①なぜ、ビジュアルコミュニケーションが必要なの?
①なぜ、ビジュアルコミュニケーションが必要なの?
1回目は、ビジュアルコミュニケーションの力について、インプットとともに実際にやってみることを体験をしました。
インプット
インプットのひとつとしてこちらの動画を見ました。
トーストをつくるプロセスを絵や付箋で可視化していくことを例に、複雑な問題であっても可視化によって発散と収束がより行いやすくなることが説明されています(とてもざっくり説明)。
体験と気づき
そして、グループでトーストをつくる方法を考えることを実際にやってみました。まずは取り組み方法をグループで相談する時間を取り、そのうえで実施しました。動画と体験から気づいた ”可視化” の効果は、以下が浮かびました。
一通り実施してみての1番の感想は、本筋の前の「取り組み方法をグループで相談する時間」にこそ可視化が有効に働くのではないかということです。
私のグループでは口頭のみで、「どうしましょうね」と互いの出方を伺いつつ、私は「miroにグラフィックを描いてみますね」と提案して、それ以外私の中では漠然としているけどやってみる形になりました。
そのときの感覚は、どんな方法でやるのかは生煮え状態で少し気持ちが悪いけど(根が生真面目だから)、そのままでもどうなるか実験的にやってみよう、という気持ちでした。それは、初対面で「調和を乱したくない」みないなバイアスがかかっていたがために起きたように思います。
初対面だからこそ、①それぞれがどんなアイデアをもっていて、どういうやり方がやりやすいのか付箋に出す→②見せあって選ぶ、もしくは組み合わせる→③合意、などの手順ですべて可視化することが互いの配慮と目的の遂行をどちらもやりやすそうだな、と思いました。
結果的には、動画のようなプロセスを細かく並べることはあまりできなくて、その代わりに焼く方法が多様にでてきました。この結果から、実行する前の状態がアウトプットに影響するということの体験ができたと感じています。ある程度見立てたほうが目的は果たしやすいけれど、余白があるほうが予想できない結果に出会いやすいのだと実感しました。
おわりに
1回目を通して、ビジュアルコミュニケーションはお互いの当たり前はちがうことに気づいたり、自分の癖に気づくなど、コミュニケーションをとるための前提を大切にすることができる手段だと思いました。それが安心感も生む。
その場でコミュニケーションがずれたとき(自分の中でしっくり来ていないなど)違和感に気づきやすくするためのひっかかりになったり、立ち戻るためのハンカチ(印)にもなる。
対話型鑑賞のような全くの非日常でなくても、日常のコミュニケーションのなかに可視化をいれることで似たような効果も得られる可能性を感じました。
2回目はこちら。
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