小説『時をかける彼女』⑩

第10話「しっかりしてよ、お父さん!」 
 
翌日の午前中は火縄銃の練習日だった。EAST WESTを前にした最後の練習だ。 
演奏の準備をしていると、葉月が5分ほど遅れてスタジオに入って来た。その姿を見て、野郎どもはみんな歓声を上げた。
ジョニー・ロットンの顔がプリントされた長袖の白いTシャツにエナメルの黒いミニスカ、赤いピンヒールという出で立ちだ。Tシャツにはところどころ安全ピンがさしてある。髪はショートカットにして、ディップローションを塗っているのかバッチリ立っていた。薄く化粧もしているようだった。
「最後の練習だから本番に近いスタイルがいいと思って」
葉月は珍しくはにかんで頬を赤らめた。
「ジョニー・ロットンのTシャツなんて、葉月の家のほうでも売ってるのか?」
ケンジが聞いた。みんなの前で「葉月の時代」と言うわけにはいかない。
「売ってた売ってた。シド・ヴィシャスのもあったよ」 
セックス・ピストルズの栄光は二十一世紀になっても忘れられることはないのか。ケンジは自分のことのように嬉しくなった。再結成されたオヤジピストルズはともかくとして。
「国井! ハーちゃんを見習って国井も早くパンクっぽくスリムのGパンにしろよ。ベルボトムはダサ過ぎだわ」
清水が国井に突っ込む。国井は火縄銃のメンバーがみんなスリムを履いているなかで、唯一裾が広がっているベルボトムのブルージーンズを履いている。
国井は火縄銃の前は清水とツェッペリンのコピーバンドを組んでいた。ツェッペリンならベルボトムでも問題ない。でも、路線変更したパンクだとしんどい。 
そのことは国井も重々わかってはいるのだ。でも先立つものがないからどうしようもない。そんな事情をわかっているのに、清水はたまにデリカシーのないことを言う。
「なんだかすごいセクシーだよね」
無口な岩澤が葉月を見てしみじみと言った。ベルボトムの話題から変えようとしたのだろう。岩澤にはそういうさり気ない優しさがあった。 
実際、岩澤の言うように葉月は見違えるほど大人びて見えた。胸の膨らみもミニスカから伸びた長い脚もやたらとセクシーで、男たちは目のやり場に困った。
葉月は見た目だけじゃなかった。ずいぶん練習してきたみたいで、抜群に歌がうまくなっている。
「正直、最初はバカにしてたんだけどさ。ダサい音楽だって。でも、やっているうちにどんどんはまっちゃったよ。ヤバいよね、ピストルズ」
葉月が笑う。
「ヤバい」の使い方が変だけど、ピストルズを絶賛しているようなのでケンジも嬉しかった。
 葉月はバッチリと衣装を決めたせいで興奮しているのか、飛び跳ねて歌い、歌の合間にケンジたちをスマホで撮影したりしている。
その動きはパンクというよりアイドルみたいで、ケンジは少し不満だったけれど、葉月が楽しそうなので、好きにさせることにした。
「こりゃ、もしかしたら全国大会まで行けちゃうかもな」
国井がはしゃいで言う。 
来週のコンテストは川越ブロックの予選会だ。それに優勝したら埼玉ブロック大会、そしてそれに優勝したら全国大会に進む。そして全国優勝したらプロデビューが約束されている。
「そこまで行ったら浪人決定だよ」
岩澤の言葉にみんなゲラゲラ笑う。 


その日はみんな用事があるというので、練習の後はすぐに解散になった。ケンジはおなかがすいたと言う葉月を自転車の後ろに乗せて昼飯を食べに行くことにした。恵について決着をつける必要もあった。 
二人乗りして、人通りの多い中央通りを人を避けながら走る。
「それにしてもずいぶん練習しただろ? ボーカル、完璧だよ」
「実は自分的に完璧に納得できるまで二十世紀に戻って来ないって決めて練習してたら、半年以上かかっちゃったんだよね」
「半年だと? すごいな。そんなに練習してたんだ?」 
道理で見違えるほど大人びているわけだ。
「おじいちゃん、おばあちゃんが立て続けに死んじゃって、バタバタしてたってこともあるんだけど」
沈んだ声でつけ加えた。
「そうか・・・・それは大変だったな」 
恵がもう親を見送る状況になっていることに改めて驚く。
「おかげでケンジよりちょっと年上になっちゃった」
「本当かよ?」
「うん。いま高3の2学期だし」
このまま葉月と会っていたら、葉月はどんどん年上になって行くのだ。世紀をまたいでいるから仕方がないとはいえ、なんだか理不尽だ。

