小説『時をかける彼女』エピローグ

          エピローグ・・・・1999年・・・・ 

1979年の夏、僕たち火縄銃はEAST WESTの川越大会に出場して審査員特別賞をもらった。優勝したわけではないので、埼玉大会に進むことはかなわず、僕たちの高校時代最後の夏は終わった。 
僕の両親は恵とのことをあっさり認めてくれたけれど、唯一出された条件は、大学は出ること、そして、授業料は出すけれど、生活費は自分で稼ぐということだった。
親にしてみれば、恵の妊娠はダラダラと毎日を過ごしている息子が立ち直る絶好のチャンスに見えたのかもしれない。 
僕たちはEAST WESTの翌日に婚姻届を出した。一緒に暮らすのは高校を卒業してからということにした。 
恵の出産予定日は8月ではなく翌年の4月だった。恵は子育てが一段落したら大学に進学するかどうか考えると言って、高校卒業後はしばらく育児に専念する道を選んだ。 
彼女はもともと僕とは比べものにならないくらい勉強ができたが、高校2年の2学期の途中から高校3年の1学期までをタイムワープしてすっ飛ばしていたので、実際問題、彼女も勉強が追い付いていない状況だった。 
僕はすぐに猛勉強を始めた。浪人なんかしている場合じゃない。わからないことはすべて恵に聞いた。恵にもわからなければ二人で参考書を調べた。そしてなんとかそこそこの大学に合格することが出来た。
 僕が大学生になった春に恵は出産した。生まれて来たのは男の子だった。もしかしたら、という僕のかすかな期待はもろくも崩れ去った。もちろん息子は可愛かったけれど。 
なぜ、女の子ではなく男の子が生まれたのだろう。恵が1998年にとどまることなく1979年に戻ってきたことで、彼女の身体のなかでも歴史の改変が起きたということだろうか。
葉月はやはり二十一世紀の女の子だったのかもしれない。 
タイムワープしてきた葉月に会って、死ぬ前にひ孫に会いたくなった恵のおじいちゃん、おばあちゃんは、生まれてきた子を見て「男の子は可愛いねえ」と大喜びした。 
僕のばあちゃんは恵が出産する二日前に風邪をこじらせて入院し、恵が出産した三日後にこの世を去った。 
僕は恵の出産に立ち会った後、その足でばあちゃんが入院している病院に男の子が生まれたことを報告に行ったけれど、意識が混濁していたばあちゃんに反応はなかった。 
生まれて来た息子に僕は「発起」と名づけた。普通は「ほっき」と読むけれど、「はつき」と読ませる。 
僕と恵は発起の妹が欲しいと思ったけれど、残念ながら2人目は授からなかった。 
こうして、恵の家系の特殊な能力は恵の代で途絶えることになった。
葉月のことはみんなの記憶から消えてしまった。葉月を産む前に僕の時代に戻ってきた恵はもちろん、葉月に会ったことがある恵の祖父母、そして葉月とバンドを組んでいた火縄銃のメンバーも、みんな葉月のことを忘れてしまった。それなのに僕の頭のなかの葉月は時がたっても決して色あせることはない。 
僕は・・・・僕は、葉月がいる世界を改変して葉月がいない世界を作った当事者だということなのだろう。

