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くじけそうな君へ 起き方を教えてくれる「つまずいて転んですりむく」ラルク、フジファブリック、BUMPの名曲たち

今月、新聞に掲載してもらった「若者のすべて」に関する文章の中で、私は「転んですりむいたとしても」という言葉を何気なく書いていた。諸事情でそこは「挫折をしたとしても」という言葉に変更となったが、なぜその言葉を選んで書いてしまったのか、後から考えてみると、《躓いて転んだ時は 教えるよ 起き方を知っている事》という歌詞のあるBUMPの「なないろ」を聴きまくっているためかもしれないと気付いた。

もちろん「若者のすべて」の中にも《すりむいたまま 僕はそっと歩き出して》という歌詞があり、そこを少しだけ引用したつもりで書いたのだが、「転ぶ」、「すりむく」、「つまずく」という言葉は自分が好きな曲に多いというか、そういう言葉の多い曲を好きになっていることが多いということにも気付いた。

その類で最初に好きになった曲はおそらくラルクの「Pieces」

《泣かないで 泣かないで 大切な 瞳よ 悲しさに つまずいても 真実を 見ていてね そのままの あなたでいて》

「悲しさにつまずく」という表現、さすがhydeさんだなと思う。石ころにつまずくんじゃなくて、「悲しさ」につまずくと書くことにより、精神的にダメージを受け、心が折れそうに、くじけそうになっている様子がよく分かる。そしてくじけそうになっても「真実を見ていてね」とめげずに、正しいと信じたものを見つめ続けてという愛のあるメッセージに心打たれる。
少し脱線してしまうが、この曲は「泣かないで」から始まり、5音の言葉の登場頻度が高い。Aメロ部分だけでも15回も5音の言葉が歌詞に使われている。短い言葉の奥に込められている意味が深く、美メロも相まって、ラルク珠玉のバラードの代表格と言える楽曲だと思う。

そしてラルクの次に、「つまずき」を意識したのはフジファブリックの楽曲。
「若者のすべて」に関しては前述した通りなので、他の曲を見ていく。

《勢い余ってつまずいて転ぶ すぐに立ち上がる》
《今では大きくなって たまに石につまずいて》「記念写真」
《チェッチェッチェ つまずいてしまう》「バウムクーヘン」
《たまに泣いて たまに転んで 思い出の束になる》「クロニクル」
《水曜日はなんか気抜けして 慌てて転びそうになって》「同じ月」
《心機一転 何もかも春は 転んで起き上がる》「MUSIC」

これらの歌詞を書いた志村正彦さんは転んで擦り傷を作ってしまいがちな不器用な主人公を歌の中に登場させることが多い。しかしつまずいて転んだとしても、立ち上がり、起き上がって、歩み出すという前向きな姿勢に励まされる。

私自身、ここ2年、年に1度は派手に転んで、足には傷痕が未だに残っている。そういう目に見える傷の話をしたいのではなく、心の擦り傷の方が格段に多いということ…。

全然ぱっとしない、地を這うような、むしろ地下に潜ってかろうじて生きる人生が続いていて、溜め息ばかり出るような暮らしの中、「つまずいて転んですりむく」曲に出会えると勇気をもらえる。

もちろん自分の努力が足りないのは分かっている。低所得の仕事から抜け出して、もっとちゃんと働けばいいし、結婚したいなら相手にしてもらえるように、それなりに外見も内面も磨けばいい。そんな努力を怠って、惰性で生きていて、見つけた夢が「物書き」になること。2年以上書きまくって、いろいろ応募もしているけれど、特に成果は出せず、やっと見つけた夢でもつまずいて転んですりむくことが多い。傷は増える一方だ。

向いていないと分かり始めた童話でも、傷を負っている。けっこう本気で書いたつもりだった童話賞で一次審査さえ通過せず、大賞の方の経歴を知り、さらに傷付いた。高校時代少しだけ絵本作家を目指していたけど、ずっと書き続けていたわけではなく、コロナ禍で書いてみたら、さっそく大賞を受賞したというもの。結婚していて子どもがおり、子どもに自分で作った物語を読み聞かせることもあったから、それが童話創作に生かされたのかもしれないと…。この方の人生を知って、独身の私では太刀打ちできない、敵わないとショックを受けた。

