ダサグッズが作られる理由
先月のビリー・ジョエルの来日ライブに行った翌日。
電車に乗っていると、私が購入したライブグッズのトートバッグを持った女性が乗り込んできた。
見知らぬ人でも、年代が違っても、昨日同じ空間にいたという事実だけで仲良くなったように思える。
ライブ会場で会うよりも、むしろ違う場所で会う方が、仲間意識が芽生える気がする。
ライブグッズはそのための証明書みたいなものだなぁと思った。
SNSで「ビリージョエルのライブグッズ全部オシャレで羨ましい!!推しのグッズは軒並みダサくて…」みたいな投稿を見た。
グッズに関わっている方には本当に申し訳ないけど確かに私も、このデザインで値段…って思ってしまうライブグッズを目にすることは少なくない。
あれって、より自分自身がファンであることを強固に示すためのデザインなのかも。
まず言っておきますが、私はそれは感性だと思うので私がそう感じるグッズも、それを使っている人に対して馬鹿にしたりなんてことは一切しません。
としたうえで、
正直デザインが良いグッズは本当にファンだから使っているのか、デザインが良いから使っているのか分からない。
でもダサグッズなら絶対にファンじゃないと使えない。
周りの目よりも自分がファンであることを宣言するための旗。
「なんかうちの殿センスわるくなーい?」
「確かにこの前あの村行った時もなんか舐められてたしねー」
「なんかうちらのセンス疑われんのやじゃん」
「つったって仕方ないじゃん、裏切り腹切り侍になるのだけはマジごめんだし」
みたいな会話ももしかしたら戦国時代にあったかも。
だからこそ他に使っている人を見つけた時はいいデザインのものよりも連帯感が強く生まれるんじゃないだろうか。