こんにちパンクールの絵文字短歌を勝手に鑑賞する
こんにちパンクールさんの「絵文字短歌」、本当に素敵な企画なので勝手に作品をまとめて勝手に鑑賞したいと思います。まだ見てない方は是非こんにちパンクールさんの動画を見てからこの記事を読んでください。マジですごい企画なので。
この記事では2023年11月2日現在、こんにちパンクールで一般公開されている『絵文字短歌』シリーズの動画で各メンバーが作った短歌を公開順・メンバー別に載せています。
絵文字を出題した時に作られた短歌は太字で表記しています。
出題された絵文字については元動画をご確認ください。
漢字・ひらがな・カタカナ等、誤字脱字を除いてそのままで表記しています。
また、一字空け・改行・中黒について、動画(ホワイトボード・テロップ)から明確に読み取れないので、自然に読めるように改変して表記しています。
基本的には絵文字短歌としてではなく短歌として鑑賞していきます。
そもそも良い短歌とは?
「良い短歌」という概念は、大喜利における「良い回答」と同様に、一言では言い表しにくいのですが、実はどちらにも根底には似たような核があると個人的には思っています。例えば、歌人の穂村弘(『短歌という爆弾』)は現代短歌において人を感動させる「驚異(ワンダー)」と「共感(シンパシー)」という二つの要素を提唱していますが、これは大喜利の回答にも同じようなことが言えると思います。短歌も大喜利も、日常という共感から非日常という驚異に接続することができる力があり、どちらも人の想像を超えるものや人の共感を得られるものが印象に残りやすく、ひとつの「良い」の基準とされているとわたしは考えています。(これはあくまでも一つの考え方なので、他にも色々な短歌・大喜利の良さの基準があると思います。歌人の平岡直子さんの日々のクオリアにも短歌とお笑いとの親和性について書かれているのでそちらもぜひ。)
実際、歌人と大喜利は決して排他的な関係にはありません。つい先日の大喜る人たちトーナメントの決勝で戦い「粘菌歌会」に参加されているひつじのあゆみさん〈ストリートビューでファミマのない街へ行く 秋祭りのお知らせがある〉、著者プロフィールに好きな大喜利回答を貼っている伊舎堂仁さん〈そのときに付き合ってた子が今のJR奈良駅なんですけどね〉、個人の歌集になんと大喜利も含まれているナイス害さん〈なんと俺、短い名前がだいすきで「手」と名乗る女の胸を揉む〉などがいらっしゃいます。他にも、芸人が短歌に挑戦する『芸人短歌』という試みもあり、お笑いと短歌が決して遠くない位置にあるということがわかると思います。
(12月1日追記分)『芸人短歌』の書籍化にあたり、こんにちパンクールのメンバーの新作短歌が収録されています!絵文字ではない短歌に興味を持った方はぜひこちらもよろしくおねがいします!!!!!!わーい!!!!!
田野
田野さんの歌は何よりも韻律が特徴的だと思いました。一見57577から大きく逸脱しているように見えましたが、動画で聞いてみると意外とちゃんと短歌的なリズムで成立していて、かなり優れている韻律感覚があるんだな、と思いました。また、お題から発想を飛ばす力もあって、たとえば〈これ入れば〉のイーグル、〈ドラゴンが〉の減税対象、〈よく出来たね!〉の鳥銀行、などの発見の斬新さにも惹かれました。個人的には〈雪がやる〉の歌の上の句のそっけなさに対して、下の句「結果もない」の字足らずにハッとさせられました。
やはり〈天狗のグラビアアイドル 良いね君 君は赤い真珠みたいだ〉は絵文字短歌企画の中でも屈指の秀歌で、発想・言葉の使い方の双方で優れていると思いました。あのお題から「天狗のグラビアアイドル」を見出すのも驚異的ですが、何よりも「いいね君 君は赤い真珠みたいだ」の表現が過不足なく、かつ代替できないフレーズで素晴らしいと思いました。「赤い真珠」は実際に存在せず、この短歌の中の比喩上でしか存在し得ない真珠ですが、逆に「天狗」という伝説上の生物の質感を表現できているのがすごいと思いました。なにより、すべて虚構の要素で構成されて歌で、ここまでリアリティが出せるのはなかなかできないと思いました。もし天狗のグラビアアイドルが存在するなら、たしかに「赤い真珠みたい」だと思わせてしまう、田野さんは本当に天才だ…
