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「ただいま魔力暴走中!」天才魔導剣士ヴィクター/血塗られた祝宴篇 第二章②

 翌朝、前後左右に薔薇をモチーフとした王家の紋章が入った美しい純白の二頭立て馬車が颯爽と王宮を出た。乗っているのはセレナとアレクシス、それにヴィクターだった。周りには近衛剣士団の四名が馬で付き従っている。その内の一人はマクセルだった。
「何だか大ごとになってしまいましたね」
 ヴィクターは「自分の都合で家に帰るだけなのに」と恐縮していた。
 実は王宮からヴィクターの生家であるブラックソーン家まで、さほどの距離はなかった。子供の足でも歩いても行けるぐらいだが、この大げさな態勢も安全のためであった。
 ヴィクターと向かい合わせに座っているセレナ、アレクシスの二人は、今日は臣下の屋敷を訪ねるということで、普段になくおめかしをしていた。細かいレースで縁取られたハイウェストの白いドレスを着たセレナと、胸元と袖先にふんだんにフリルが配された白いブラウスと丈の長い白いジャケットのアレクシス。大人しくしていれば「さすがだな」とヴィクターが感心するほど、二人は王家の威厳と高貴さを感じさせた。
「いいじゃない。私、楽しいわ」
「僕も王宮を出るのは久しぶりだから、嬉しいよ」
 だが口を開けばいつものセレナとアレクシスだった。例え理由が何であれ、十二歳と十歳の子供にとっては、日常と違う行動はワクワクする小さな冒険であった。

 まもなく馬車はブラックソーン家に到着した。
 王都において王宮に次ぐほどの広大な敷地を占める屋敷は、黒々とした高い塀とドラゴンが彫り込まれている分厚い門扉が特徴的で、門の脇には衛兵の詰め所もあった。それはまるで貴族の館というより、城塞という印象だった。
 三人が乗った馬車は門を抜け、芝生が美しい前庭を通り、気持ちよく清掃が行き届いた玄関ポーチにたどり着いて優雅に停車した。玄関前のスロープにはブラックソーン家の使用人がずらりと並んでヴィクターたちを待ち構えていた。
「アレクシス様、セレナ様。ようこそおいで下さいました」
 アレクシスとセレナが馬車を下りる際にエスコートしたのはこの家の主、リンデン・ブラックソーンだった。
「ヴィクター、お帰りなさい。ちょっと背が伸びたようね」
 鮮やかなセルリアンブルーのドレスを優雅に着こなした母親のリリアが、最後に下りてきたヴィクターを迎えた。リリアは武人の妻とは思えない華奢で繊細な印象の女性だった。切れ長の美しい目とつややかな赤い髪が印象的で、美しい目は長男のマクセルに、赤い髪は次男のヴィクターに受け継がれていた。

 華美ではないが上質な家具に囲まれたサロンに通された子供たちは、美味しいお菓子とお茶の接待を受けた。ヴィクターは自宅なのに自分が客になっているようで、ちょっと気恥ずかしかった。
 でもそのような時間は唐突に終了した。
「ねえヴィクター、お屋敷を案内してよ。あなたのお部屋が見たいわ」
「それはいいね、行こう行こう」
 お菓子を食べ終えたセレナがキラキラした目で言い出した。二人がいつまでも大人しくしているわけがないと思っていたので、ヴィクターは逆らわず「ではこちらへ」と立ち上がって二人を手招きした。

 三人は昼食の時間まで、屋敷のあちこちを探索して回った。
 ブラックソーン家の屋敷は単なる貴族の館ではなく、王国魔導剣士団の重要な活動拠点だった。王宮内に設置がはばかられる団員の訓練施設もここにあり、百名近くいる平団員の多くはこちらに詰めていた。そのため普通の貴族屋敷とは根本的に作りが異なっており、セレナとアレクシスの好奇心をひどく刺激した。
 ヴィクターが幼い頃から剣の稽古を続けてきた剣技場や練兵場、乗馬の訓練をする馬場や馬小屋。兵舎。捕らえた敵や犯罪者を入れておくための牢舎や取り調べ室。作戦会議室。食堂や団員たちが休息をするためのサロン。
 ヴィクターの部屋では、机の引き出しのひとつひとつを全部セレナが開けようとして大騒ぎを繰り広げた。また武器庫ではアレクシスが珍しい異国の武器見てテンションが上がり「これはどのように使うのだ、ヴィクター」としつこく聞いてくるので、ヴィクターはマクセルを相手に何度も実演をするはめになった。

