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(息が詰まりそう)


 南へ。
 そして東西に走る線路の西の端の駅に行きあたる。だから、それを、東へ。昔は、その線路を走っていたのは古ぼけた玩具のような、せいぜい四両編成だったろう、埃っぽい緑の色の電車。今は、その緑の色を見ることはない。様々な色の電車が、どの色も随分と派手な色で、昔のようにどれもこれも緑の一色というのではなくて、一車両に二色も三色もあることもあって、昔は緑の色が象徴のようであったのだが、今は、ない。東へ。
 線路に沿って、自転車で。西の端から三つめか四つめかの駅が目当てだが、そこに至るまでに通り過ぎる三つか四つか、それぞれの駅に近づくたびにあなたの声が聞こえるようだ。わたしの思い出の中の、わたしの頭の中の、わたしの体の中の、あなたの声に過ぎないのであれ、絶対の外からのように、すぐそばからのように、あなたの声が耳元で聞こえるようだ。大人びて落ち着いていて、色も艶もあるようで、悲しそうで淋しそうで、どことなく滑稽で、子供のようで、少女というよりも少年のようで、外から見るよりも内なる芯のあるような、そんな声が。


 昔々、あなたが暮らしていた部屋の最寄駅が、これだ、ここだ。あなたとわたしとが乗った緑の色の車両は見ないが、どれもこれも派手で、奇抜なくらいの、緑の一色のみではなくなって様々な色の車両が走っているが、あなたとわたしとが乗った電車からの、人力で動いているかのような騒々しくものんびりとした機械音とか摩擦音とかは聞こえないが、とても電気的で滑らかな気配だけがあるようだが、西の端の駅から自転車を走らせて線路に沿ってここまで三つか四つかの駅を過ぎてきたが、それぞれの駅は、昔々とたいして変わってはいないようだ。長らく風雨に晒されたコンクリートのホーム、古びてささくれて、色も褪せている木のベンチとか雨除けとか。それは、ここも、同じ。しかし踏切の赤いライトの点滅、警報機、それがいくらか新しくなっているだろうか?
 黄色と黒色との虎の縞模様が昔々よりもとても艶を帯びているようだ、特に黒のほうが眩しいくらいだ。あるいは昔々よりも大きく聳えるように見えるのはわたしだけだろうか、まるで海の灯台のようにも?
 あなたの、一番に美しい思い出は、映像は、そこにある。わたしがここから緑の色の電車に乗って、西へ。
 その時あなたが見送ってくれた。あなたが、その電車で帰るわたしを見送ってくれたのがその時だけだというわけではないが、他にも何度かあったろうが、その時が一番に美しい。わたしは電車の中で立って乳の色の吊革に手をかけて窓の外を見る。夜、あなたはホームを出たところの踏切の警報機の傍に立っている。あなたと目を合わせる。西へ。
 その進行方向に向かって左の警報機、遮断機がすでに下りて赤いライトが点滅していて、しかしあなたがその赤に染まっている印象はない、どこかしらからの街灯の白さだろう、赤は飛ばされて、あなたは輝いているようだ。街灯でないなら夜空の月も星も、この町では月も星も地上からはあまりに乏しいにしても、その時だけはあなただけを照らしているようだ。あなたと目を合わせているままで、電車は走り出す。あなたがわたしに手を振ってくれる。片腕を精一杯に高く上げて、僅かに背伸びをして、力一杯に開いた手のひらを小刻みに素早く降ってくれる、それこそ、まるで星の輝きのようだ。あなたの笑顔からも細かな星の屑でも粉でも塵でも舞い上がるようだ。月とか星とか、あまりに感傷的になっているだろうか?
 街灯が、あなたをそこまで輝かせたのなら、あの近くの、どの街灯だったのか、それを、確認しなければ。たまにはスマホで写真にでも撮ろう、写真として残すことも撮るという行為そのものも、わたしは好きではないのだが。

 ここまで書いて、自分で書いたこととはいえ、もちろんあなたの思い出だからだが、息が詰まりそうになった。美しく書けた。
 とは思わない。そんなものを信じて書きはしない。わたしの、あなたについての思い出の中の一番の美しさではないのだ、わたしの全ての思い出の中で、全ての記憶の中で、人生の全ての中で、間違いなく一番に美しい映像だから、たとえ誰にでもあるように感傷的にも修正が加えられてしまっているのであれ、現実を生きているあなたとは似ても似つかない、わたしの現実逃避でしかないのであれ。


 あなたの声を耳にするのは、きっと、自転車に乗っているから。あなたを目の前にしなくても、あなたの声を耳にするのは、まるであなたを後ろに乗せているようだから。背後から、あなたの両腕がわたしの腰に、腹に、強くまわされているようだから。あなたの柔らかな頬でも、胸でも、あるいは滑らかにして硬そうで、広めの額でも、わたしの背に強くあてがわれているようだから。それでは、あなたの声が耳にできるにしても、あなたを目の前にできるはずがない。あるいは、だからこそあなたの声が、わたしの耳元で優しくも微笑ましくも囁かれるようであるわけだ。