長年、童話を書き続けていてやっと受賞したというのなら、敵わないと諦めもつく。けれどこの方に限らず、コロナ禍がきっかけで書き始めたという人がすぐに受賞するケースを何回も見てきた。私はまだ2、3年だけど、10年以上書き続けている人からすれば、新たに登場したライバルにすぐに追い越されて、傷付くケースは少なくないだろう。
でも現実は、努力より実力なんだと痛感する。実力のある人はすぐに受賞して、本を作れたり、さくさくデビューできてしまう。作家になりたいなら、諦めずにとにかく書き続けること、残った人が最終的に勝つなんて考え方もあるみたいだけど、本当に才能ある人ってちょっと書いただけで、受賞できてしまうものなんだなとこの2年で知った。

そしてそのすぐに受賞できる人は、往々にして人生が充実している人のように思える。何をやってもそれなりに上手くいっている人。そこそこいい学校卒業して、普通に就職して、結婚して、子育てして…。なんて人にそもそも敵うわけがない。書くという行為だけでなく、人生そのもので負けている…。そこに一番傷付く。

でも仮に自分が充実した人生を送れていたとして、例えば就職して、結婚もできて、子どもも生めていたら、たぶん「書く」ことはしなかったと思う。書こうと思えないはずだし、書く動機自体、存在しない。この屈折した人生だからこそ、書くことにつながっているから。
それにこの大賞を受賞した方のように、子どもがいたとして、自作物語を読み聞かせることも、童話を書くことも、育児していたらそんな余裕は自分にはないと断言できるから、やっぱり人生で負けるし、敵わない。
他人と比べたところで、じゃあ同じことをできるかと言われたら、私にはできないのだ。そういう人(既婚者)の幸せや喜び、苦しみや悲しみを私は知り得ないから…。

《明日生まれ変わったって 結局は自分の生まれ変わり》
《誰かの掲げた旗を 目印にして 大人しく歩くけど 作った旗も隠している》

BUMP「Butterfly」の歌詞の通り、自分ができることなんて所詮限られている。惨めな人生を過ごしている自分で作った旗を捨てずに隠し持ってるけど、順風満帆な人生を歩んでいる人の旗を指を咥えて遠くから眺めても、真似できないし、絶対辿り着かないのに、それを目印にしてしまっている。
人生につまずいて転んですりむいてばかりの自分には相応しくない旗と分かっているのに、憧れてしまう。そういう方が受賞した場合は特に。

童話というのはつまり子ども向けという前提があり、子どもに希望や勇気を届けるために「明るさ」が暗黙の条件だったりする。講評なんかでも「明るさがあり、子どもが前向きになれる」みたいに書かれる場合もあるので、暗みが十八番の自分には向いていないんだろうと、《どうせこの僕なんかにと ひねくれがちなのです》フジファブリック「エイプリル」というように、ひねくれてしまう。

ウケ狙いで、明るさを追求したいがために、自分の書く原動力になっている暗さや僻みを払拭してしまったら、自分の作風という隠し持っている旗の色が変わってしまう。ど素人が偉そうに何を言うのか、そんなだから成長しないんだよと笑われてしまいそうだけど、自分の個性で物書きに挑戦したいという気持ちがまだ残っている。自分の旗を捨ててまで、物書きを目指したくはないと。つまり純粋に子ども向けというより、屈折した大人、かつて天真爛漫な子どもで荒んだ大人になった人にウケそうな童話を書きたいと思ってるけど、そんなのきっと需要もないんだろうな…。でも大人だからこそ必要な童話ってあると思うんだけどな。

自分が理想、お手本、憧れとする童話と言えば、「ごんぎつね」、「ないたあかおに」、「よだかの星」などハッピーエンドとは言えないような重くて暗さのある温かい物語が多くて、そういう世界観の作品を目指して書いているけど、明るさに欠けるので子ども向け童話としては微妙なんだろうと思っている。好きな物語の共通点は必ず別れが待っているラストシーン。「星の王子さま」も然り。死や別れという人生において決して避けられない悲しみをどうやって温かくやさしいものに変えられるか、それをずっと探求している(つもりだ)。

