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(青鷺と書いて、ベンヌ)

 最近、ともだちになった、アオサギくん。あなたにも、どうぞ、よろしく。

 はじめまして。しかし、もしかしたら前に会ったことがあるかもしれません。もしかしたらそれは、夢の中だったかもしれません。わたしは夢を見ませんから、見ても忘れてしまいますから見ないことと同じですから、あなたの夢の中だったのでしょう。こうして言葉を送ることは初めてでしょうが、わたしはあなたであれ誰であれ、人の夢の中にも飛んでいくことができますから、夢がモノクロであれカラーであれ。飛ぶということは、飛ぶことのできない人とかには想像できないかもしれませんが、そういうことです、夢も現もないのです。こうして言葉を送ることは、あなたが初めてになるでしょうが。

 わたしはアオサギと呼ばれています。文字で、日本語で書くなら、カタカナよりもひらがなの、あおさぎ、そのほうが好きです。もともとの名前も、あおいさぎ、ひらがなのほうが好きです。意味は、幼いとか若いとか拙いとかいった、青い、ではありません。幼い、若い、拙い、詐欺師、詐欺、そんな意味ではありません。あおい、漢字でなら、青だけではなくて蒼でもありますが、つまりはあくまでただの色について。青い、蒼い、色の鷺、そのままの意味です。ただし鷺、サギという名称の由来については、清き、さやけき、といったところからのさぎ、あるいは騒がしい、さやぎ、といったところからのさぎ、などと言われているようですが、わたしにはしっくりきません。それは詐欺としてのサギ、その言葉が因幡の白兎の物語の、ウサギのサギからきているということと同様にしっくりきません。

 実際は、青色ではなくて自分でも全体的に、全身的に、灰色だと思います。青色と言えるところもないこともないのですが、とても淡い青色、それもほとんど灰色。日本語では青色とされていますが、ラテン語の学名からしてArdea cinerea、〈アオサギ(青鷺、蒼鷺、Ardea cinerea)は、鳥綱ペリカン目サギ科アオサギ属に分類される鳥類。学名はラテン語でArdea が「サギ」、cinerea が「灰色の」を意味する〉、というように、ヨーロッパを中心にしてだいたいにして青色ではなくて灰色と認識されているようです(それならラテン語で灰色の鷺ではなくて青色の鷺を、Ardea 青色の、ということで調べてみようと思ったのですが、ラテン語そのものに無知でしかないために全くかないませんでした。)。それでも中国語、つまりは北京語のことでしょう、それにおいては苍鹭と書かれます。苍の字、Cāngには、日本語の灰色だけではなくて暗い青色とか深い緑色とかの意味も孕まれるようです。日本語の灰色、それと青色とか緑色とかが重なるという話は聞いたことがないのですが。ただし、日本語でのあお、あわ、おお、おう、などと言った言葉には、それを持つ地名には、死とか葬とかが関わっている、そんなことを筒井功の書物で読んだことがあります。死が、火葬による灰とかかわるのかもしれません、それと淡い色とか青色とかが重なるのかもしれません。あるいは、灰ではなくても、灰にはならなくても、血の気の抜けた青白さは灰色に近いかもしれません、むしろ青白さとか、微かながらでも青さとか、それのない灰色は灰色ではないのかもしれません。広東語では蒼鷺になるようです。

 朱い鷺と書いて、朱鷺、他にも鴇、桃花鳥、紅鶴、鴾などの漢字があてられるそうですが、アカサギと呼ばれることはなく、トキ。それならわたしも青鷺であれ蒼鷺であれ、アオサギではなくて全く異なる呼称があってもいいでしょう、飛ぶ鳥と書いてアスカと呼ぶようにも。それを考えていて、考えるように飛んでいて辿り着いたところは、〈ベンヌ(Bennu)、ベヌウ、ベヌとは、エジプト神話に伝わる不死の霊鳥〉〈エジプト語の「立ち上がる者(ウェベン)」が由来とされる。「鮮やかに舞い上がり、そして光り輝く者」、「ラーの魂」、「自ら生まれた者」または、「記念祭の主」などの肩書きを持つ。/主に長い嘴をした黄金色に輝く青鷺で、他に爪長鶺鴒、赤と金の羽がある鷲とも言う。稀なケースでは、鷺の頭をした人間の姿で表された。/太陽信仰と関連付けられたイシェドの木(ギリシアでは、ペルセア)にとまる聖鳥。アトゥム、ラー、オシリスの魂であるとも考えられている〉〈アトゥムあるいは、ラーは、この世の始めに混沌または、原初の海ヌンからベンヌの姿で(自生的に)誕生し、原初の丘「タァ・セネン」もしくは、「ベンベン」の上に舞い降りたという。あるいは、原初の海に沈んでいた太陽(の卵)が原初の丘に揚がった時にベンヌが太陽を抱いて暖めて孵化させたともされる。なお、この原初の丘を神格化したものがタテネンである。この世の最初に誕生した鳥である事からベンヌの鳴き声により、この世の時間が開始されたともされる。/太陽と同じように毎朝生まれ夕暮れと共に死んで次の朝に再び生き返るとされた。生と死を繰り返すことからオシリスとも関連付けられた。/ホルス及びギリシアのフェニックスのモデルとも言われる〉。だからわたしも、朱鷺と書いてトキであるように、青鷺と書いて、ベンヌ、それでどうでしょう。

 ところで、やはりエジプト神話のトートは、ヒヒの姿によることもあるようですが、トキの姿によることもあるようです。朱い鷺と書いて、それをトキと読むことは、春の日と書いてカスガと読むことと同様でしょうが、もしかしたらトキという読みは、呼びは、それに似ていなくもないトート、トト、という読みとか呼びとかに由来しているのかもしれません。トートのことは、何よりも書くことに関わる、それだけにおいてもわたしは、自分の青鷺がアオサギでしかないことに、そのままでしかないことに、朱鷺がトキであるようにはいかないことに僻んでいるようであっても、いつも一目を置くことにしています〈神々の書記であり、ヒエログリフを開発したことから書記の守護者とされた。また死者の審判においては、全ての人の名前や行動を生前の内から記録しているとも、アヌビスが死者の心臓を計りにかけ、トートは、死者の名前を記録する作業を行うともいう。王が即位した時には、その王の名前をイシェドと呼ばれる永遠に朽ちない葉に書き記す〉、朱鷺についても同じく。ただしトートの場合は朱い鷺ではなくて阿弗利加の黒い鴇になるようです〈現在においてはエジプトでは絶滅してしまったが、古代エジプトではこの鳥は神聖な鳥として崇められていた。書記と学芸の神トートの化身とされていたトキは本種であるとされている。非常に大切に扱われていたらしく、世界遺産にも登録されているサッカラでは、丁寧に埋葬された150万羽ものアフリカクロトキが発見されている〉。長い嘴で、たぶん腹を空かして餌を探しているだけなのでしょうが、地面をつついている姿が、地面に何かを書きつけているように見えたから、そんなことをどこかで聞いたか読んだか、記憶にあります。



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