 そうこうするうちにようやく昼食の時間となり、全員がブラックソーン家のダイニングルームに集まった。
 大きな窓を背景にした円卓を囲んで、今日の主役のヴィクターが真ん中に座り、その右脇にセレナとアレクシス、左脇に父母と兄が座った。
 テーブルの上にはフェニックス・バードの丸焼きが置かれていた。これは不死鳥フェニックスが何度も生まれ変わるという故事にちなんだ、十二歳の誕生日に出すことが恒例となっているお祝いの料理だった。「人生に失敗しても何度も立ち上がれ」という激励の意味がこめられていた。
 ヴァルミリア王国では十二歳は大人の第一歩として、特別な年齢とされていた。十二歳を機に服装や髪形を改めたり、職業によっては本格的な修業を開始するなど、人生の大きな節目とされていた。
「ヴィクター、十二歳の誕生日おめでとう」
 リンデンが最初に口を開くと、他の者たちも口々に「おめでとう」と言った。
「ありがとうございます、父上、母上。こんなお祝いをしてもらえるなんて、思ってもいませんでした」
「慣例では十二歳を機に何か社会的な役割を与えられるものだが、お前の場合はすでにアレクシス様、セレナ様の護衛という重大な任務を仰せつかっている。これからも全力でそれに励んでもらえれば良い」
「はい、父上」
「お願いするわね、ヴィクター」
 セレナはヴィクターの手を取ると、すばやく頬にキスをした。ヴィクターは全身に電流が走ったような気がして、自分ではどうにもできないほど身体がこわばってしまった。リンデンとマクセルは顔を見合わせてほほ笑んだ。リリアは「まあ」と言って口を押えた。アレクシスは少し驚いたように姉とヴィクターを交互に見た。セレナはなぜか顔を真っ赤にしていた。
「もうヴィクターは一番の贈り物をもらってしまったようだ。では私からの贈り物は二番目ということになるが、どうか受け取ってくれ」
 リンデンは場を和ませるようにそう言うと、従者に一振りの剣を持って来させた。金の縁取りがされた艶消しの黒い鞘に収まった細身の剣。柄にはえんじ色の皮が巻いてあり、柄頭には飛翔するドラゴンが浮き彫りになっている。
「お前も知っての通り、これはブラックソーン家に伝わる秘剣インフィニシスだ。どれほどの魔力を込めても決して破裂することはないと言われている」
「父上、しかし僕は魔法が……」
「ヴィクター、お前は魔法が使えないのではない。魔力が制御できないだけだ」
「それは魔法が使えないのと同じことです」
 ヴィクターは幸福の絶頂から地面に叩き落されたような気分になった。
「それは違うぞ、ヴィクター。私が十二歳を迎えたお前に伝えておかねばならないと思っているのはそのことだ」
「ヴィクター、お前が魔法を使えないのなら、どのようにしてあの魔獣が倒せたのかな」
 マクセルが問いかけた。
「あれは偶然です」
「偶然などというものはない。お前はあの時、リフレクトゥスを発動したと言ってたな」
「はい父上、しかし失敗しました」
「失敗ではない。常識を超える魔力を込めてしまったので暴発してしまっただけだ」
「それは失敗ではないのですか」
 それを聞いてマクセルが楽しそうに笑った。
「ヴィクター、普通はリフレクトゥスで相手を倒すなんてできないよ。でもお前はやってのけた。それはな、お前の魔力が尋常ではないほど強いからなんだ」
「強すぎる魔力は制御も難しい。子供の体力ではなおさらだ。だから私は、これまでお前に、あえて魔力制御を学ばせようとはしなかった。だが十二歳になったことを機に、これからは魔力制御の方法を学ぶことを命じる」
「父上、僕にできるでしょうか」
「できる。私はそれをやり遂げた者を知っている。時が来たら、その話も聞かせてやろう」
 そう言うとリンデンは立ち上がってインフィニシスをヴィクターに差し出した。
「ほら、この剣を取れ。このインフィニシスは過剰な魔力を吸収しコントロールしてくれる。きっとお前の助けとなろう。ここからお前の本当の修業が始まるのだ」
「僕も魔法が使えるようになる。もう誰にも馬鹿にされない」
 ヴィクターはインフィニシスを受け取った。暗い過去が一掃されたようで涙がこぼれた。
「そうだ、お前はきっと最強の魔導剣士になれるぞ。これまでよく我慢したな」
 そう言ってマクセルが笑った。ヴィクターは泣き声を押し殺しながら何度も頷いた。
「それともうひとつ、お前に伝えておく言葉がある」
リンデンは軽くため息をついた。
「これはブラックソーン家に代々伝わる剣の極意ということになっているが、正直、私もその真意はよくわからない。だが男子が十二歳になったら伝えるのが決まりとなっているので言っておく」
 ヴィクターは鼻をすすると、涙を拭いてリンデンの顔を見た。
「覚えておけ。『相手より先に攻撃してはならない』」
 意外な言葉だった。ヴィクターは思わず問い返した。
「どういうことですか、父上。それだと先に相手の攻撃を受けてしまって負けてしまうのでは」
「僕も剣は先手必勝だと思うから、この言葉の意味はよくわからないな」
以前からこの言葉を知っていたマクセルも首をひねっていた。
「さっきも言ったであろう。私にも真意はよくわかっていない。だが何か大事な意味があるのは間違いないと思う。もしお前がその真意にたどり着いた時は、ぜひ教えてほしいものだ」
「わかりました、父上」
「あななたち、お料理が冷めてしまいますよ。剣の話もいいけれど、まずは美味しくいただきましょう」
 男たちが深刻な顔で剣術の話をしているので「これはいけない」と思ったリリアが陽気な声で言った。
「その通りだ。いただこう」
 リンデンはそう言うとフェニックス・バードの丸焼きを切り分け始めた。
 ようやくお祝いの食事の時間が始まったのだった。

