、じゃあさ…花の種を咥えた渡り鳥を知らないかな?バラって花の種なんだけど…。」
「花の種を咥えた鳥?そんなの山ほどいるから、見当もつかないぜ。」
「この星に…月に、花の種を咥えた渡り鳥も来てるってこと?」
「あぁ、そうだよ。咥えて来たり、種を食べてきたって奴もいるな。花の種はおいしいらしいから。」
「食べる…ってことは呑み込まれちゃうってこと?」
王子さまは自分の花の種が渡り鳥に食べられてしまっていたら、どうしようと心配になった。
「食べてもさ、消化しきれないと排出されるから、生き残る種もあるから大丈夫だと思うぜ。」
「そうなの?」
「そうだよ。おれだっていろいろ丸呑みして生きてきたけど、消化できないものは排出してるし。」
「そっか、じゃあぼくの花の種も大丈夫かな…。この星に来る渡り鳥って地球に向かう鳥が多いの?」
「あぁ、そうだよ。地球に向かうか、地球からどこかの星に向かおうとする鳥が多いよ。」
「それなら、また地球に行ってみようかな…。もしかしたらぼくのバラの種も渡り鳥が地球に運んだかもしれないし…。」
「そっか、おまえも地球に向かうのか。もしも…もしもそのバラの花とやらと再会できなかったら、おれの所へ来るといいよ。」
「うん、そうするつもりだよ。きみはぼくの行きたいところへ連れて行ってくれるものね。」
王子さまはヘビに別れを告げて、地球へ向かった。

