【カンテラ10の約束#4】自分で理解できるようサポートします
「思考」することを大切にしていますが、その上で、課題の原理の理解もなるべく子どもたち自身でできるように指導しています。
これは、子ども任せにして突き放すということではありません。得てして大人は説明したがりです。特に自分が知っていることは、教えずにいられないかのように話しますよね。
誰にも教育欲はあると思うので、別に悪いことだとも思いません。
なぜ授業は効果が薄いのか?
でも、教育においては、マイナスになります。誰かに「教わる」と、知識やスキルの定着度は落ちてしまいます。下図は、アメリカのトレーニング研究所というところが出している『ラーニングピラミッド』です。
最も学修定着率が低い学び方が、「講義」つまり授業形式の学び方です。次に低いのが「読書」。教科書を読むだけではダメです。
反対に最も学修定着率が高いのは、「他の人に教えること」。これはよく言われます。ただ、他者がいないとできない学習法というのは、制限が多いので効率が悪くなります。
だから、その次に高い「自ら体験する」が最も障壁が少なく学習の効果がでやすい学び方だと考えています。
つまり、演習中心の学び方です。
授業を聴いたり、本を読んだりするのは効果が薄い。自分がどれだけ知っているか、できるかを試し続け、修正し続けることが最も効果が高いわけです。
魚の釣り方を自ら掴む
中国の故事にこんな言葉があります。
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という言葉です。「魚」を与えるだけだと、食べたらそれで終わってしまいます。でも、「魚の釣り方」を教えると、一生食べていける、つまり自立した人になれるという意味です。
魚は「答え」です。問題の「答え」を教えるのではなく、「答えの求め方」を教えるという意味ですね。
確かに、魚を与えるよりは、魚の釣り方を教えた方が生きていけると思います。でも、野菜が食べたくなったら、また農業を教えないといけません。肉が食べたくなったら、狩りを教えないといけません。それは果たして自立と言えるのか?
カンテラでは、老子の教えにさらに一文付け足します。それが、「魚の釣り方を教えるのではなく、魚の釣り方を掴ませる」というものです。「教えずに、自分で掴む」のがカンテラの学習です。
何事も教わらず、自分自身で理解するんだというつもりで学習する気持ちを育てます。そうすれば、肉が欲しくなったら、どうしたら獲物を狩れるかと考える人になります。こういう姿勢が大切だと考えています。
どんな子でも自分で理解した感覚が持てるように
世の中にはすごい子がいます。棒と糸さえあれば、工夫して魚をつってしまうような子が。そういう子には初めから釣りを教える必要はありません。
でも、そんな子ばかりではなくいろんな子がいます。棒と糸をつなぐことさえわかればいい子、えさのつけ方がわかればいい子、釣り竿に餌をつけて海に垂らすまでしてあげても苦戦する子・・・
その子が、どんな情報やスキルがあれば、より理解が進み、自分で掴めるのかを見極めて、助言やアシストを小出しにします。そうすることで、理解を助け、あくまで自分自身で理解したという感覚を維持しながら掴めるようにサポートします。
その子にとって最も成長できる、ちょうど適切なポイントのことを「スイートスポット」と言います。単にその課題について自分で掴めるポイントではなく、その後に向かう課題にも役立つような学習になるためのポイント。
どこまで言うか言わないかの匙加減は難しく、言いすぎることもあれば、足りないこともあります。日々、それぞれの子のスイートスポットを追究し続けています。
スイートスポットにハマったとき、子どもたちはいい顔するんです! その顔が見たくて教育に携わっていると言っても過言ではありません!