 昼食の後、セレナとアレクシスは急に疲れが出たのか客室で休むことになった。お腹がいっぱいになって、単に眠くなっただけかもしれない。
 ヴィクターはこの時間を利用して庭を散歩することにした。
 ブラックソーン家の庭は、もちろん王宮ほどの広さはないが、軽く散歩するには手ごろな広さがあった。庭の中ほどには小さな池やベンチやテーブルが置かれた休憩スペースがあり、ヴィクターは子供の頃からここで時間を過ごすのが好きだった。
「この剣が僕を助けてくれる」
 ヴィクターはベンチに座ってインフィニシスを鞘から抜き放った。
 細身の剣からは全く凶暴さが感じられなかった。むしろ優美ですらあった。ヴィクターは軽く剣を振ってみた。軽快に振れたが、半面、頼りなくも感じた。
「こんなに細くて大丈夫かな」
 幅の厚いバスタードソードなどと打ち合ったら折れてしまうのではないかとヴィクターは心配になった。
「試してみるか?」
 ヴィクターの背後から男の声がした。そこにいつの間にか見知らぬ男が立っていた。危険を感知する能力にはある程度自信があったヴィクターだったが、その男の接近には少しも気がつかなかった。
 ヴィクターは慌てないように自分に言い聞かせながらゆっくり立ち上がると、振り返ってその男と向かい合った。
 男は背が高く、無駄な肉の無い締まった体つきをしていた。表情は穏やかで敵意は感じられない。年齢は父リンデンと同じぐらいだと思われた。
 貴族という感じでもない。手入れがされているとは思えない長い黒髪は黒いリボンで無造作に束ねられている。長い旅でもしてきたのか薄茶色の皮の外套は汚れが目立っていた。元は上等な皮で作られていたと思われるブーツも擦れて傷だらけだった。ただし鈍く銀色に光っている腰の剣はかなり使い込まれた跡があり「この男は強い」とヴィクターに感じさせた。
「あなたはどなたですか」
 ヴィクターは警戒しながら尋ねた。
「おっと失礼。俺はノクス・カリオンという。ただの冒険者だよ。君の父上の知り合いだ」
「僕のことをご存じなんですか」
「ああ。ヴィクターだね。魔力制御ができないという噂の」
 ノクスは無遠慮に言い放った。さすがにヴィクターはムッとした。
「ところで君はその剣が細くて、折れるのではないかと心配していたね」
 そう言いながらノクスはベンチを回り込んでヴィクターの正面に移動した。すべるように滑らかな動きだった。そして無造作に自分の剣を抜くと、ヴィクターの胸元に切っ先を向けた。
「思い切り打ちかかっておいで」
「でも」
「大丈夫、俺は君に倒されるほど弱くはない」
 挑発されて、ヴィクターは「この男に一泡吹かせたい」という気持ちが抑え切れなくなった。ヴィクターは基本的に穏やかな性格の少年だが、自分が唯一他人に誇れる剣術を馬鹿にされることだけは我慢ができなかった。
「では、いきます」
 そう言うとヴィクターはさり気なくインフィニシスを肩の高さまで持ち上げた。しかしヴィクターはノクスが並の剣士ではないことを感じていたので、単純に打ち込むことはせず、目と身体の動き出しでノクスの左肩を一瞬だけ狙い、その後、猛然とノクスの手元を目がけ剣を振り下ろした。