自分の作風を変えたくないから、子ども向け童話賞にも暗い作品を投入している。そして当然、挫折している。文章がやや硬いとか、童話の基礎からしてダメな点もあるだろうけど、物語の根幹にある自分のテーマはできれば変えたくない。悲しみや暗さを突き通したい。それでいつか受賞できたら、つまずいて転んですりむく人生で良かった、順風満帆な人生じゃなくて良かったって思えるはずだから、自分の旗はやっぱり変えたくないんだよな…。

何しろ、私が目指すところは「悲しさにつまずく」ラルクの「Pieces」だったり、「つまずいて転ぶ」フジファブリックの志村くんの歌詞だったり、それから彼ら同様、「つまずいて転んですりむく」ことの多いBUMPの藤くんの歌詞だから、なおさら作風を変えることはできない。ラルク、フジファブリック、BUMPなど音楽のおかげで物書きになれましたと言ってみたいという途方もない夢もあるので…。

BUMPは一番「転んですりむいて起き上がる」歌詞が多いと思う。

《走った 転んだ すでに満身創痍だ》「K」
《躓いた小石を 集めて歩けたら 君の眼は必ず 再び光るだろう》「Stage of the ground」
《落ち葉を蹴飛ばすなよ 今にまた転ぶぞ》「スノースマイル」
《何回転んだっていいさ 擦り剝いた傷を ちゃんと見るんだ》「ダイヤモンド」
《僕はかさぶた 君の膝小僧 擦りむいたトコから 生まれた》
《でも たまには 転んでもほしいな》「かさぶたぶたぶ」
《歩くのが下手って気付いた ぶつかってばかり傷だらけ》
《ぶつかってばかり傷だらけ だけど走った地球の上》
《体は本気で応えている 擦りむく程度はもう慣れっこ》「GO」
《転ばないように掴まって あるいは座って運ばれる》「ジャングルジム」
《転ばないように気を付けて でもどこまでもいかなきゃ》「アンサー」
《信じてくれるから立っていられる》「Spica」
《足元をよく見て階段一つずつ》「流れ星の正体」
《もう一度起き上がるには やっぱり どうしたって少しは無理しなきゃいけないな》「Flare」
《いろいろと下手くそな僕は この道しか歩いてこられなかった 出来るだけ転ばないように そして君に出会えた》「Small world」

転んで擦り傷ばかりの主人公が多く、つまずいて傷だらけの人生だけとしても、起き上がって自分らしく、ありのままの自分として生きていこうよというメッセージには本当に勇気付けられる。最近の藤くんの歌詞は「転ばないように」細心の注意を払い、「転んだとしても信じて起き上がる」傾向が強いかもしれない。暗さの中にも、歩いて進み続けるという前向きで明るい灯火が見えるから、藤くんを見習った作品を書けるように精進したい。

「Small world」にはこんな歌詞もある。

《叶わないままの夢はどんな光より綺麗で 変われないのに変わりたいままだから苦しくて 流れ星ひとつも 気付けなくても 君を見つけて 見つけてもらった僕は 僕でよかった》

この歌詞に救われた気がした。叶った夢、夢を叶えた喜びよりも、叶わない夢、夢を叶えられない不甲斐ない自分の方が綺麗な光を放てるかもしれないというメッセージがまさに今の自分に重なって、全然夢は叶えられそうにないけど、もう少しがんばってみようかな、がんばれそうだなとこの曲と出会ってそう思えた。
他の普通の人たちが手にしている輝きを私はひとつも持っていないし、そんな光は見たことさえないけど、「君=夢」だとすれば、「夢を見つけて (夢に)見つけてもらった自分は 自分でよかった」って思えた。「君=自分」なら、「自分を見つけて (自分に)見つけてもらった自分は 自分でよかった」とも思うし、そう思いたい。

藤くんのどんな人、どんな自分のことも全力でまるごと肯定できる肯定力を見習って、自分の夢を追い続けたいし、夢を追い続ける人を勇気付けられるような、暗くても微かな光を灯せる肯定感溢れる物語を紡ぎ続けたい。自分はまだ自分の旗を捨てないし、自分が必要とする自分らしい作品を信じて、書き続けてみようと思う。

ということで、「つまずいて転んですりむく」ラルク、フジファブリック、BUMPの楽曲を支えに、叶わない夢を追いかけながら、くじけそうになってもなんとか生きているという話でした。

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