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【中学受験】 結局、志望校の決め方は、子どもの感覚が最も正しい
とあるYouTubeの番組で「中学受験」をテーマに扱っていた。最近多い。
中受本の著者でもあるゲストが、今時の中学受験や中高一貫校について語るという内容。見ていてびっくり。
どこかの本で書かれているような内容を語ってはいるが、各学校の実態とはかなり乖離している。
よく聞いていると、「〜らしい」「〜と思います」と、事実ではない情報がほとんどのようだ。
見もせずに、人づての話だけで本まで出せてしまうのかと衝撃敵だった。
学校の特色を掴むのは難しいということかもしれない。
外部の人が学校の実態を捉えることの難しさ
そもそも外部から見て活字化する人たちって、どこまで調べているんだろう。前述の人は、行ったことさえないような口ぶりだった。
そのレベル感で、受験相談はおろか、教育相談まで受けちゃうのはいかがなものか。
なぜそれほど実態と乖離するのかは、単に不勉強なことだけではない。
単純に、学校って公立だろうが私立だろうが、ブラックボックスで何が起こっているか捉えることが難しいことが原因だと思う。
たとえば、ジャーナリストが学校を訪問して、授業を見学していても、教室に異質な誰かがいるだけで、生徒はよそゆきの顔になる。塾の講師が訪問しても同じ。
どんなに観察眼のある人でも、実態とちがう日常しか見ることはできなかったら、リアルな学校像は掴めない。
日常の様子を見ることができるのは、教師だけだがそのリアルをすべてオープンに語る教師はいないだろう。
在校生の保護者には見えているか
保護者からだって、それほどよく見えるわけじゃない。
いや、全然見えないって言っても過言ではない。
ただ、子どもやその友達、さらにその親から、活動内容を365日聞いたり見たりすることはできる。
いろいろな情報を統合して、少しずつ解像度が上がっていくような状況。
それでも、我が子が通う学校のみではあるが。
だんだん、学校が実像を結ぶようになると、受験前の世間に流布していた情報とはかなりの違いを感じることがある。事前情報はイメージ先行である場合が多い。
良くも悪くもだが。
また、まわりの保護者に聞いたり、友だちを見たりしても、それも一面に過ぎない。
他の保護者に聞いたら、全然ちがう印象を抱く可能性はある。
勉強面はがんばっているのか、学校行事に積極的に参加しているのか、部活はどんな部活に参加しているのか、友達とどんなことをして遊んでいるのか、など、要するに、我が子がどんな学校生活を送っているかによって大きく変わる。
だから、在校生の親だって、6年通わせてみて、わかるかわからないかでいったら、たぶん本質はわからないのではと思う。
生徒はどうか?
その学校に毎日通い続け卒業した人ならわかりそうなもの。
でも、実際は、生徒も半径3mくらいしか見えていないように見える。今のところ。
目の前のことに一生懸命になっているから、視野はかなり狭く、ちょっと遠いと同級生のことさえあまりよくわかっていない。
学年が上がるにつれて、視野は広がってくるのかもしれないが、自分のやりたいことに専念するほど、学校の全貌はつかめないまま卒業するだろう。
その6年間を、「ある学校」として語ったとしても、「ある一面」であることに変わりはない。
その子なりの学校生活でいいじゃん
逆に、どの卒業生、在校生、保護者に聞いても、外部の人が見ても、同じことが語られる学校があるとする。
それは、明らかにひかれたレールの上を走るような、完全管理の軍隊のような学校ではないか。
それがいいという場合もあるだろうから、否定はしないけれど。
人それぞれの学校の過ごし方があって、学校の捉え方は微妙に違うのがあたり前だろう。我が子の学校生活までコントロールしようとしなくてもいいと考えている。
すると、志望校としてベストなのは、子ども自身が、
「ここに行きたい!」
と、親のバイアスを無視して言える学校ではないか。
「行きたい」の理由が、「なんとなく楽しそうだから」という、全然論理的ではなく、ふわふわしたものであってもよい。
もちろん最難関校は、その志望動機を論理的に説明できる生徒を欲しているようにも見えるけれど・・・
子どもに合うとか合わないとかを親が考え過ぎなくても、自分で熱望した学校であれば、学校の雰囲気に子ども自らが合わせていって合う子になっていくかもしれない。
それを「成長」というのではないか。
親の意向で無理やり通わされた学校よりも、自分で選んだ学校であれば前向きに通うことができるのではないか。
そうして、その子なりの6年間の「〇〇校生活」が生み出せたら、大成功ではなかろうか。