 もうすぐ1999年の夏がやって来る。僕は三十八歳で、立派な中年だ。おなかも出てきた。恵は三十七歳。僕と同い年だから今度の誕生日が来たら三十八歳になるが、タイムワープで一年近くすっ飛ばしているので、実際はまだ三十六歳ということになる。 そう、恵はスキーバスの事故から僕と葉月が救ったときの年齢になったのだ。 
結婚して二十年。僕たちは高校生の頃と変わらずに仲がいい。いつか葉月に言われたように、恵のことはとても大切にしているつもりだ。もちろん浮気なんかしたことはない。
 息子の発起はなんともう十九歳だ。僕が火縄銃でギターを弾いていた年齢を超えてしまった。時がたつのは本当に速い。 
ちなみに、僕たちの娘だった葉月のことは恵に伝えていない。ひどく悲しむに決まっているから。恵を悲しませるのは僕だってつらい。 
しかし一方で、葉月のことを恵に知ってほしいと思う僕がいる。僕たちを結びつけるために自ら消えて行った僕たちの大切な娘のことを。 
悩んだ末に僕は決めた。いまから二十年後、葉月がハタチになるはずの2019年になったら、葉月のことを伝えよう、と。 
恵に伝えたら、葉月と一緒に火縄銃を組んでいたメンバーにも葉月のことを伝えたいと思う。みんなが忘れてしまった、火縄銃の5人目のメンバーのことを。
 1999年7月に人類は滅亡する。果たして、ノストラダムスのこの大予言は当たるのか。 いま、ちまたではその話題で持ちきりだ。でも僕だけはそれが外れることを知っている。
僕にとって1999年の夏はノストラダムスの大予言の夏ではなく、葉月が生まれる記念すべき夏だ。
 ノストラダムスの大予言は外れるけれど、一方で僕の嫌な予感は当たってしまった。僕は結局銀行に就職した。嫌な予感通り、顧客の苦情にペコペコすることもしょっちゅうだ。でも、それなりにやりがいがある仕事なのでまあ良かったかなと思っている。 
狂乱のバブル時代が過ぎ、その傷に苦しんだ時代も終わった。僕はいつか葉月が解説してくれたおかげで、バブルに踊らされることなく過ごすことが出来たと思う。 
それは結果的に銀行員としての出世を放棄することに繋がったけれど、僕は後悔していない。去年死んだ僕の親父だって、出世街道からは外れていたけれど、きっと誇りを持って仕事をしていたのだろうと、いまならわかる。
 ドラムの国井は年賀状のやり取りをしているだけで高校卒業以来一度も会ってないが、テレビ局の制作会社に勤めている。奥さんに出て行かれてしばらく落ち込んでいた時期もあったらしいが、その後十歳以上年下の女の子と再婚して娘が二人生まれた。 
今年の正月に来た年賀状には家族写真が印刷され、「国井弘 優香(二十五歳) 亜里沙(三歳) 理央奈(一歳) ペス(一歳)」と書かれていた。 
ペットの名前を入れていることに笑い、芸能人みたいな娘の名前に笑い、奥さんにまで年齢を入れていることに大笑いした。 
ボーカルの清水は一浪して結局歯科大に進学したものの、3年で退学してしまった。
僕が付き合いがあったのはこの頃までで、そこから先はうわさ話でしかない。 
大学を辞めたことで親とは絶縁状態になったらしい。その後、いくつか職を転々とした後にコンピューター関連の会社に勤めていたらしいが、3年前に自殺してしまった。 
過労が原因らしいが、はっきりしたことはわからない。独身のままだった。僕がそのことを知ったのはごく最近のことだ。 
僕は社会人になってから何度か清水に連絡を取ろうと思ったことがある。でも結局忙しさにかまけて一度もしなかった。悔やんでももう遅い。僕には未来に行くことも過去に戻ることもできないのだから。
 清水が死んだことを僕に教えてくれたのはベースの岩澤だ。僕は今年の4月に飯能支店に転勤になり、そのおかげで岩澤との仲が復活した。 
岩澤は飯能にある実家の材木店を継いでいた。岩澤は僕の大切な顧客であると同時に、しょっちゅう飲みに行ってバカ話をし合う大切な友人になった。 
いや、飲みに行くと言っても飲むのは僕だけで岩澤は一滴も飲まない。高校時代は飲んでいたのに。
あるとき僕がその理由を聞くと、岩澤はこんな話をしてくれた。
「死んだ親父がさ、すごい酒が好きで、毎日たくさん飲んでいたんだけど、俺が高校3年生のとき、ぴたりと飲むのをやめたんだよ。それで、飲まなくなって1週間くらいたった頃だったかな。不思議だったから理由を聞いてみたんだ。そしたら・・・・」 
岩澤の親父は所沢駅で会った女の子の話をしたと言う。その子のおかげで盗難の被害を免れた、と。
「家族を養っているんだからしっかりしなさいって、そのとき酔っ払っていた親父はすごく怒られたらしいわ。自分の子どもの年齢くらいの女の子にね。大切な人のことをいちばんに考えて行動しなさいって。いいこと言うよね。それで酒をやめたんだって」 
僕はあっけに取られて笑いながら話す岩澤を見つめていた。信じられなかった。葉月がいなくなったこの世界に、葉月がいた痕跡が残っているなんて。
「ところがこのいい話にはものすごい落ちがあってさ」
岩澤はそう言って笑い、ウーロン茶のグラスに口をつけた。
「俺も親父に習って子どもが生まれたタイミングで酒をやめたんだけど、そのとき、所沢駅の女の子の話を親父にしたんだよ。そしたら親父、『なんだそれ?』ってポカンとしてさ、『そんな話は知らん』って。親父によると、俺が高校3年生のときに実際に所沢駅で盗難にあったんだそうだよ。心配かけないように俺には言わなかったらしいんだけど、それで金回りが厳しくなって泣く泣く酒を止めただけだって。意味わかんないよ。あのとき、確かに親父は女の子のことを言ってたんだけどな」 
葉月と僕の手で歴史が改変された所沢駅の盗難事件は復活してしまったけれど、葉月が消える前に親父から葉月の話を聞いた岩澤の記憶だけは消去されることなくそのまま残ったということだろうか。僕はその日ほど岩澤と再会できて良かったと思ったことはない。

大切な人のことをいちばんに考えて行動しなさい・・・・。

 今日、僕は遅ればせながら携帯電話を手に入れた。今年の初め、携帯電話会社のドコモが、メールのやり取りやネット接続ができるという、画期的なiモードのサービスを始めたことで、誰もが我も我もと携帯電話を手にするようになった。 
ドコモショップで長い時間待たされた後、契約をして差し出された携帯を手にしたとき、あの二十年前の夏の、スマホを手に飛び跳ねていた葉月と、ピストルズになりきっていた田舎の間抜けな4人の男子高校生の姿がフラッシュバックのように脳裏によみがえり、涙があふれて止まらなくなった。
「お客さん、大丈夫ですか?」
目の前で嗚咽を漏らす僕に、若い女の子の店員はぎょっとした顔をした。
「いや、申し訳ない、みっともないところを。念願の携帯電話を手に入れて胸がいっぱいになったもんで・・・・」 
僕がそう言うと、その子は盛んにうなずいて「わかります、わかります。夢の機械ですもんね」と言ってほほ笑んだ。 
その携帯電話は、葉月が持っていたスマホに比べたら全然大したものじゃなかったけれど、僕は「二十一世紀の夜明けは近いですね」と言って笑顔で彼女にうなずき返した。
                                                                                        


                                                   了
      

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