(追記:そういえば田野さんの歌の〈板チョコレート〉を板チョコと略さなかったことについて、鈴木ジェロニモさんが「田野さん個人の言葉になる」という評がありましたが、これって視聴者投稿企画の〈ジャパニメーション〉の回答に通じる精神性があるよなあとふと思いました。)
アオリーカ
こんにちパンクールの「まだ短歌な方」だけあって、アオリーカさんはお題からポエジーの見つけ方に長けている印象がありました。例えば〈割らぬよう〉の歌では(お題に出てきた)雪の本質のひとつである「溶ける」性質すらも忘れる、という発見がとても詩情があって素敵だと思いました。他にも〈コノ星ジャ〉の歌の表現にカタカナの工夫や、〈シアトルは〉のフレーズのリフレインなど、詩的表現も多様で、ちゃんと短歌を読んでる方なんだな、と思いました。何よりも世界の捉え方に全体的に明るさがあるのがとても良いと思いました。
アオリーカさんの歌では〈「ダイヤには輝く意味もあるらしい」初めて自分でベルを鳴らした〉が一番好きでした。「輝く意味もあるらしい」がやっぱり素敵なフレーズですよね。時刻ダイヤという不変的で日常的なものから、輝きを見つけて、そこから電車側が自らの意思を持ってベルを鳴らす、という動きがはっきり見えました。ダイヤの一語の持つきらきらした感じがなければ、「ベルを鳴らした」の良さが活きないと思いました。ダイヤの視覚・ベルの聴覚のふたつの感覚も面白いと思いました。
警備員
「絵文字短歌」企画考案者の警備員さんはびっくり箱みたいな印象の短歌が多かったです。特に単語に対する意欲がすごくあって、〈夜現場〉の歌の定規ママBARや、〈邦画だけ〉の歌のウタイテリアンやペロペロトウギュウとか、一度聞けば耳から離れない言葉が活きていると思いました。定規ママBARという言葉をここ以外でおそらく一生聞かない気がします。
わたしは警備員さんの〈このように太陽左辺へ移行して散歩日和はマシュマロになる〉が好きでした。左辺へ移行する、のは方程式を解く作業に太陽を持ってきたところからどこへ着地するのかと思えば、なんと散歩日和のマシュマロ。読後、ぽかぽかの春の日差しを感じさせる道が見えてくる気がします。理系的な文脈からはじまってやわらかい日常へスムーズに移行していく、不思議な感触の歌だと思いました。
蛇口捻流
蛇口捻流さんは発想が秀逸な佳歌が多い印象でした。大喜利プレイヤーらしい、上の句でフリを作って下の句でオチを作る構造も巧いと思いました。例えば〈職業を奪え〉に対して「職無しチーム」を用意したり、〈木と球で〉に対して「棚卸し」と、お題に対して角度をつけて着地するところに、ユーモアがあって面白いと思いました。他にも下のフレーズで「合いすぎている」や「見えなさすぎる」と処理する感じにも、少し大喜利みを感じるところがありました。
詩という観点では、〈終電を逃したSuicaのペンギンはオーロラ目がけて数駅歩く〉がとても良いと思いました。お題のペンギンがSuicaのペンギンである、という発見がまず素敵でした。終電とシームレスにつながりつつ、そこから「オーロラ」という単語に発展させることで、日常から非日常へ一気に飛躍する感覚が良いと思いました。最後に「数駅歩く」で再び日常の描写に戻りますが、オーロラの残滓が感じられる構成になっていると思いました。現実には日本からオーロラは見えなくても、数駅歩いていく感覚に見えない「オーロラ」の方へ歩く、という情報が足されるだけで上質な詩になったと思います。
FAN
FANさんの短歌は幅が広く、言葉を無理やり繋げて強引に歌にしてしまうパワータイプのような歌があるかと思えば、さらっと巧いフレーズをつくる器量さのどちらもあるような気がしました。前者で言えば〈ゴルフ タカ〉、後者で言えば〈炎天下〉でしょうか。どちらも同じ作者から出てくるのがすごいと思いました。他にも〈My name is〉の歌も英語に振り切っていて挑戦する感じがかっこいいなあって。ひとつのものにいろんな表現・詠み方ができる、器用さがある作者と思いました。