 地球の丘の上に到着した。そこには王子さまの星にあった良い香りがする夕日色の小花をつける大きなキンモクセイが一本生えていた。その木の下で、どこかで聞いたことのある唄を歌っている人間がいた。その人間はゾウを丸呑みしたヘビの形みたいな帽子をかぶっていた。
「はじめまして。きみのその唄、どこかで聞いたことがある気がするんだ…。」
王子さまはその帽子をかぶった人間に話しかけた。
「あーこの花火の唄のこと?これはぼくが作った唄なんだ。ぼくは唄うたいだから。」
彼は王子さまに持っていたギターを弾きながら、歌って聞かせた。
「その唄!サボテンたちが教えてくれた唄だよ!花火の唄だったなんて知らなかった。」
「サボテン?ぼくは鳥に歌って聞かせたくらいで、サボテンには教えてないけどな。」
きっとその鳥って渡り鳥だったに違いないと王子さまは思った。
「素敵な唄だよね。ぼく、この唄を歌いながら、花を探しているんだ。ずっと…。」
「花?花なら、ほらキンモクセイの花が今ちょうど満開だけど?」
「違うの、キンモクセイじゃなくて、もう少し違った香りの花…。バラの花を探しているんだ。」
「バラの花?バラの花なら、花屋にたくさん売られていると思うけど…。」
「違うの、売られているバラの花じゃなくて、ぼくの、ぼくだけの特別なバラの花を探しているんだよ。」
「なんだかよく分からないけど、ぼく今曲作りしてるところだから、ごめん。」
「曲作り?曲作りってぼくのバラの花より大切なことなの?」
「そうだよ、だって曲作りは唄うたいの大切な仕事だし。仕事しないとお金ももらえないし、生きていけないでしょ。」
王子さまはこの唄うたいという人間もかつて出会った実業家みたいなお金のことばかり言うつまらない大人なのかとがっかりした。
「あんな素敵な唄を作ったきみなら、ぼくの気持ち分かってくれると思ったんだけどな…きみも所詮、ただの大人だったんだ。」
「大人には違いないけど、ぼくは子どもの頃の気持ち忘れてないつもりだけど…。童心を大切にしてるし。今だって、子どもの頃に見た虹を思い出しながら、曲作りしてたんだから。」
「虹?虹の唄も作ってるの?」
「うん、そうだよ。だから忙しいの。」
王子さまはこの人間が虹の唄を完成させたら、あの雨が降り続く星で虹を教えてくれた寂しがり屋の彼に唄を教えてあげたいと思った。
「その唄、完成したら、ぜひぼくに教えてね。教えてあげたい友だちがいるんだ。」
「うん、いいよ。ぼくはたいていこの木の下にいるから、きみがその花を見つけられたら、またここに来るといいよ。一緒に探してあげられない分、花の唄も教えてあげるよ。」
「花の唄もあるの?」
「うん、あるよ。バラの花じゃないけどね。」
「ラーラーララララ ララーラララー ラーラーラララ ララー」
王子さまは彼が歌う唄を聞いてはっとした。
「ねぇ、やっぱり花ってはかないの?色褪せてしまうから、近いうちに消えてなくなる恐れがあるから、永久的にあまり変わらない山や海ほど大切にしてもらえないの?」
昔、地理学者から聞いた言葉を王子さまは思い出していた。
「はかないから大切にされないんじゃなくて、はかないからこそ大切なんだよ。ぼくのふるさとには大きな山があって、一見変わらないように見えるけれど、永遠に変わらないものではないんだ。噴火もするし…大噴火したら、山の形さえ変わってしまう。つまり山もはかないものなんだよ。海だってそうだよ。人間の生活の変化で海の環境も変わってきているし…津波が起きれば、海岸も様変わりしてしまうからね。はかないのは、花も山も海もみんな同じだよ。」
