小説『時をかける彼女』⑮

第15話 Hazuki did it her way.

「ケンジ!」 
葉月の呼ぶ声がした。 
あわてて立ち上がり、あたりを見回した。恵が駆け寄ってきた。ケンジを呼んだのは葉月ではなく恵だったらしい。
「ケンジ、許してもらえたよ。お父さん、お母さんも一緒にいて、みんな産んでいいって。なんだか拍子抜けしちゃった」
恵は目に涙を浮かべている。
「一緒に来て」 
ケンジは葉月のスマホをそっとポケットに入れて、恵とともにその場を離れた。
神社の本殿には恵の両親、祖父母がそろっていた。恵の祖父母に会うのは初めてだったが、祖父は見た目も話し方もまったく普通の、気のいいおじいさんという印象だった。 
一方、神主が着るような形をした真っ赤な装束をまとった祖母は、普通じゃないオーラが出ていた。 
4人とも「私たちは了解したから早いところそちらのご両親に報告を」と口を揃えて言うので、ケンジは停めていた自転車の荷台に恵を乗せて自宅に向かった。
「ケンジのご両親、大丈夫かな」
後ろで恵が不安そうな声を出す。 
街灯が少ない川沿いの道は騒がしいくらい虫の声がした。
「大丈夫だよ。心配するな」 
そう言いながらもケンジはまだ気持ちの整理がついていなかった。ちょっと前まで、こうやって自転車の2人乗りをしてケンジの腰に腕を回していたのは葉月だったのだ。 
ケンジの家族も、当然驚きはしたけれど拍子抜けするほどあっさりと二人の結婚と出産を承諾した。 
ばあちゃんは「可愛いひ孫に会えたと思ったらケンジの嫁さんにも会えるなんて、長生きして良かった」と言って泣いた。みんな、ばあちゃんのボケがまた進行したか、と顔をしかめたけれど、ケンジだけはばあちゃんの言葉が胸に響いた。 

翌日。
ついにEAST WESTの日がやって来た。 
バンドのみんなとは会場の市民会館に9時に待ち合わせをしていたが、ケンジはギターケースをしょって6時に家を出た。前の晩はベッドのなかで寝返りを打つばかりで、一睡も出来なかった。 
昨夜恵を乗せて走った川沿いの道をひとり自転車で走り、川越公園に向かった。 
早朝の公園は誰もいなかった。裏山に登り、ギターを弾きながら葉月を待った。 
あれだけ楽しみにしていて、あれだけ熱心に練習したのだから、葉月がEAST WESTに来ないなんて考えられなかった。 
ヒグラシが静かに鳴いていた。空は高く晴れ渡り、心地よい風がかすかに吹いている。夏が密かに立ち去ろうとしているようだった。
9時になっても葉月は現れなかった。ケンジはあきらめて自転車にまたがった。二十分遅刻して会場の市民会館に着いた。 
入口で清水、岩澤、国井が座り込んでいた。
「おせーよ!」
清水が口を尖らせた。 
清水はギターケースを持っていなかった。
「おい、エクスプローラーはどうした? やっぱり親父から返してもらえなかったのか?」 
ケンジが聞くと、清水は「なんだよ、エクスプローラーってよ?」ときょとんとした顔をした。
「じゃあ、行こうぜ」 
岩澤がベースをしょって立ち上がり、清水、国井も立ち上がった。 
どうやら火縄銃のメンバーは全員そろったらしい。ケンジはみんなの後を歩きながら、たまらない気持ちになった。自分が間違った時代の間違った世界にいるような気分だった。
「大丈夫か、ケンジ? 顔色が悪いぞ」
国井が振り返って顔をのぞきこむ。
「ああ」
「緊張してんだろ? パンクじゃねえな、ケンジは」
清水が茶化す。 
プログラムを見ると、コンテストに出場するバンドは全部で十組、火縄銃の出番は七番目だ。 
火縄銃の演目には「踏切」「MY WAY」と書いてある。葉月が詞を書いた「インスタLOVE」は清水が詞を作って「踏切」という曲になったのだろう。 
もう、この世界に葉月がいないことは明らかだった。それでもケンジは舞台裏で来るはずもない葉月を待ち続けた。


葉月が現れないまま、ついに出番がやって来た。
司会者が「火縄銃!」と声を上げる。ケンジたちは走ってステージに出て行く。国井がスティックでカウントを取り、「踏切」がスタートする。 
やはり「踏切」は歌詞以外すべて「インスタLOVE」そのままだった。 
清水はいつ買ったのか黒のレザーパンツを履いている。ケンジと岩澤はスリムのGパン、国井は相変わらずベルボトムジーンズだ。 
ギターを弾きながら観客席に目をやった。広い客席は出場するバンドの知り合いがいるばかりでガラガラだった。
恵が手を振っているのが見える。 
この曲を清水が歌うのを初めて聴いたが、かなり練習したのだろう、なかなか上手い。でも、葉月のほうがいいと思う。歌詞も「インスタLOVE」のほうがかっこ良かった。 
2曲目は「MY WAY」だ。 
ギターのアルペジオだけで歌う冒頭のパートで、緊張しているのか清水は音程を外して会場から失笑が漏れた。清水は悪ぶってはいるが、小心者なのだ。 
ケンジはその失笑をかき消すように派手にピックスクラッチを決めてから、激しくリズムを刻む。国井がスネアドラムを連打して岩澤のベースがそれに絡んだ。 
清水が飛び跳ねた。 

その瞬間、清水の姿に葉月が重なった。 

葉月はジョニー・ロットンの顔がプリントされた長袖の白いTシャツに黒いエナメルのミニスカートを履いている。足元は赤いピンヒールだ。
さっきまで歌っていた清水は、いつの間にか葉月の向こう側でエクスプローラーを弾いている。
「I did it my way」
「way」を「ウェイ」ではなく「ワイ」と発音するのがシド・ヴィシャスバージョンだ。
葉月は「マイワイ!」と叫んでから高く飛び跳ねた。
いままで見たことがない高さだった。
葉月は自分がこの世界から消えてしまうのがわかっていて、ケンジと恵の仲を取り持ったのだろうか。
「I did it my way」
葉月が繰り返す。


それが葉月のやり方、か。


気がつくと葉月は消え、清水が座り込んで歌っていた。
客席がぼやけて来た。 
泣きながらパンクを演奏するなんてすごく間違っていると思う。でも、ケンジは涙を抑えることが出来なかった。


        

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