〈その辺のポプラの陰に落ちている野球ボールでいいやの人たち〉のような日常的な風景を詠んだ歌に特に惹かれました。動画内でも指摘された通り、「いいやの人たち」の把握がとても効いていると思いました。結句によってその人たちと野球ボールとの関係性、そしてこれから行われるその人たちの遊びを想像させる働きがあると思います。また、「ポプラの陰」の描写も地味ながら、この歌のリアリティを担保しているような気もしました。些細な言葉の選び方によって風景に奥行きが出る、お手本のような歌だと思います。
ジョンソンともゆき
ジョンソンともゆきさんの歌にでてくるキャラクターたちはどれも魅力的で、生き生きとしている印象がありました。言い回しがとにかくチャーミングで、たとえば〈見てくれよ〉の「愛されてるぜ」、〈ホールインワン〉の「来ちゃったや」、〈お互いの〉の「皮肉なもんだ」などの口語的表現が一種の中で独特の味わいを出していると重ました。
その中でも〈ぼくたちの日常が違法にアップロード その収益で牛タン食うの〉が変な歌ですが、面白いと思いました。たしかにユーチューバーの中では日常を動画としてアップロードして収益を得ているような人たちもいますが、この歌の中ではそれが違法で行われているところに、屈折感があると思いました。わたしは勝手にトゥルーマン・ショーを想像しました。自分の日常をコントロールすることができない、その気持ち悪さが結句の「牛タン」に通ずるものがあるような気がして、ギリギリのラインの表現に成功していると思いました。メタフィクション的な日常を想起させる、不思議な感触の歌でした。
ぺるとも
ぺるともさんの発想・言葉の使い方・構成どれをとっても技術が高くて、本当に今まで短歌をやったことがないのかと思うくらい、巧みな歌を作っていると思いました。例えば〈ペンギンが〉の歌では「列車の時刻」、〈翌日の〉の歌では「車庫の一両」、〈予選から〉の歌では「決勝の頃」と、それぞれ体言止めを使ってビシッと決めてくるところに、散文ではなく詩を作るという意識を感じられました。また、ぺるともさんは三十一音に入る情報の適切な量を把握していて、描写したいものに対してしっかりと言葉を上手く配分している印象がありました。
〈ロボットとタイマン張るって聞いたのにメンテナンスの人間がいる〉、はじめて読んだ時に鳥肌が立ちました。お題に対して極めて忠実で、イメージが明快でかつ無駄な言葉が一つもなく、即詠で出てきたのが恐ろしかったです。誰にでもわかる歌をつくるために高度な技術を必要で、短歌初心者はまず自分のイメージを言葉に変換するところで苦労するのですが、この歌はそのような辿々しさは全くありませんでした。洗練されていて計算し尽くされている歌だなと思いました。
また、絵文字短歌とは別の企画ですが、こんにちパンクールのチャンネルに「単語」という、お題が一単語しかない、歌会の題詠のような企画があって、その企画で「うさぎ」というお題を出た時、短歌のような詩的純度のあるぺるともさんの回答が印象深かったので、ついでに紹介したいと思います。
たしかに同じうさぎ年なのに、自分より十二歳も年上なんだな、と思うと、結構大きなうさぎを想像してしまうような気持ちがとてもわかります。それを単に「大きなうさぎ」と表現せずに、「大きくなる」と動詞にしたところがすごく良いと思いました。動詞を使うことで、「一回り年上の人」と聞く前から想像のうさぎが既に存在していて、それがより大きくなっていくことがリアルタイムで再生される感覚が生まれました。「うさぎ」ではじまり「うさぎ」で終わるのもきれいな回答だと思いました。
鈴木ジェロニモ(ゲスト)
ゲストの鈴木ジェロニモさんの短歌にはたしかな発見と措辞の巧さが際立っていて、もう、早く歌集を出してくれないかなぁ…とずっと思っています。フラットで即物的で、でもどこか人間みのあるユーモアもあって。
絵文字短歌の無茶なお題からも素敵な歌がたくさんありました。わたしが鑑賞するのも恐れ多いんですが、特に〈オーロラ鉄道ペンギン専用車両にはまぶしくとける優先氷〉の詩情が素敵でした。文体があっさりしているのに、優先氷、という造語に無理させない構造がすごいと思いました。言葉をきらきらさせている感じ。やっぱり上手いです…
大喜利と短歌という二つのジャンルは一見遠く見えて、どちらもひとひらの言葉を屈折させて一瞬だけ発光させる文芸の一種だと思っています。絵文字短歌はその二つの世界をほんのすこし近づける素敵な企画だったと思います。絵文字短歌、ぜひまたやってほしいです…!