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デジタルデトックスのはずが、、、、災害ボランティアの経験が教えてくれたこと

私のnoteにお立ち寄りいただきありがとうございます。

お正月、デジタルデトックスを掲げつつも、結局は動画視聴に時間を費やしてしまいました。特に、10月にボランティアに参加した能登の特集に惹かれ、何度も繰り返し見ました。特に家族を亡くした人たちや、救助したくてもできなかった人の無念さには惹きつけられました。現地で感じた様々な思いが、再び心の奥底から湧き上がってきたのです。

災害ボランティア活動を経験して、私は「人に寄り添う」ことに慣れていないことがわかりました。実は現地で炊き出しで牛丼を配った時、大雨の中、長蛇の列を作っていた被災者たちの姿を見て、私は複雑な気持ちになったのです。炊き出しが彼らにとって唯一の楽しみだと聞いたとき、私は彼らの置かれた状況の厳しさを改めて実感しました。同時に、自分が提供できるものが、ほんの一握りの食事だけであることに、無力感を感じました。

微力ながら被災地の人々のために何かできることはあるのか?と考えることが増え、去年のふるさと納税は石川県の自治体を選びました。しかし、何度も足を運んでいるボランティア上級者がいる一方、自分は一度の参加で満足してしまっているのではないか、という後ろめたさにも感じています。

動画を見ながら、私は「社会貢献」の意味について深く考えさせられました。国の役割、自治体の役割、そして個人の役割。それぞれの責務が複雑に絡み合い、災害に対する備えは決して完璧にできるものではないと感じました。特に、身近な地域で災害が起こった場合、私たちは何ができるのか。

今住む集合マンションでは、エレベーターで顔を合わせても、挨拶一つ交わさない人が多いのです。緊急事態が発生した時、果たして彼らは助け合いの精神を持って行動してくれるのだろうか。そんな疑問が、私の心をよぎります。

そんな疑問を抱きながらも、一つ確かなことが分かりました。それは、被災地の状況を知っているか、いないかによって、私たちの行動は大きく変わるということです。災害ボランティア活動を通して、私は生の声を聞き、状況を自分の目で見ることで、情報収集力は高まり、また、状況判断力が少しは鍛えられた気がしました。

災害ボランティアは、単なる奉仕活動にとどまりません。それは、自分自身を成長させるための貴重な機会といえます。現地で得た経験は、いざという時に役立つだけでなく、日々の生活の中で周囲の人々に思いやりの心を育むことにもつながるでしょう。何よりも、大切な人を守るために役立つことを学べる機会になるのです。

私は、多くの人々が災害ボランティアを経験することで、日本全体の防災意識が向上し、災害時の被害を最小限に抑えることができるのではないかと考えています。2025年1月17日は阪神淡路大震災から30年の節目の年です。この機会に、私たちは改めて災害への備えを見直し、地域社会の一員として、できることから少しずつ行動に移していけるといいですね。まずは、身近な防災訓練に参加してみませんか?いざという時に役立つ知識やスキルを身につけること、そして地域住民とコミュニケーションを取ることが大切だと私は思っています。

少しでもボランティア活動の効果や利点に興味を持ってくれる人が増えますように。

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