 ノクスはヴィクターの子供とは思えない巧妙なフェイントに驚きながらも、素早く小手を返してヴィクターの剣を受け止めた。ジャキッという、金属同士が鋭く噛み合う音がした。
 ヴィクターはノクスの反撃を避けるべく素早く飛び下がって距離をとった。手が痺れて剣を落としてしまいそうだった。
「どうだい。君の剣は刃こぼれひとつしていないだろう」
 ノクスは世間話でもするような呑気さで話しかけてきた。
 そう言われてヴィクターは自分の剣を見た。インフィニシスはあれほどの衝撃でも何のダメージも受けていなかった。
「この剣はすごい剣だ」
ヴィクターはインフィニシスに対して申し訳ない気持ちになった。
「では、ヴィクター。今度はこちらからいくぞ」
 ノクスはすっとヴィクターの間合いに入ってくると、袈裟斬りに右、左と打ち込んできた。ヴィクターは必死に弾き返した。ノクスの剣には少しも力みはないが、一撃でも食らえば死は免れないと思える重さがあった。
 ノクスは袈裟斬りが防がれたので、身体を沈めてヴィクターの胴を払おうとした。ヴァクターは受けきれないと見て飛び下がった。そして剣を持ち直して反撃しようとした時には、驚いたことに、すでにノクスはヴィクターの間合いに入っていた。信じられない動きの速さだった。喉元を狙ったノクスの突きをヴィクターは横っ飛びで地面に転がることでかろうじて避けた。
「だめだ、速すぎる」
 ヴィクターはパニックになりながらも立ち上がろうとした。しかしその動作の途中でノクスに強烈な足払いをかけられ、仰向けに地面に叩きつけられた。ヴィクターの完敗だった。
「『相手より先に攻撃してはならない』と父上はおっしゃったが、強い相手には、やはり先に先にと攻撃を仕掛けないといずれやられてしまう」とヴィクターは思った。
「降参します」
 自分でも驚くほど素直にその言葉が言えた。
 剣を習い始めた頃は別として、ヴィクターがこれほどまでの実力差を感じて負けたのは初めてだった。不思議と悔しくはなかった。
「いや、俺も驚いた。十二歳でここまでの動きができるとは。末恐ろしいな」
 ノクスはそう言いながら手を差し伸べてヴィクターを立たせた。
「ノクスさん。どうすればあんなに速く動けるんですか」
「教えてやってもいい。たぶん俺が鍛えれば君は王国一どころか世界一の魔導剣士になれるだろう」
「本当ですか」
 ヴィクターは急に目の前に道が開かれたような気がした。
「ああ。だが条件がある。俺には、やることがあって、王都レガリアにずっと留まっているわけにはいかない。俺と共に来い。魔力の制御もできるようにしてやる」
 当然だった。剣の道を究めたいなら人生のすべてを賭ける必要がある。ノクスの弟子になるということは、今の境遇をすべて捨てるということだ。そうとわかればヴィクターの決断は早かった。
「僕にもやることがあります。あなたについて行くことはできません」
 それを聞いてノクスは肩をすくめると「わかった」と言い、ヴィクターに背を向けて屋敷の方に向かって歩き出した。そして歩きながら「気が変わったら、いつでも来い」と付け加えた。


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