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高校サッカーから逃げた私が、第100回大会に仕事として携わった話

失った青春を味わうような1年だった。12/28〜1/10まで行われた第100回全国高校サッカー選手権大会。私は長野県代表・市立長野を取材すべく、大晦日に東京・味の素フィールド西が丘へと向かった。今回は、その取材に至るまでの経緯を書きつづりたい。

CLIMAX始動。ほぼ前例のない挑戦

私は小学1年から地元・東京でサッカーを始め、高校は開志学園JSC(新潟)に進んだ。県トップレベルの強豪校でプレーしたが、実力不足と怪我が重なり、2年の終盤に退部。志半ばでサッカー選手の道を退くこととなった。

その後は大学2年からサッカーライターの道を志す。スポーツメディアのインターンを経て、卒業後はフリーランスとして活動。昨年3月から拠点を長野に移し、筆を執り続けている。詳しい経緯については、下記の記事をご覧いただきたい。

そして4月に新たなプロジェクトが舞い込んだ。長野県初の高校サッカー雑誌「CLIMAX」が創刊される運びとなり、ライターとして携わることが決まったのだ。

高校サッカーの雑誌と言えば、まず最初に思い浮かぶのは「高校サッカーダイジェスト」だろう。とはいえ、同誌は全国大会にフォーカスを当てたものであり、ローカルとなるとほぼ前例がない。不安も付きまとうが、それ以上にイノベーションが起こせるのではないかと武者震いがした。

今季の2強を初取材。総体を経て選手権へ

初めて長野県の高校サッカーを見たのは、昨年5月3日。松本市のかりがねサッカー場で、県1部リーグの2試合を取材した。1試合目は、松本第一が松本国際に2-1と勝利。松本国際はのちにリーグ王者へとのぼり詰めたが、これが唯一の黒星だった。2試合目は、都市大塩尻がAC長野パルセイロU-18を1-0と下した。

松本国際と都市大塩尻は、今季の2強と言われる存在だった。全国的に見れば決してレベルが高いわけではないが、まずはトップ層を知ることができたのは大きかった。

以降は男女を問わず、各大会の取材を続ける。総体では全国大会まで足を運び、長野県代表・都市大塩尻の勇姿を見届けた。優勝候補の大津(熊本)に1-3と敗れ、無念の初戦敗退。のちに全国選手権で準優勝を果たす強豪に対し、一時は同点に追いつくなど堂々の戦いぶりを見せていた。

高校サッカーにとって、総体は一つの節目でもある。同大会を最後に引退する3年生もいれば、そのまま選手権に向かう3年生もいる。引退した選手の気持ちも汲み取りつつ、私は選手権に気持ちを切り替えていった。

第100回大会。東山のFWから感じたこと

迎えた選手権では、最多優勝校・松商学園が3回戦で敗れるなど多くの波乱が起こった。決勝は史上初の北信対決となり、市立長野が初優勝。歴史の扉が開く瞬間に立ち会えたのは、なんとも光栄だった。

そして季節は冬へ。年末年始の全国高校サッカー選手権は、言わずと知れた冬の風物詩だ。長野県代表・市立長野は、国立競技場で行われた開会式を経て、大晦日に初戦へ臨んだ。

舞台は東京・味の素フィールド西が丘。私としては大学時代に関東大学サッカーを取材して以来、6年ぶりの同会場での取材だった。

初出場の市立長野は、東山(京都)に0-2と敗戦。県大会では圧倒的なパスサッカーを見せた彼らだが、全国の壁は高かった。

長野県代表は総体、選手権ともに全国で1回戦敗退。悔しい結果には終わったものの、そこに至るまでの奮闘ぶりをCLIMAXに余すことなく書きつづった。もちろん選手が主役ではあるが、私自身も現役時代に諦めてしまった高校サッカーに、こういった形で携われるとは思ってもみなかった。節目の第100回大会ということも重なり、生涯忘れることはないだろう。

私はBチームやCチームでもがき苦しむ選手だった。2年の終盤に臨んだ新人戦では、センターバックとして出場したが、無念の初戦敗退。公式戦における良い思い出は一つも残っていない。

それだけに、全国で活躍する高校生たちが一層輝いて見えた。市立長野を下した東山のFW芦谷斗亜は、Cチームから這い上がり、全国の舞台で得点を決めたという。その姿を見て、「あの時に諦めずに続けていたら…」と悔やんだ自分もいる。

とはいえ、取材者として高校サッカーに帰ってこられた喜びのほうが大きい。現役時代の後悔をエネルギーに変え、筆に宿し、CLIMAXという雑誌が完成に至った。約100ページにつづった思いを、ぜひ手に取って感じていただきたい。

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