三十三
三十三歳に、なった。
こう書いてしまうと、思いのほかあっけない。それもそうだ。前日の三十二の自分と、三十三の自分では特に何も変化はない。誕生日だということで焼肉に行ったので、少し油が胃に重い。それくらいだ。
それでも、気持ち的には少し違うものがある。
三十三歳。僕が生まれた時の、親父の年齢だからだ。
小学校の教員をしていた親父と、小学校の養護教諭(つまり保健室の先生)をしていた両親の出会いについて、僕と弟はこれでもかと聞かされて育った。
「母さんが部屋に入ってきた時、雷が落ちた」だの
「こういうところが素敵で、結婚しようと決心した」だの
自分も大人になってから思うが、よくもまぁあんな歯の浮くような話を、子供にできたものだと思う。しかもそれらのエピソードのほとんどは父目線のものだったから、おそらくかなり”盛り”があるだろう。その話を父が僕ら兄弟に語る時、母は決まって「やめてよ」とか言いながら、手近なお菓子か小説に夢中になっていた。そんな家庭で育った。
子供の頃持っていた三十三のイメージは、かなり「おっさん」だ。
二十歳で大人。三十を超えたら、会社でも中堅どころ。部下もできて、収入もそこそこある。落ち着いた雰囲気で部下の相談に乗ったり、会社のプロジェクトの中心的な存在としてバリバリ活躍し、オフィスビルを闊歩する。幼い頃思い描いていた三十代の大人はそんなイメージだった。
さて、今の僕はどうだろう。
相変わらず毎週ジャンプを読み、テレビのバラエティでガハガハ笑い、流行りのドラマでハラハラしては、冷蔵庫からソーセージをつまみ食いしている。収入はお世辞にも高いとは言えないし、何しろ会社員ですらない。
いや、改めて文字化すると、すごいな。
しかし、いつまでも子供なメンタルを自覚しつつも
年々、朝起きて鏡を見ると、どんどん親父に似ていく自分を感じている。
目元や眉間に少しずつ刻まれていく皺しかり、丸みを帯びていく顎のラインしかり
あまり”父親似”とは言われてこなかったが、自分の至る所が親父のようなそれにだんだんと近づいていく感じは、体にとりわけ不調がない健康体の僕にとっては、自分が「歳をとった」と自覚するところでもある。
そして最も大きいポイントは、好きなものを語るときの口調である。
僕の親父は、旅行先の「提灯」を収集するのが趣味だ。
一昔前は旅行先の土産物屋に必ずと言っていいほど置いてあった、地名がデカデカと書かれたカラフルな提灯である。それを見つけては買い、色や地名をリスト化し、家の物置を占領している。
それはどこで買ったものなのか、どういう思い出があるのか。僕ら兄弟に嬉々として、しかし訥々と語る姿。提灯に特に興味のなかった僕ら兄弟は、その話を右から左で聞き流していたけれど、その楽しそうな様子は今でも簡単に思い出せる。
こんなふうに目を輝かせて何かを語れる大人になりたいと、最初に思った記憶である。
三十三に、なった。
僕ら夫婦にまだ子供はいないが、一つだけ決めていることがある。
大人気もなく、好きなものについて大いに語って聞かせよう。
それまで、ジャンプが無くならないことを願っている。