縄文時代晩期に起きたこと
縄文時代といえば 宇宙人の介入?
なんといっても 遮光器土偶の形は何を表しているのか など ロマンが広がる
今回は 遮光器土偶と同じ地域で作られていた
亀ケ岡式土器について考察してみた
遮光器土偶 亀ケ岡式土器は意外にも縄文晩期に作られたものだった
縄文時代が16000年前から始まっていたとすると 3000年前 縄文晩期に遮光器土偶が作られたことになる
宇宙人介入がそんな最近のはなし?
逆に 縄文晩期に何が起きたのか興味が湧く
さて 縄文時代の証言者ともいえる土器
この時代に作られた亀ケ岡式土器は
あることを語っているように思う
それは 完璧に祭儀用に作られた土器
2-3mm 厚くても5mmの薄さで
陰陽の差をつけた ネガ ポジの模様
模様も土器の底の見えない部分にも丁寧に施されている
岩手県にも大洞式という名前で呼ばれたものがある
つまり 祭儀の為の土器を作る職能集団がいたと思われる
縄文時代は世界中を移動して人々があつまり
知恵を伝えた集大成が縄文晩期に見て取れる
縄文の古文書ホツマツタエは まさに 東北から広がっていった知恵の流れを見て取れる
この二つを結びつける研究はされているのだろうか
私はアーティスト視点でとても興味がある
遮光器土偶も何かを伝えている気がする
タイトルの絵は 縄文の知恵を日本に伝えた
アウワの図
アメノミヲヤカミを縄文人は信仰してきたという
見えない縄文と見える縄文を
愛を持って考察していきたいと思う
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