理非善悪の弁識能力とは

 「理非善悪」とは、物事の正・不正、良し悪しのことで、「弁識能力」とはそれらを区別して分かる能力のこと。
 では、ある瞬間、あるいはある時間の流れの中でその時にA氏には、理非善悪の弁識能力が必要十分に備わっていた、と説明するには、何をどう分析し、その時にA氏がいかなる状態であれば、そうであったと見做すことが出来るのだろうか。

  1.  A氏が一般の社会人として、この社会に於いて一人で考え、判断し、生きていくことが出来る能力が備わっている、とはどういうことか。A氏にはいかなる条件が必要なのだろうか。

    1.  社会生活が送れるとは?

      1.  社会の中で、社会の機能を利用し、自分で衣食住を整え、自己の生命を維持していけること。

        1.  では、引き籠りは?

          1.  引き籠っていても、食事、排泄、保清、睡眠が出来ていれば、社会生活は最低限出来ていると見做すことが出来る。

        2.  では、山の中の自給自足生活は?

          1.  他人と没交渉の生活を送っていても、

(途中)