唄歌いは王子さまにやさしく説明した。
「そうなんだ。ぼくの星にも三つの火山があってね。時々ほうきで、すす払いをしていたんだ。大噴火を起こすとたいへんだからね。と言っても、きみが言う大きな山とは違って、とても小さい山だけど。そっか、山も花みたいにはかないものなのか…。」
「すす払いできるほど小さい山があるんだ?それはきっとはかない山だね。だから大切にしないと。きみは…どこか違う星から来たの?ぼくの星って…。」
「うん、地球から少し遠い星から来たんだ。バラの花を探してね。ぼくの星には、小さな火山とそれからキンモクセイの木と、それからバラの花が咲いていたんだ。見ようと思えば一日に四十四回も夕日を見られる、小さいけど素敵な星なんだ。」
「そっか、きみは小さい星からやってきたのか。四十四回も夕日を見られるなんて、ぼくも行ってみたいなぁ。何しろ、夕日の唄も作っているからね。」
王子さまはこの人間は大人だけど、花火の唄に、虹の唄、花の唄、それから夕日の唄を作っているから、やっぱり嫌いになれないと思った。
「いつか遊びにおいでよ。きみにぼくの星の夕日を見せたいから。」
「ありがとう。いつか遊びに行くよ。その前にまずは虹の唄を完成させないとな。これからきみは大切な、はかないバラの花を探すんでしょ?じゃあ、これを持っていくといいよ。」
彼は自分がかぶっていた帽子を外すと、王子さまに手渡した。
「これ…ゾウを丸呑みしたヘビみたいな形の帽子なんだけど、バラの花を見つけた時に役立つかもしれないから。だってきみ、バラと再会したら、自分の星に帰るんでしょ?花を運ぶ時、器がいると思うから、良かったら使って。」
「ありがとう。きみ…ゾウを丸呑みしたヘビの形を知っているんだね。やっぱりきみはぼくが苦手な大人とは少し違う大人だ。」
王子さまはただの大人だと思っていた彼が、子どもの心を忘れていないことを知り、なんだかうれしくなった。
「ぼくがなりたかった大人は、きみが言うただの大人じゃないからね…。つまらない大人にはなりたくないってやみくもに突き進んで来たけど、自分が憧れる、なりたかった大人になれているかはちょっと分からないや…。」
彼は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「大丈夫だよ、きみはきっと見えないものも大切にしていると思うから…。見えない花が咲いているから、星は美しいんだよ。井戸を隠しているから、砂漠も美しいんだよ。ぼくはきみをひとりにしないから。だから寂しくなったら、絶対ぼくの所へ来て。ぼくの星をみつけて、ぼくのこと思い出してほしいんだ。ぼくは、きみが教えてくれた唄を、自分の星で歌って、ずっと待っているから。一番輝いて見える星が、きっとぼくの星だから。バラの花を見つけたら、彼女と二人できみのこと、ずっと待ってるから、安心して、たくさん唄を作ってね。きみはぼくが憧れる大人だよ。ぼくがなりたかった大人だよ。」
雨が降り続く星で出会った寂しがり屋みたいな表情をする彼のことが放っておけなくて、王子さまはやさしく彼に告げた。
「ありがとう。きみは子どもみたいだけど、ぼくより大人だね。ぼくがなりたい大人はきみかもしれない。いつか必ずきみの星へ行くから。たくさんの唄をお土産にしてさ。」
王子さまは帽子ありがとう、笑ってサヨナラ、またねと手をふった。

