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(あまりにも二人きりの思い出のようで)

 夜の駅の、灰色のホームに二人、あなたとわたしとがいる。他に人影らしいものは見当たらない。ホームに入っている電車内の温かな黄色の蛍光灯のもとには何人か乗っているようだが、ホームには寒々しくも二人だけだ。電車が出るまでの間、二人は一緒にいる。わたしが電車に乗って去らなければならない。明日は仕事があるから。そして明日の朝が早いから。
 そうでなければ、わたしは、あなたとともにでなくても、あなたの暮らす町の、どこか適当なホテルにでも泊まっていきたい。それができるなら、もっとあなたと長い時間を過ごせる。
 そう思いつつ、たぶん、わたしは自分が電車に乗ってきたものの、あなたが入場券のみでホームに入って待っていてくれて、わたしは車両からホームに降りるだけ、駅から町には出ないで、町に出るよりも、ホームだけであれ、二人でいる時間を選んだ。明日は仕事があるから。そして明日の朝は、仕事のある毎朝がそうであるように、早いから。
 それをわたしは何度も何度も口にしているようで、あなたに恩着せがましいくらいで、あなたは疲れた顔を隠しきれなくなっていて、わたしも自分にうんざりしてきて、話を変えなければならない。池の話。夜の池。夜が映る水面に鴨が数羽いるようだ。夜の中で、月明かりはところどころに届いているものの、確かに目にすることはできないが、ぐわぐわと鳴声がする、池の方々でする。夜でも鳴くものなのか、それともあなたとわたしとが夜の池に訪れたために鴨たちを驚かせてしまったからか。
 池の話。周囲は百メートルから二百メートルくらいだろう、それくらいの夜の池。その中に島がある。直径にして十メートルもないくらいだろう、木々が深く生い茂っていて、密生していて、数メートルも伸びている木々があって、夜でなくても池の周囲から島の中は見通せないだろう。そこにあなたとわたしとで入っていく。昔は、池の周囲の島に一番近いところに水を跨いでコンクリートでの緩やかな弧の橋がかけられてあった。今はなくなった。今は、誰も、その島に入ることはできなくなった、入りたければ水に入っていかなければならないが、最近ではどこからともなくカメラに監視されていて、もしかしたら島の木々の密生の中からでも、それで警告もなく警察への通報にもなりかねないようだ。ただし、あなたとわたしとの時は、まだ入ることができた。入っていって、外からは見えない暗がりへ、夜のさらに深いところへ、あなたがいささか怯えつつわたしの手を握り、わたしはあなたを連れていくように先を、恐る恐ると一歩、一歩、生きた草と枯れた葉とを軟らかくも硬くも音をたてて踏みしめていき、木々に手を当てがって、夜の深さにも届いてくる月明かりに目が慣れてきて、突然あなたの両手の力が強くなってわたしを引き止めるどころか引き戻すくらいになる。その理由は、すぐにわかった。茂みの中で、目の前に鳥が現れたのだ、たぶん鳥だったろう、鳥でなければ何だったのか?
 夜の中で、一目では鳥とはわからなかった。それは人の子供くらいの背丈は楽にあって、上半分は四角い箱でも被っているように見えて、しかし人の子供がそんなものを被っているというのではない、人の子供にしては脚が細すぎるようなのだ、せいぜい大人の親指くらいだろう。一目では、それは動かなかったので、そのような植物なのかと思ったが、それの細すぎる脚が、あなたとわたしとに物怖じすることなくしなやかに、一歩、二歩、と前へ、つまりあなたとわたしとに向かって。四角い箱のように見えた上半分は、羽毛に覆われているようだった。細長い枯葉が集められて重ねられてあるようだった。頭のほうに僅かな丸みがあって、その輪郭のすぐ下に細く鋭い目があるようだった、あなたとわたしとを見据えているようだった。翼は、たぶん、それの背後ではなく前方で、それの胸とか腹とかを、顔の目からすぐ下も、つまりはあるはずの嘴も、覆い隠して畳まれているようだった。あなたとわたしとは、立ち止まったままに互いの体を寄せ合って、黙ってそれを見つめ返した。それのほうも、三歩四歩と向かってはこないで立ち止まって、しかし決してあなたとわたしとに怖気づくような気配はさらさらないままに向かい合った。あなたとわたしとで、それへ向かって何かを、この島で誓わなければならないようだった。それが何の誓いなのか?
 そして、それからどうなったのか?

 正確な記憶はない。記憶が飛んでいるに近い。やがて、その島を出たことに間違いはない。その鳥に何らかの危害を加えるようなことも、威嚇だけであれ、絶対になかったはずだ。たぶん、人としてのあなたとわたしとに物怖じすることのない鳥に、鳥のようなものに、敬意を払うように、島に入ったことが間違いだったと認めるようにも、出たのではなかったろうか。
 この話ができるのは、きっと夢の中だからだろう。この話は、前からあなたへの手紙に書こうと思っていたが、いささか恥ずかしかったようだから。あまりにも二人きりの思い出のようで。

 もちろん言葉はあるだろう、言葉そのもの。それと、イメージもあるだろう。描写すべきイメージ。そのイメージについて、どんなに使い慣れた、使い古された、わかりやすい言葉があろうとも、それがわかっているうえでも、初めて目にするように、手で触れるように、耳にするように、鼻で嗅ぐように、どんな言葉を使えばいいのか、使ったことすらない言葉を使うしかないのか。
 しかしテーマというものは、できるだけ考えない。それを考えるよりも書くほうを先行させる。書くほうが先行する、いやがおうでも書くほうが先行される。それが書くということだから。テーマというものが、あるいはタイトルというものでも同じことだが、それが先行したら書くことはそれに束縛されるだけだから。それでもテーマでもタイトルでも必要だということならば、書くことが先行する、それは変わらないにしても、できるだけ書き始めるところよりも、書き続けているところよりも、書き終えようとしているところから、それらしいところを見つけだせばいい。それによって、できるだけ終わりまで読んでもらえることにもなるだろう。終わりから読まれてしまうかもしれないが。


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