そりゃエルフだって殺せば死にます ~グリヴァス・エリオンドール なれそめ編~ 2
夜も更け、気づけばサルヴィエンたちはいなくなっていた。グリヴァスは、いつも通りエールを五杯飲み、良い気分になって店を出た。
街はすっかり暗くなっていた。
自然のリズムで生活をすることが大原則のエルフ社会では、暗くなれば寝て、明るくなれば起きるという単純明快な流れがあり、夜中に活動している者は決して多くはなかった。だから街もひっそりと静まり返っていた。
グリヴァスの家は中心部から歩いて三十分ほどの、エルフィラディアの街外れにある。グリヴァスは鼻歌を歌いながら暗い街路をフラフラと歩いていた。
すると、そろそろ商店街が尽きようかとする辺りで誰かが争っている声が聞こえた。男と女の声だ。
「ふん。痴話喧嘩か」
グリヴァスはそう思って気にせず歩き続けようとしたが、男の「命が惜しかったら、大人しくしろ」という、とげとげしい威嚇の声が耳に入って、思わず足を止めてしまった。
この退屈過ぎるほどの平和な街で命に係わるような争い事は珍しい。
「いったい何事が起きてるんだ」
声は建物と建物の間の狭い路地から聞こえている。グリヴァスは建物の陰から、そっと路地を覗き込んだ。
暗くてよく見えないながら、五人ほどの男が女を囲んで凄んでいる様子はわかった。男たちは体格の良い大人だったが、女は若く、まだ二百五十歳ほど(人間の年でいうと十五歳ぐらい)の少女に思えた。「その子たちを離しなさい」という声に幼さが残っている。
「その子たち?」
グリヴァスの顔色が変わった。
男たちは二人の子供を捕まえていた。百五十歳ぐらい(人間でいう十歳ぐらい)の男女だ。少女はどうやら男たちに子供の解放を要求しているらしい。手には短剣を持っていた。
グリヴァスは我ながら妙な性格だと思うのだが、他の大人のすることには興味が無いくせに、子供が困っていると放っておけない質だった。
酔った勢いもあったのであろう。格闘が得意ではないグリヴァスだったが、無謀にも「助けてやろう」と思った。
グリヴァスは、つかつかと路地に入って行くと「おい、お前たち」と緊張で若干震えの混じった声で呼びかけた。
男たちはぎょっとしてグリヴァスを見たが「どうやら強敵ではない」と思ったらしく、すぐに態度が強圧的なものに戻った。
「誰だ、お前」
男たちのリーダー格らしい男がグリヴァスを見て、半笑いを浮かべた。背が高く右頬に大きな切り傷の痕がある、いかにも荒事が得意そうな男だった。この時点で、勢いだけで飛び出したグリヴァスのプランはすでに尽きていた。
「その子たちを離せ」
グリヴァスが重ねて言うと、男たちは興味の対象を変えたらしく、少女のことは無視してグリヴァスに向き合った。そして「誰だよ、エルフの邪魔は入らないって言いやがったのは」とぶつぶつ文句を言いながらゆっくりグリヴァスに近づいてきた。
男たちに手を引っ張られている子供たちがグリヴァスの姿を認めて、こわばっていた顔に、かすかな希望を浮かべた。
「昼間、広場にいた子だな」とグリヴァスは思い出した。
だが元々戦いが得意ではないグリヴァスにとって、五対一の状況は絶望的に不利なオッズだった。
「さて、どうしたものかな」
男たちはもう三メートルほどに迫っていた。見知らぬ男たちだった。この街では珍しいことだが、たぶんエルフではなく人間だとグリヴァスは思った。男たちの中にはナイフを持っている者もいた。グリヴァスは急に足が震え始めた。
「何でもいい。何かしないと」
自分でも鼓動が激しくなっているのがわかった。
追い詰められたグリヴァスは咄嗟に後ろを向くと「こっちだ、こっちだ。早く!」と叫んだ。
男たちが足を止め、不審そうな顔をしていると、路地の入口に十人近い王国衛兵隊が現われた。
「悪者はこいつらだ。早く来てくれ」
グリヴァスが大声を上げて激しく手招きをした。男たちは「まずい。引き上げるぞ」と言いながら、路地の奥に向かって慌ただしく走り去った。
グリヴァスは逃げて行く男たちの後ろ姿を見つめた。そして姿が完全に消えたのを確認すると、大きく「ふーっ」と息を吐いた。
それまで緊迫感に溢れていた暗い路地が何事も無かったかのように静まりかえっていた。後には二人の子供と少女が残っていた。
王国衛兵隊は出現から十秒もすると姿を消していた。
それはグリヴァスの幻影魔法によって作り出されたものだった。
「とりあえず、良かった」
グリヴァスは子供たちの頭を撫で、微笑みかけた。
「助けていただき、ありがとうございました」
柔らかい女性の声がしてグリヴァスは顔を上げた。目の前には先ほど子供たちを必死で取り返そうとしていた少女が立っていた。艶々と輝く銀色の髪。エルフにもまれなほど美しく整った顔立ち。優雅な物腰と温かい笑顔。この少女のことは知っている!
「エセリア?」
「まあ、あなたでしたの。グリヴァス」
グリヴァスは驚いた。その少女はエルフの女王レムリア・ルミルウェンの一人娘、エセリアだった。
人間社会では高貴な王女殿下ということになるのだろうが、エルフの社会では女王はともかく、まだ何の役職にも就いていない王女には、そこまでの敬意は払われない。エルフィラディアの人口は二万人ほどだが、その内、女王の娘の顔を知っているのはせいぜい百人というところかもしれない。
一応、王国魔法顧問団の一人に名を連ねているグリヴァスは女王とその娘の顔ぐらいは知っていた。というより、基本的に誰もが容姿に恵まれているエルフの中でも、最も美しいとされている母娘を一目でも見たら、忘れる方が難しいものだ。
それよりグリヴァスが驚いたのはエセリアが自分のことを知っていたことだった。
「どうして君は俺の名前を知っているのかな」
「あら、あなたは子供たちの間ではとても有名ですのよ。私は毎日のようにあなたのお名前を聞いています」
「そうだよ。僕たち、いつもお姉ちゃんにグリヴァスの魔法の話をしているんだよ」
男の子の方が嬉しそうに言った。髪が短く腕白そうで、笑顔が明るい子だった。
もう一人の女の子は黙ってほほ笑んでいた。肩を超すぐらいのきれいな黒髪と、利発そうな目が印象的な少女だった。
「そうか。悪い話でなければいいが」
「悪い話などではありません。ただあなたは子供たちからは、とても変わった大人に見えているようです」
エセリアが明るい笑顔で言った。
「それにとっても幻影魔法がお上手だと聞いています」
グリヴァスも思わず苦笑いした。こんな俺でも子供にはそれなりに評価してもらえているようだ。
「ところで、近くにあいつらの仲間がいたら面倒だ。早くこの場を離れよう。エセリア、この子たちの家を知ってるか」
「ええ、もちろんです。マウロ、ミーヤ、行きましょう」
エセリアは子供たちの手を取って歩き出した。グリヴァスもすぐに後を追って歩き出した。