 唄うたいと別れた後、王子さまは海を渡って、山を越えて、風に乗って漂ってきた懐かしい香りに誘われて、どこかの国に降り立った。そこには大きなバラ園が広がっていた。自分の大切なバラの花より、見かけは何倍も豪華で美しいバラの花たちが甘い香りを放っていた。そのバラ園の片隅に、ぽつんと一本の街灯が立っていた。王子さまはその街灯の明かりに導かれるように、ゆっくり近づいてみると、明かりに照らされた地面からは見覚えのある小さな芽が顔を覗かせていた。
「これはきっと、ぼくの大切な花、ぼくのバラの花の芽に違いない。」
王子さまは自分の星にバラの花の芽が出た時、新種のバオバブの芽かもしれないと、じっと観察していたからよく覚えていた。忘れるわけがなかった。大切な愛しい彼女の成長をこの目で見守っていたのだから。
それからというもの、王子さまはその街灯の側から離れなかった。朝が来て、明かりが消えても、夜が来てまた明かりが灯っても、一日中、何日もずっとその芽を見守り続けた。雨が降らない時は水をやり、風が強い時はガラスケースの代わりに、唄うたいからもらった帽子をついたてにしてその芽を風から守った。
そしてどれくらい時が過ぎただろうか。小さかった芽は成長して、つぼみとなり、花が開いた。やっぱり彼女だった。王子さまにとって、王子さまにだけ特別なバラの花だった。
「あぁ、やっと目が覚めた…あら、ごめんなさい…髪がまだぐしゃぐしゃね…」
あくびをしながら、そんなことを言うのはまさに彼女だと王子さまはうれしくなった。
「ずっと…会いたかったよ、あの時はごめんね。きみをひとりにしてしまって…悪かったって後悔してるんだ。だからもう二度ときみをひとりにはしないよ。」
王子さまはバラの花に催促される前に、朝食の水をやりながら、謝った。
「朝食…ありがとう。でもあなた誰?ごめんねってどういう意味?」
バラの花は不思議そうな顔をして、王子さまを見つめた。
「もしかして…きみ…ぼくのこと覚えてないの?」
「えぇ…覚えてないも何も、私はたった今生まれたばかりですもの。あなたのことだけでなく、何も知らないわ。」
王子さまはショックを受けた。ようやく彼女と再会できたというのに、彼女は何も覚えていなかったから。
「そんな…ぼくのこと忘れちゃったの?ほら、ぼくの星で、こうして毎日きみに水をあげて、それからガラスケースのついたてで風からきみを守ったよ。毛虫もとってあげたし…それから…。」
王子さまは自分が知っている限りのことをすべて彼女に伝えたけれど、彼女は何ひとつ覚えてはいない様子だった。
「ごめんなさい…覚えていなくて…でもあなたが私のことを大切にしてくれていたことだけはよく分かったわ。それに今もこうして、お水をくれて、風から私のことを守ってくれている。あなたはとてもやさしい人ね、ありがとう。」
王子さまは彼女が自分のことを覚えていないことは悲しいけれど、でもこうしてまた彼女と話せるようになった今を大切にして、これからまた一から彼女になついてもらおうと思った。
「分かったよ、大丈夫だよ。きみがぼくのことを覚えていなくても、ぼくはきみのことを忘れないから。忘れていないから大丈夫。きみのこと、今度こそちゃんと大切にするから。」
王子さまは自分に言い聞かせるように、彼女に言った。
「ところでねぇ、私は出来損ないのバラの花なのね…。」
あれほど気高く、勝気だった彼女の口から、そんな気弱な言葉が出てきて、王子さまは驚いてしまった。
「なんで…?なんでそんなこと言うの?きみはとてもキレイだよ。」
王子さまは「でしょ?」と誇らしげに返事をしてくれることを期待したけれど、彼女はまったく違う言葉を発した。
「だって…ほらあっちのバラの花たち。私なんかより、とてもキレイで輝いていて、見事だから…。」
王子さまはバラ園の方を見た。そうか、彼女は自分よりもキレイなバラの花がたくさんあると知って、傷付いてしまったんだ。
「もしも…私ももっとキレイだったなら、こんな小さな街灯の下じゃなくて、あっちの広いバラ園に生まれることができたはずよね。きっと出来損ないだから、捨てられて、こんな隅っこに生まれたんだわ。」
かつての強気な彼女では考えられないほど、弱気で、自虐的になっている彼女を見て、王子さまは心が痛んだ。
「違う…違うよ。きみは出来損ないなんかじゃない。捨てられたわけでもない。きみはきみの…自分の意志で、広い宇宙を旅して、やっとここに辿り着いたんだ。あのバラ園で管理されている、支配されているバラたちとは全然違うんだ。誰よりも輝いていて美しいのはきみだよ。」
「そんなの信じられないわ。だって何も覚えていないんですもの…。」
今にも泣き出しそうな彼女を励ましたくて、少しでも思い出してほしくて、王子さまは彼女をあの場所へ連れて行こうと考えた。
「きみが昔住んでいた場所に似ている場所に連れて行ってあげるから。」
王子さまは唄うたいからもらった帽子に土を詰めて、彼女をそっと入れると、キンモクセイの木のある丘を目指して旅立った。