 あなたの声を耳にするのは、きっと、わたしの耳が大きいから。わたしの耳が大きいのは、きっと、あなたが舌で舐めてくれたから、昔々のことではあるが。あなたもあなたの耳を舐めて欲しいというように、あなたの温かく濡れた舌がわたしの耳を舐めてくれたから、あなたの柔らかな唇がわたしの耳を撫でてくれたから。それほどに、あなたの唇が、息が、わたしの耳に近かったものの、あなたは、あなたの耳を舐めて欲しい。
 ということを、耳でなくても、どこでも、どうして欲しい。
 などと決して口には、言葉にはしなかったが、わたしにはわかった。あなたの言葉が耳にできるように、胸に感じるように。わたしも黙ったままで、決してあなたに何かを、目と目とだけで確かめる素振りもなく、あなたの耳を舐める、撫でる。あなたの息と声とで、わたしにはわかる。あなたの耳に向かっていればあなたの表情は目にできないが、わたしにはわかる。あなたの体の震えから、あなたの首筋の震えからだけでも、わたしにはわかった。わたしには幸せな一瞬だった、とても嬉しかった、楽しかった、あなたから求められることが、わたしばかりが求めているわけではないことが。


 駅から、東西に走っている街道を、西へ。
 街道に面して大きな、名の知られているスーパーマーケットが目につくが、これはあなたがいなくなる前にもあっただろうか?
 たぶん、なかったろう。少なくともあなたとわたしと、わたし一人だけでも、ここで買い物をした記憶はない。あなたがここで買い物をしたという話を聞いたこともない、と思う。西へ。
 やがて大きくはない、それでも大型のバスは通れるくらいの道の五つに分かれているところ、そこを、南へ。
 その五差路に至るまでの街道に面して、大きなスーパーマーケットを過ぎてから、美容室を気にとめる。昔々は、チョキ太郎だか、髪ふうせんだか、そのような名前だったが、名前も、店の雰囲気も、様変わりしている。昔々は、もっと客が入りやすかった。わたしは入ったことはないが、あなたは入ったらしくて、切ってもらったらしくて、わたしも入りそうにはなった。今は、かなり客が限られているようだ。その周囲には二つ三つ、洒落たカフェ、洒落た若者たち。わたしが若かった時にも縁のなかったような、わたしが今も若いとしても縁のないような、若者たち。西へ。
 五差路に至る直前には、昔々は個人営業の、チェーン店ではなかっただろう、小さなスーパーマーケットがあったが、今は小さいながらのチェーン店の一つになっている。その脇には古びた木造の三角屋根の建物の中に煙草の自販機が並んでいる。これは昔々もあっただろうか、自販機ではなくて販売店だったか、個人営業のスーパーの中にあった販売店だったか。

 今が五差路なら、昔々は四差路だったろう。二つの道が十字に交わっているものではなくて、四つの道のそれぞれが様々な方向から一つに集まっているだけのところ。それは、昔々は二十四時間営業のコンビニの前だった。あなたが暮らしていたところでは、最も近いコンビニだった。それが今はなくなった。昔々、四差路のうちの最も逞しいバス通りが南北に伸びていて、それはコンビニの前で右に左に、斜めに、と曲がったものだったが、今は、コンビニのあったところが、そのバス通りの延長として、北へ。
 まっすぐに、逞しく、昔々は緑の電車の走っていた線路のほうへのびている。わたしは、そのバス通りを、南へ。
 向かって右に、アスファルトで敷かれた広い敷地に、野球でもサッカーでもできるくらいだろう広さにバスが何台もとまっている営業所が見えてくる。それとバス通りとを挟んで、あなたが暮らしていたアパートがある。わたしが夜中にあなたの部屋へタクシーで初めて駆けつけた時、あなたは電話口で、そのバスの営業所をタクシーの運転手に告げればわかりやすい。
 そう教えてくれた。あなたがいたアパートは、今は外見だけしかわからないが、昔々と変わっていない。バスの営業所も、広い奥のほうまで、整備工場のほうまではわかりかねるが、出入口のバス停とか、そこから見渡せる敷地の褪せたアスファルトとか、やはりほとんど変わっていないようだ。ただし、そのバス会社の車両のデザインは新しくなっているようだが、昔々の車両が、それにあなたと一緒に、その営業所からでも乗ったこともあるが、そのデザインがどうだったか、記憶にはない。あなたと一緒にいた頃にバスがどうとか、バス会社によってどうとか、まるで興味はなかったろう。今は、たまたまのことにしろ、バスの清掃を仕事にしているから、バス会社によってのデザインとか気にとめることもできるが。わたしが働くバスの営業所では清掃員を常時募集しているも同然だが、それは清掃として仕事そのものがそれほどにきつくはないにしても給料の安いことが主になるのだが、この営業所ではどうだろうか?
 あなたの暮らしていたアパートを左に過ぎて、南へ。
 左に学校を過ぎたところ、図書館がある。

 あなたがいたアパートは変わっていないが、何かが新しくなっているようには見えないが、確実に時間は経過している、古びてはいる。さらにはアパートとして機能していないかもしれない。誰もそこには住んでいないのかもしれない。それが、ほんとうに変わっていないように、時間も止まっているように、見せるのかもしれない。


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