私の物語 part.1 (自己紹介ではない)
私は、「普通」になりたかった。
カリブ海出身のフランス人の父と日本人の母の間に生まれた自分は、どこにいっても何か居心地が悪いなと感じていた。
肌は白くなってほしかったし、目も小さくなってほしかったし、髪もまっすぐが良かった。
でも自分はそう生まれてこなかった。
私は、自分よりも肌が黒い父と買い物に行くのがものすごく嫌だった。
店の誰もが自分たちを見ている気がした。
私は、ただ「普通」になりたかった。
だから、学校で周りの人と同じ制服を着て、同じ遊びをできた時が一番嬉しかった。
自分は、普通なんだって感じることが当時は、生き甲斐だった。
とにかく周りの人みたいになるにはどうしたらいいのかを必死に考えていた。
気づくと私は、周りに溶け込もうとしすぎて自分のことを考えるのをやめていた。
自分の感情や言葉は一切捨てて、先生や目上の大人の言うことを聞いてその通りに行動した。
何が悪いか何が正しいかどうかは考えずにただ命令に従った。
そうすれば普通の子供になれると思った。
反対に、学校では、普通じゃないことをした友達には強く当たった。
意味もわからず理不尽に注意をした。
それはもちろん、みんなから嫌われた。
この時初めて、友達を失うことの辛さを痛感した。
中学生の頃、私は、硬式野球のクラブチームに所属していた。
私が、入団した当時は、坊主にするのが強制されており、私は、これが嫌で仕方がなかった。
もう一つ、意味がわからなかったのが練習日を休むと「練習を休みます」という事前連絡に加えて、次の練習日に「先日は、練習を休んですみませんでした。」 と監督に謝りに行かなければいけなかったことだ。
私は、この理不尽なルールに怒りが止まらなかった。
なんで坊主にしないといけないの?
なんで家庭の事情でやむを得ず休んでいるのに謝らないといけないの?
でも当時の私は、「普通」になりたかったのでもちろん命令に従った。
坊主にするのだけは、納得がいかなかったが、周りの圧に流されて一回だけ坊主にしてその後は、髪を伸ばした。
特に先輩や同級生からの視線はすごかったが、我慢した。
すると次第に、坊主強制のルールが緩くなり、私が中3になる頃にはみんな髪を伸ばしていた。
私に、「坊主にしろよ」と私に強く言ってきた先輩や同級生の人すら髪を伸ばしていた。
結局、みんなもただ野球の伝統的なルールに縛られてそれが正しいと思い込んでいたんだと気づいた。
今思えば、「普通の人生」という名の鳥籠に閉じ込められている奴隷のようだった。
私は、他人の人生を生きていたのだと気づいた。
しかし、ある出来事がきっかけで他人の人生を生きるのがいかにもったいなことかを知った。
(part.2 に続く)