 バラの花と一緒に山を越えて、海を渡って、また山を越えている最中、遠くの空に花火が上がった。
「あれは何?とてもキレイね…。」
彼女は夜空に咲いた花をうっとり見つめてつぶやいた。
「あれは花火っていうものだよ。」
「美しいけれど、すぐに消えてしまって、はかないものなのね…。」
「はかないものだから、キレイなんだ。大切なんだ。そうだ、唄を教えてあげる。きみを探している途中、教えてもらった花火の唄を。」
王子さまはサボテンと唄うたいから教えられた花火の唄を彼女に歌って聞かせた。
「素敵な唄ね…。」
「この唄を歌っていれば、きっときみを見つけ出すことができるって信じていたんだ。きみはあの花火と同じくらい、それ以上に美しいよ。」
王子さまに褒められたバラの花は照れて、頬を赤く染めた。
「ありがとう、あなたはいつも私のことを励ましてくれて、本当にやさしい人なのね。」
花火の夜が終わった翌朝、雨が降り出した。

「たいへんだ、きみは雨に濡れ過ぎると弱ってしまうからね。少し雨宿りをしよう。」
バオバブの木みたいに大きな傘を広げた大きな木の下で王子さまとバラの花は一休みしていた。
「雨は少しならありがたいけれど、多すぎるとたいへんね。」
彼女は降り続く雨を退屈そうに眺めていた。しばらくすると、雲間からお日さまの光が差し込み始めた。
「雨は厄介だけど、でもほら、見てみて。」
王子さまは彼女をお日さまと反対側の方に向かせた。
「あれは何?とてもキレイな七色の光ね…。」
空には虹が架かっていた。いつか寂しがり屋が教えてくれた虹…。
「虹っていうものだよ。花火と同じくらいキレイでしょ?」
「えぇ、花火と同じくらいキレイ…でもやっぱりすぐに消えてしまうのね。虹もはかないものなのね…。」
「虹もはかないけれど、だからキレイなんだ。でもその虹と同じくらい、それ以上にきみはキレイだよ。」
また王子さまに褒められたバラの花は恥ずかしくて、また頬を赤く染めた。
「ありがとう、あなたはいつでも私のことを褒めてくれて、やっぱりやさしい人なのね。」
「ぼくはきみに自信を取り戻してほしいんだ。自分が世界で一番美しいと誇りを持っていたきみは今以上に輝いていたんだ。そりゃあ最初はなんてお高い花なんだろうって思ったけど、自信を持っているきみは誰よりも美しかった。」
こんな風に何度もバラの花のことを励まし、褒めながら、王子さまはあの大きなキンモクセイの木がそびえる丘を目指した。

 ようやく目的地に辿り着いた。でもあの甘い香りは消えてしまっていた。夕日色の小さな星型の花もなくなっていた。
「どうしたの?」
バラの花は首をかしげた。
「ここ…なんだけど、きみに教えたい香りがなくなっているんだ。この木の花は散ってしまったみたいで…。」
「そうなの…木に咲く花は本当にはかないものですものね。短い間に一気に咲いて、ぱっと散ってしまう…そう花火や虹と同じくらいはかない存在だわ。私もきっともうじき枯れて散ってしまうわね…。」
王子さまはバラの花の言葉にはっとした。そう言えば、花開いたばかりの頃と比べたら、ずいぶんバラの花はくたびれてしまっているように見えたから。
「きっと、長旅に疲れただけだよ。きみのことはこの木の下にちゃんと植えるから大丈夫だよ。」
王子さまは慌てて木の下に穴を掘り、彼女を植えた。そしてたっぷり水をあげた。
「ありがとう。なんだかとっても気持ちいいわ。ここ、素敵な場所ね…少し懐かしい気分にもなったわ。」
「ここはぼくたちが住んでいた星にちょっと似ているからね。この丘はぼくたちが住んでいた星とよく似ている大きさなんだ。」
王子さまは彼女がこの場所を気に入ってくれてうれしいと思った。
「そう言えば…いつもここにいるって言ってた唄うたいの人…今日はいないのかな。」
王子さまは帽子をくれた唄うたいのことを思い出した。
「誰か探しているの?」
「うん、花火の唄を作った人がいつもここにいるよって言ってたんだ。虹の唄を作っているって言ってたんだ。今度教えてくれるって。」
「あの唄を作った人がいる丘なのね。私も会ってみたいわ。虹の唄も作っているなんて、素敵ね。」
王子さまとバラの花は彼を待った。花火の唄や花の唄、それから夕日の唄を歌いながら…。

