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家業を継がないと決めたとき|決め手は便秘薬だった話part2

年末に起こった事件とは・・・・

父親の入院でした。

仕事中、腹痛で動けなくなり入院したという事を12月30日に聞いたのです。

急な連絡にショックを受けた同時に、「万が一の場合・・・」と、急にこれからの人生について、「リアルに現実的」に考えなければと思うきっかけになりました。

幸い、命に別状はなかったのですが、正月に帰省しても父は無く、いつもとは違う気分で正月を迎えました。

帰省した翌日に見舞いに行きました。父は元気です。安心しました。

でも病院へ見舞いに行く際の出来事で中学、高校と色々父と揉めた時の事を思い出していました。

それは父の「頑固さ」です。入院中に自分の日々使っている便秘薬をこっそり持ってきてと、母に電話をしてきていたのでした。

「病院にいるんだから医者なり看護師さんなりに話をして、薬も含めて管理してもらわなきゃ」という私たち家族の言う事を聞かず、電話越しで「いいからもってこい」と怒っていました。

とりあえず薬を持っていくも、私が直接看護師さんに薬と便秘の事を話をし、対処してもらいましたが、この小さな喧嘩がもとになり私の決断につながっていきます。

「万が一実家を継ぐ事があっても、こうやって家族や私の意見をあまり聞かないんだろうな」という思いでした。(父の事を嫌いという事はありません。でも継いだ場合という場面においては、私にとって心労になるであろうことでした)

秋田から千葉に帰宅 日常生活へ

正月も終わり、私が千葉へ帰宅したのち無事に父も退院したものの、「継ぐ継がない問題」は何も話し合われる事なく正月が終わってしまい、私の心はもやもやしたままだったので、5月のGWに帰省して話をしようとぼんやりと考えていました。

仕事がてら人生経験豊富なご高齢の方と話す事が多々あり、たまに話を聞いてもらっていた方がいたのですが、

その時に言われた事が深く心に入ってきました。

「どの道を選んでも誰かが傷つく、あっちもこっちも傷つかないようにと、考えてたいたら答えはでない。今私に話した事をそのまま喧嘩しないように落ち着いて親御さんと話したら」と。

その日の夜、妻に週末の休みと有給をとって実家に帰って話をしてくると伝えました。

そして、実家への「今後の事で話があるから、今度帰る」と連絡をしました。(返事は来ませんでしたが)

恐る恐る帰郷。実家で話し合い

仕事の調整をして、実家に帰る時がきました。

子供も一人連れ、飛行機で帰りました。(気持ちは落ち着きません)

寄りによって、空港まで迎えに来てくれたのは父でした

お互いに探り探りな会話をしながら本題には触れず、家に到着です。

予め姉にも「継ぐ継がない」の話をすると話していたのと、私の子供が遊びたがっていたので姉も来ていました。

夕飯時になり、とりあえず酒をそそいで、父の退院祝いもかねて乾杯をします。

そして父のほうから「で、酔う前に将来の話って?」と話をふってくれました。(自分ではじめに話始められなかったのが情けないです。)

この時には実は気持ちが固まっていました。

前置きは無く、「家を継がないで、千葉で暮らす。」と。

その言葉に両親の顔が一瞬暗くなるのがわかりました。

でも母親のほうから、「そう決めたのなら頑張りなさい」と言ってくれ、

父も「そうか」と少しうなだれていたものの、一応は了承してくれたようで、

その後は「家業を継ぐ継がないではない」今後の事について色々と話しをしました。

「今度千葉で家を建てようと考えている事」

「もしどちらかが倒れるような事があって一人になった時、千葉でも暮らせるように部屋を一部屋作ろうと思っている事」

「孫の事」etcetc・・・

どちらかといえば年齢的に「万が一」の場合の話も多かったのですが、酒もどんどん進み私も父も母も姉も久しぶりに実家の家族だけで話をしたのでした。

帰省前に思っていた、喧嘩をする気はないけど「喧嘩になったらやだなー」とか、

話をする事で「疎遠になったらやだなー」という事は無く、

しっかりと話したことで、お互いに腹の中で覚悟し、納得するきっかけになったと思います。

まとめ

この家業を継ぐ継がないの承継問題は当事者にしかわからない部分があると思います。

友達からは「継ぐ場所あっていいじゃん」とか、「就職しなくてもいいじゃん」とか軽い事を言われている人が多いはずです。

だけど、当事者からしたら良い部分も悪い部分もわかっているから悩むんです。

会社であれば、継いだ時に会社の先頭に立ち導いてく立場になるし、

我が家のような小さなスーパーでも、今後の方針を全て決めていく経営者になります。

小さなころからの暗黙のプレッシャーがあり、この問題をずっと心の中に抱えてきたからこそ悩むのです。

だからこそ今の私が思うのは、

「もっと早く親とこの問題について話しておけばよかった」と感じています。


この話題は出来れば避けたい話題ですが、実家に帰った時に、「自分がいま何を考えて、何に悩んでいるのか」という事を話しておけばよかったと。

話しておくことで、もしかしたら「継ぐ」という気持ちが強くなっていたかもしれませんが、それもその時に考える事です。

「継がない」という結論をだし、恐る恐るですが両親に話した私ですが、もし同じような境遇にいる人がいたら是非、

「冷静に今の気持ちをそのまま話してください。」

両親のどちらかが熱くなってしまっても、あなたは熱くならず、話をしてください。


私たちも人間なので難しいことですけどね。きっとあなたのご両親もすぐには無理でも、いつかは受け止めるくれるはずです。

全てがうまくいくわけじゃないだろうけど、少なくともあなたにとってのこれからの覚悟は決まります。

話さないと伝わるものも伝わらないと感じた、大人になってからの5年間でした。(悩みすぎですね)

最後まで読んで頂きありがとうございました。

私の決断の出し方が正解だとは思っていませんが、何かがどこかにひっかかり、前向きに進もうとする一助に少しでもなれば幸いです。

思いのままに書きなぐった文書です。読みづらい文章で申し訳ありません。

東北から都会に出てきて試行錯誤しながら生きてる人間の人生の一端でした。

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