帰国後に待っていた3年連続の契約満了と、トライアウトの裏側
ドイツから帰国後、3年連続で契約満了を告げられたGK寺沢優太。一般社会では起こり難い非情な現実を、どのように受け止めて過ごしてきたのか。昨年末に行われたJPFA(日本プロサッカー選手会)トライアウトの裏側も併せて明かす。
ドイツから帰国後、26歳で初の“クビ”
――いきなりですが、今まで契約満了は何回経験してきましたか?
奈良クラブ、沖縄SC、AC長野パルセイロの3回。しかも3年連続です。
――なかなか大変ですよね。契約が更新されるかどうかのソワソワ感は、いつ頃から始まるものですか?
シーズンの半ばに入ると白黒がはっきりとついてくるので、徐々にざわついてくるというか。僕としては、この仕事は1年で結果が出なければクビだと思っています。そういう意味では半分出られなかったとしても気落ちせずに、振り切って頑張ってきたつもりです。
――他の選手と契約の話をすることはありますか?
特にメンバー外が続いている選手とは、契約があと何年という話をすることもあります。契約が今年まででメンバー外が続いていたら、聞かなくても「満了だよな…」というのが分かってきます。とはいえ聞きづらい話なので、僕からは一切聞かないです。
――大学卒業後はドイツ(ヒラル・ベルクハイム)に行きましたが、辞めるときは自分の意思だったのですか?
そうですね。3年連続で契約が延長されましたが、24歳のときには4部にいないといけないという自分のプランがあって、当時はまだ5部リーグだったので契約延長を断りました。
――そこから日本に帰ってきて、奈良クラブで初めて契約満了を経験したわけですね。
たまたま奈良クラブのGKの枠が空いていたので、練習参加に行って入団が決まりました。そのときは試合にバンバン出ていなくても、オフ・ザ・ピッチで仕事や人間性などが評価されれば、人数合わせでも残れるのではないかと正直考えていました。それでもクビになってしまって、当時は26歳だったので「これからどうなるんだろう…」という不安が大きかったです。
トライアウトは「コミュニケーションが9割」
――昨年末にはパルセイロを契約満了となって、初のJPFA(日本プロサッカー選手会)トライアウトに参加しました。どんな雰囲気でしたか?
パルセイロのアウェイユニフォームが黄色で、目立ちたいのでそれを着ていこうかと思いましたが、最終的にひよりました(笑)。基本的にはみんなチームの練習着で来ますが、そうではない選手もいます。
正直ロッカールームに入ったときは負のオーラしかなくて、口数もかなり少なかったです。GKは一人ではアップできないので、誰かを捕まえに行くわけですが、各々やりたいことが違うので相手にも気を使っていました。僕はたまたまGKの知り合いがいて、一緒にアップできたので助かりましたね。
――パルセイロで一緒にプレーしていた上米良柊人選手、大桃海斗選手もいましたが、それ以外の知り合いは少なかったですか?
少なかったですね。それでも早く溶け込まないといけないので、ロッカールームでは共通の知り合いがいる人に話しかけたりしていました。
――かなりコミュニケーション力が問われそうですね。
喋れない若手は相当苦労すると思いますし、僕は9割がコミュニケーションだと感じました。ロッカールームでは知り合いが隣になるので話せていても、いざピッチに入るとそういう雰囲気ではなくなります。もちろん練習中は見られている意識があるので、みんな声を出しますけどね。
――各々が自分を見せないといけないので、だいぶ球際も激しくなるのでは?
もうバチバチですね。ドリブラーはボールを離してくれないので、「出せよ!」となります(笑)。でも後から聞いた話だと、去年に関してはチームのことを考えている選手が多かったみたいで。僕は謙吾くん(田中謙吾=いわきFC)から「一番大事なのはチームだよ」と聞いていましたし、年々そう言ってくれる先輩が増えているのかもしれないです。
あとは相澤ピーターコアミ(ラインメール青森)が目の前で頭を強打してしまって、「これはもうサッカーはできないだろう…」と。人生をかけてトライアウトに来たのに、逆に人生を失ってしまうようなことが起きるなんて思ってもみなかったです。
――あれは衝撃的なニュースでしたが、なんとか復帰できて本当に良かったですね。GKというポジションからすると、トライアウトはどこが見せどころになりますか?
シュートストップはもちろんですが、味方をどう動かしているかが一番見られていると感じました。僕はトータルで1失点でしたが、ビルドアップも連携もできていたので、だいぶ手応えはありましたね。ただ、コロナの影響でミックスゾーンに人がいなかったので、帰り際に話した方は一人もいなかったです。
――現在パルセイロを率いるシュタルフ悠紀リヒャルト監督とも話したと聞きました。
練習で移動する時に挨拶しました。僕の知り合いと一緒に話をしていて、その隣にいたので。ドイツでプレーしていた経験もあるので(シュタルフ監督はドイツ出身)、それで認識してくれていたのかもしれません。
多少のことでは凹まないメンタル
――南葛SCから声がかかるまでは、どのくらいの時間がありましたか?
1カ月半です。トライアウトで良いプレーができて、行けるのではないかという期待感があったので「いつオファーが来るんだろう…」と。あとはGKだけのトライアウトにも参加して、できることをやりつつ連絡を待っていました。南葛SCからオファーがあった時も、即決はしなかったです。Jリーグのチームを探したかったので、しばらく保留にしてもらっていました。
――その1カ月半は長野にいたのでしょうか?
自分の家にいました。パーソナルトレーニングはやっていましたが、練習は何もしていなかったです。
――ちなみに他クラブからオファーはあったのでしょうか?
トライアウトの前も後も、他の社会人チームからオファーはありました。Jクラブもいくつか気にかけてくれましたが、現実的ではなかったです。
――それだけ契約満了や無所属の期間を経験していると、メンタルは相当鍛えられそうですね。
本当に鍛えられると思います。多少のことではへこたれないですし、ある意味ストロングポイントですよね。試合に出られなかろうが、練習できなかろうが、無職の時よりは楽というか。とはいえ僕は3兄弟の長男で、しっかりと稼がないといけないので、家族に「やめたほうがいいんじゃない?」と心配されることはあります。
――それでも現役を諦めない理由はどこにあるのでしょうか?
亡くした祖母との約束があるからです。(詳しくは次回の記事で)
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