 そのうち雨ではなく、白い雪が降り始める冬が訪れた。その頃になると、バラの花はもっとしおれて、今にも消えてしまいそうだった。
「ごめんね、こんなに寒くなる場所だとは知らなかったんだ。」
王子さまは昔来た地球の砂漠という場所はとても暑かったので、地球の寒さを知らなかった。
「大丈夫よ、私は幸せだった。だって、もしもあのままあのバラ園の片隅でひっそり咲いていたら、あなたに見つけてもらえなかったら、きっと、花火も虹も見られなかった。それからこんな素敵な夕日が見えるこの丘で生きることはできなかったはずだから。あなたと旅できたことがとても幸せだったの。そしていつも私の側に寄り添ってくれて、本当にありがとう。あなたがいたから、私は長生きできたのよ。結局、昔のことは思い出せなくてごめんなさい…。」
まるで別れの言葉みたいな彼女の言葉に王子さまは切なくなった。
「そんな…ぼくの方こそ幸せだったよ。もっと二人でいろんなものを見ようよ。唄を歌おうよ。ここは寒いから、もっとあったかい場所に引っ越そう。いつかぼくたちの星に帰ろう。だからもっと一緒に生きようよ。昔のことなんて、もうどうでもいいんだ。忘れたままで、思い出せなくていい。だってもうとっくにきみとは新しい思い出の束をたくさん作れているもの。きみはぼくになついてくれたし、ぼくはきみのことを信じた。それだけで十分なんだよ。だから…もっとずっと一緒にいよう。例えきみがまたぼくのことを忘れてしまったとしても、ぼくは忘れないから。ぼくは忘れないことしかできないし、二度ときみをひとりにしないから。」
王子さまの小さな目から大粒の涙が溢れて、バラの花の花びらの上に雨粒みたいに落ちた。そして彼女は微笑みを浮かべたまま、静かに動かなくなった。

 バラの花が枯れて散ってしまって、まるで死んだように見えるけれど、彼女は死んでなんていなかった。また新しい種を残していたから。
 王子さまもバラの花の側で、まるで死んだように動かなくなっていたけれど、それはほんとうじゃなかった…。

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 キンモクセイの木の下から王子さまとバラの花の姿がすっかり消えてしまった頃、地球のはるか上空に小さな星の光が出現した。それを見つけた天文学者は木星と金星の間に夕日色に輝くその星のことを、「キンモク星」と名づけた。キンモク星はひととき見えたきりで、またすぐに見えなくなってしまった。

 ところで王子さまに虹の唄を完成させたら、教えるよと言ったきり、いなくなってしまった唄うたいはどうしているかというと…。

 ぼくのルーティーンはレコードを聞きながら、ギターを弾いて、唄を歌って、茜色の夕日を見ること。寂しいと夕日を見たくなるものだよね…。そしてぼくの元からいなくなってしまったあの子と同じ月を眺めること。寂しいとお月さまも見たくなるものだよね…。あの子とは、誕生日にイチゴのショートケーキを食べながら、記念写真を撮ったのに、自らバイバイしてしまったんだ。あの子の陽炎、蜃気楼を追いかけて、虹を探したりもしたけれど、ないものねだりしても仕方ないから、唄を歌ったよ。やっぱり唄を歌うことしかできなかったよ。あの子が素敵だと褒めてくれたセレナーデを月明かりの下、虫の声を聞きながら歌っていたんだ。そのうち真っ白な雪が降り積もる季節が訪れて、ぼくはひとりで雪だるまを作ったんだ。疲れ果てて珍しく熟睡していたら、蒼い鳥がやって来て、星降る夜になったらあの子に会いに行こうなんて言うんだ。タイムマシンみたいな夜汽車に乗って、バウムクーヘンを食べながら、まばたきする間もないほど目まぐるしく変化する景色を車窓から眺めていた。最後の花火を見てから、浮雲、虹を越えて、雨のマーチを聞きながら、地平線を越えて、銀河を駆け巡った。お月さまにも熊の惑星にも行ったよ。でもなかなかあの子には会えなくて…。そしてあの子にどこか似ている小さな男の子が住んでいると言っていた星に行くことに決めたんだ。彼には虹の唄を教える約束をしているからね。彼にとってかけがえのないバラの花と無事に再会できたかな。二人でぼくが作った花火の唄を歌ってくれているといいな。あぁ、なんだかとても懐かしい香りがする…。キンモクセイの花が咲く小さな星に辿り着いたんだ。その木の下では、ぼくがあげた帽子をかぶった小さな男の子とそれから、一輪のバラの花が寄り添って、夕日を眺めていた。あぁ、きみはキンモク星の王子さまだったんだね。約束した通り、会いに…。

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★続き→キンモク星の王子さまになった唄うたい(志村くん)

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