「死ぬ前におばあちゃんから聞いたんだけど・・・・」 
市役所の近くにある喫茶店はランチ目当ての市役所の職員で混雑していた。TシャツにGパンのケンジはともかく、パンクファッションに身を包んだ女子高生の葉月は明らかに浮いている。
「おばあちゃん、お母さんと一緒にタイムワープしたことがあるんだって」
「ふーん。どこに行ったんだって?」
「旭高校。火事の夜だって」
「なんだ、恵が一人で来たわけじゃなかったんだ?」
「あたしもおばあちゃんの話を聞くまで、一人で行ったんだと思い込んでたよ。おばあちゃん、そのときはすでに七十過ぎててタイムワープは体力的に辛かったんだけど、お母さんにどうしてもって頼まれたんだって」
「恵だってタイムワープできるはずだろ?」
「ケンジ、最後に会ったときに言ってたこと覚えてる? あ、ケンジには昨日のことだから忘れるわけないよね。お母さん、年齢と生きて来た年月の長さが違うんじゃないかって言ってたよね」
「ああ」 
恵は実際の年齢より若く見えるのではなく、本当に若いのではないか。火事のときに一瞬会っただけだけど、ケンジにはそう思えてならなかった。
「おばあちゃんの話を聞いてすべてが繋がったよ。お母さん、タイムワープして二十一世紀に来たんだ。そしてそのまま暮らしているから、もうタイムワープする能力がないんだよ」 
そこに食事が運ばれて来た。ケンジはハンバーグステーキ、葉月はナポリタンだ。
「ねえケンジ、バブル時代って知ってる?」
葉月はフォークを器用に使いながら言う。
「バブル時代? バブルって泡だよな。ということは泡の時代か?」
「まあ、知ってるわけないよね。これから先の時代なんだから」
「なんだよそれ?」
「あたしもよく知らないんだけど、お金があふれていて、日本中みんな浮かれていた時代があったんだよ。土地の値段とか株がガンガン上がってさ。えーっと、1980年代後半から1990年代頭くらいのことだったかな」
「なんだか楽しそうな時代だな」
「どうなんだろうね。結局、泡と言うだけあってすべてが弾けて、土地の値段も株も暴落してひどい目に遭う人がたくさんいたみたいだし。大体、当時の映像を見るとバカみたいだよ」
「お札が舞うなか、沢山の人が踊っているような映像か?」
「ほとんどそのまんまだよ」
葉月が笑う。 
ケンジはナイフでハンバーグを切り、フォークで口に運んだ。
「で、そのバブルの時代がどうしたんだよ」
「前にさ、その時代の映像を観た後でお母さんに聞いたんだよね。バブル時代はなにしてたのかって。そうしたらさ、さっきのケンジと同じ反応をしたんだ」
「同じ反応って?」
「『バブル時代? バブルって泡だよね?』って。日本中が浮かれてたんだからお母さんが知らないっておかしいよ。あたし、『お母さんはボディコン着なかったの?』って聞いたんだけどさ」
「ボディコンってなんだよ」
「若い女の人が着る、身体の線がはっきりわかるエッチな服だよ。バブルの時代はお母さんは二十代だから、着ていてもおかしくないんだけど、やっぱり知らなかったよ、ボディコンのこと」 
ケンジはフォークでご飯をすくって口に放り込んだ。
「そのときは変だなくらいにしか思わなかったけど、お母さんはそもそもバブル時代を経験してないんだよ。お母さん、ケンジがオーストラリアに行っている間に未来にワープしちゃったんだよ」
「やっぱりそうか・・・・」
「それ以外考えられないよ」
「でも、いつの時代にワープしたんだ? その、バブル時代の後だということはわかるけど」
「あたしを産むちょっと前だよ。1998年だ、きっと」
「なんでわかる?」
「お母さん、昔の話を全然してくれないんだけど、お母さんがしてくれる話でもっとも古いのが、私が産まれる前の年のクリスマスイブの夜の話なんだ。街のイルミネーションがきれいだったという話。それ以降の話は普通にするんだけど、それ以前の話はいっさいしないんだ。それ以前は二十年さかのぼって女子高生やってたから言えないんだよ、きっと」
「う~ん」
葉月の推理が合っているのか間違っているのかケンジには判断つかなかった。理屈は通っている。ケンジが思い至った推理と同じだ。しかし、あまりに現実離れした話だった。
「お母さん、あたしを妊娠したまま1978年から1998年に行ったんだよ」 
隣の二人連れの男がチラチラとこちらのテーブルを見ている。市役所に勤めている公務員だろう。ともに三十代後半くらいの銀縁のメガネをかけた真面目そうな男だ。パンクのパの字も知らないに違いない。 
葉月はランチセットについて来たカップスープを飲み終えてケンジを見た。真剣な顔をしている。ケンジは急にそわそわして来た。
