(곰탕みたいだ)
チョンくんが一人でいるところに店へ顔を出して、前にプレゼントしてもらったタオメオ(どうしてだかタオメイと記憶しがちである)がなかなか美味しかったこと、焼酎よりもウイスキーに近いアルコールの強さだけど、ウィスキーよりも焼酎よりも甘くなくて、おなかにもあたまにも甘い重さがなくて、林檎の甘味はあるけど、それはとてもさっぱりしていて、とにかく美味しかった。
そんな話をするとチョンくんは、ああ、よかった。
と胸を撫でおろすくらいの大きな息を吐きつつ言った。また、おれにとって美味しかったということ以上に、おれが、プレゼントされたその夜のうちではないにしても、美味しさからいってそれは可能だったし、それで次の日まで酔いが残るとかいうことはタオメイという酒の質からいってもおれの体の質からいってもなかっただろうが、すでに一本を空けてしまっていることにチョンくんは細い目を円くさせて驚いているようだった。すごいですね。
そんなやりとりをしながらおれの頭の中では、まずはtáo mèoのtáoのほうが林檎の意味であることは林檎の酒であることから、あるいは中国語では桃の発音が当然ながら日本語のモモではなくてtáoであることからも、そしてベトナム語での桃がđào、ダオであることからもわかるにしても、mèoのほうが猫の意味であるとはどういうことなのか。メオが猫の意味であることは、その発音と猫の鳴声とから連想できるにしても林檎の酒の名前としてどうして猫が出てくるのか。さらには林檎をtáoだけではなくて quả táoとかtrái táoとか、あるいは猫についてもcon mèoとか、前に月、moonのベトナム語についてチョンくんにtrăngだけではなくてmặt trăngとなっている場合は英語でのthe moonのようなことでいいのか、つまりはmặtがtheのことでいいのか。
と尋ねたところ、だいたいそんなところですということだったが林檎も猫もだいたいそんなところでいいのだろうか。または、この何年かで日本にもバインミーとかフォーとかベトナム料理の店は続々と増えたが、cơm tấm(コムタンみたいだ、곰탕みたいだ。魂胆を重ねるとしても流通している意味においては陰謀めいたものになるが、魂、胆、一字ずつにおいてなら体の大切なところ、それのために食べるべきもののようでもあるが)を食べられる店は、もちろんチョンくんの舌としてで美味しいということでいいのだが(チョンくんにとっては日本にあるベトナム料理は味が濃すぎるということだった。それは中国の福建省の生まれの親しくてしてもらっている呉さんからも日本の中華料理について、味がソースとかショーユとか、濃すぎる、と聞いたことと重なるようだった)、どこか知らないだろうか。それともチョンくんは自分が良く飲んだのはサイゴンビールではなくてハノイビールだと話してくれたことがあるから、phởのことはわかってもcơm tấmのことにはあんまりというところだろうか。もっともおれのほうも動画とか写真とかで見ただけのことで口にも指にも、直接には目にも、何もしていないに等しいのだが。それを考えると尋ねることが、táo mèoについても同様に気恥ずかしいようで、それでもtáo mèoは飲んでしまって自分で新しく一本を買っておきたくてチョンくんが買った店は教えてもらった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?