「ねえ、ケンジってお母さんと付き合ってたんだよね」
「うん? まあ」つい言葉を濁す。
「それで、その、お母さんと・・・・した?」葉月はグラスの水を飲みながら探るような目でケンジを見た。
「したってなにを?」
「だからあれだよ。エッチのこと」 
隣の席の客と接近しているランチどきの喫茶店で話すような話題じゃない。
「Bくらいまでなら何度かしたけどさ、Cは一回だけだよ」
ケンジは声を最小限に落として言う。
「なんなの? その、BとかCとかEって」
「Eなんて言ってねえよ。CだよC。お前、そんなことも知らないのかよ。信じらんねえな」
「ホント、話が通じなくてムカつく。だ・か・ら! お母さんとセックスしたの? してないの?」
葉月は大声を上げた。 
とたんにそれまでざわついていた店内が静まり返った。しかしだれもこちらに顔を向けない。全身を耳にしてうつむいている。高校生の男女がセックスの話を大声でしているのだから当然だ。しかも、「お母さんとセックス」と来たもんだ。興味を持たないほうがおかしい。
「お前、なに大声出してんだよ。大声で言うような話じゃないだろ? 静かにしゃべってくれよ」
「あたしの質問の答えは?」
「だから一回だけしたって。留学する前に」 
葉月は人差し指をケンジの目の前に突き付けた。
「それだよ。その一回のセックスであたしが生まれたんだ」 
隣の公務員が挙動不振な動きをしてフォークを床に落とした。
「なんでそのときのたった一回のCがDになってしかも葉月が生まれるんだよ」
「まだわかんないの? バカなんじゃないの?」
「バカと言われる筋合いはないわ」
「だ・か・ら!」
葉月は再び大声を上げた。
「お母さんが姿を消したのは1978年でしょ? そのときお母さんのおなかにあたしがいたんだよ。お母さんとケンジの子どもだよ。お母さんは二十年後にタイムワープして1999年にあたしを産んだんだ。これでつじつまがすべて合ったじゃん」
「ということは恵はいま何歳だ?」
「えーっと。2017引く1961で五十六でしょ。で、二十年飛ばしているから二十引いて・・・・三十六歳だ」
ケンジにとって三十六歳の女性は立派なおばさんだ。
「つじつまは合うけどさ。でもやっぱ、俺じゃねえよ。小林じゃないか?」 
恵と恵の肩に手を回した小林のツーショット写真が脳裏をよぎった。
「ありえねえよ、小林なんて」
とたんに葉月は憂鬱そうな顔になる。
「そういや葉月、最初に会ったときに小林のことを聞いてたよな? なんでだよ」
「お母さん、いま小林に口説かれてるらしくてさ」
「ホントかよ」
びっくりした。
「小林は結婚してて子どももいるんだけど、離婚するから一緒になろうなんて言ってるらしいんだ。でも絶対ウソなんだ」
「なんでわかる?」
「あたし、見ちゃったんだよね。小林が家族と回転寿司でご飯食べてるとこ。すんごく楽しそうにしててさ。あれ、絶対離婚しないって」 
葉月の言う「回転寿司」というものが理解できず、握り寿司が目の前でぐるぐる扇風機のように回転している絵が思い浮かんだけれど、いまはそれを突っ込んでいる場合ではない。
五十を過ぎた小林の姿は想像できないが、さぞかしスケベオヤジになっているに違いない。怒りで身体がカッと熱くなる。
「お母さんだって『気持ち悪い』ってこぼしてたしさ。だから小林があたしの父親なんてありえないって」 
確かに葉月の言う通りかもしれない。
「だからケンジだよ、間違いなく」
葉月は憂鬱そうな顔をして頬杖をつく。 
ケンジはだんだんイライラしてきた。
「もう2人でグチャグチャ考えてるのはウンザリだ。なにもかも恵がちゃんと話せばスッキリすることじゃん。いまから恵を問い詰めに行こうぜ。えーっと、恵がいるのは2017年だよな」
勢いに任せて立ち上がる。
「ダメだって」
葉月も立ち上がってケンジの腕をつかんだ。
「いま行ったっていいことないって。お母さん、二十一世紀で必死に生きてるんだから」
涙目になっている。
「それに昔の元カレに会って自分だけ年取ってるなんて残酷すぎるよ」 
ケンジは勢いを削がれて席に座り直した。
「じゃあ、この時代でグズグズしてるしかないのかよ」
「わかんないよ、あたしだって。これから考えようよ」
「いつまで考えてたってわからんだろ」
ケンジは絶望的な気持ちになった。
「しっかりしてよ、お父さん!」
葉月が大声を出した。 
ハッとして店内を見渡したが、客はひとりもいなくなっていた。

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